活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

コダックとデジタルと印刷

2012-01-21 10:21:02 | 活版印刷のふるさと紀行
 今朝、新聞をひろげて驚いたのは「コダック 破産法申請」の見出しでした。
つづけざま、夕刊には「コダック上場廃止」とありました。

 それにしても印刷人だったら誰しも「あのコダックがと思わざるを得ない」で
はないでしょうか。大きなコダックのフィルムの入った黄色の箱を大事にかかえ
て製版工場の中を小走り行き来する状景は恐らくいまでもどなたの目にも焼き付
いているに違いないのです。

 もちろん一般のカメラ愛好家でも、カメラマンでもコダック一辺倒はたくさん
いました。
 とくに、印刷の前工程のひとつ、製版ではフィルムが出来の鍵を握っていまし
たし、印刷工場のフィルム使用量は膨大でしたから、コダックの名はそれこそ永
久不滅に思えたものです。

 破産法申請の見出しの横に「デジタル対応遅れ」となか見出しがありました。
1975年に世界で初めてデジカメを開発したのはコダックだったのに、日本の富士
フィルムが多角化してこんなに成長しているのに。130年前コダックを創業した
ジョージ・イーストマン氏は歯噛みしているに違いありません。


 デジタルといえば、その昔、週刊誌『女性自身』の表紙をパリでデジタル・カラー
スキャナーによって分解・製版したのが大日本印刷でした。1961年(昭和36)でした。
その高価なPDIカラースキャナーを大日本・凸版など4社が共同で購入して順番を
決めて使用したのが日本の印刷会社のデジタルへの取り組み第一歩でした。

 私自身の記憶ではイスラエルのサイテックス社のレイアウトスキャナー「レスポンス
300」が導入され、青空に緑の草原が、曇り空の雪の大地にディスプレ上で一瞬に
変化する切り抜き、合成、修正自由を目の当りにして驚いたのが昭和54年だったと
思います。なんだか三題話めきましたが、コダックのこれからに期待します。
コメント
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