活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

福澤諭吉の蘭学塾と印刷

2010-10-15 11:33:23 | 活版印刷のふるさと紀行


平野富二が築地へ移ってくる14年前、同じ築地の中津藩奥平家の鉄砲洲中屋敷の長屋の一軒で蘭学塾が開塾されました。それが慶応義塾の発祥で塾長は福澤諭吉その人でした。聖路加国際病院の一角にこの記念碑が建てられ除幕式が行われたのは100周年の昭和33年の4月23日でした。

 台座の上には“天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず”と『学問のすすめ』の冒頭の言葉が刻まれています。
父の百助が中津で身分制度で縛られていた無念さを目の当たりにしていた諭吉の「門閥制度は親のかたきでござる」という悔しさがにじみ出ているようにも思えます。

 塾生は慶応4年に芝の有馬家中屋敷に移って「慶応義塾」の看板を掲げたときに300名を越えていたといいます。
福澤諭吉は早くから鉛の活字を使う活版印刷に着目しておりました。
 蘭学塾時代は教科書は木版でしたが、義塾になってから木版では間に合わなくなって、自身で活版印刷機を調達してきて教科書の印刷を活版に切り替えたというエピソードも残っています。
          
                    
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