活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

福澤諭吉のベストセラー

2010-10-17 16:40:48 | 活版印刷のふるさと紀行


 平野富二が築地に活版製造所を移したのが明治6年、明治5年の神田時代もあったわけですから、文明開化の尖兵であった諭吉なら、彼のベストセラーはこれまた、文明開化の最先端、活版印刷の所産、たとえ築地産活字でなくとも、そう考えたかったのですが、あにはからんやでした。

 改暦の啓蒙書『改暦弁』(左)、あまりにも有名な『学問ノススメ』(右)も鉛活字をつかった活版印刷ではありませんでした。明治6年1月に出た『改暦弁』は400万部を数えたといいますが、日本の人口が4000万に満たない時代
のことですからオドロキです。
 オドロキといえば『改暦弁』の中での福澤諭吉の「馬鹿者」呼ばわりには驚かされました。

「日本国中の人民此の改暦を怪しむ人は必ず無知文盲の馬鹿者たり、これを怪しまざる者は平生学問の心掛けある知者なり」太陰暦と太陽暦の弁別という項で実に大胆で断定をしています。さらに続けて、改暦を信じるか、信じないかで日本国中の知恵者と馬鹿者の区別がつくというのですから痛快ですらあります。

 脱線したようです。『改暦弁』は明治6年1月1日発行で版元は慶応義塾、木活字本でした。いっぽう明治5年2月に
小幡篤次郎(慶応2年から4年まで慶応義塾の塾長だった中津出身の洋学者)と共著で初編が出て明治8年11月の第17編で完結した『学問ノススメ』には奥付がなく、印行名は不明です。
コメント
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