活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

平野富二に「時の利」

2010-10-14 17:19:09 | 活版印刷のふるさと紀行
 「活字発祥の碑」の碑文にはこうあります。

明治六年(一八七三)平野富二がここに長崎新塾活版製造所を興し後に株式会社東京活版製造所と改称日本の印刷文化の源泉となった

 現在の地名だと中央区築地1丁目12-1で、明治6年8月の「東京日日新聞」に掲載された移転広告には東京築地2丁目萬年橋東角二十番地と出ています。
 一丁目であろうと二丁目であろうと大勢に影響はないのですが、長崎で本木昌造から事業を引き継いで東京に出てきた平野富二にとって「時の利」も加勢してくれたのです。

 この築地に移る前、神田佐久間町、いまの神田和泉町で開業して
一年の間にも受注チャンスにめぐまれたのです。たとえば、明治4年7月の廃藩置県の布告で
新政府の各省が大量の印刷物を配布するようになりました。もう、木版では間に合いません。
新聞雑誌も学校の教科書もとなると活字の需要はそれこそ倍増につぐ倍増でした。

 それだけではありません。明治5年には陰暦から太陽暦への改暦を知らせる太政官の印刷物の大量発注がありましたし、続いて徴兵令が施工されて「徴兵告諭」の膨大な量の印刷需要もありました富二は懸命でした。

 
コメント
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