活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

正月と「このわた」

2013-01-12 16:47:14 | 活版印刷のふるさと紀行

 昨日11日は「鏡開き」の日。正月の鏡餅を手で割って甘い汁粉にして食べる日でした。子どものときは母親に頼まれて餅を割る係を引き受けたものでしたが、もう、そのとき、餅にカビが生えていて包丁で削ろうとして「刃物を使ってはダメ」といわれたことを思い出します。

 鏡割り以外にも子どもにとって正月が楽しみだったせいか、かなり鮮明にいろいろな光景を思い出せます。たとえば、元旦の朝の屠蘇、父が正月だけ膳にのる屠蘇用の酒器から注いだ盃を神棚、仏壇に供して恭しく家族で拝んだ後、「おめでとう」をいいあって雑煮の膳に向うのでした。鯛、昆布巻き,黒豆、田作り、だて巻き、かまぼこ、なます、きんとん、重箱の中身はおめでたいものばかりでした。

 その記憶の中で私がとくに忘れられないのが、「このわた」です。前に随筆にも書いたことがありますが、そのころこのわたは小さな経木の桶に入っていました。蓋をとって琥珀色のこのわたを箸でつかむのですが、このわたが長くて子どもの背丈ほどの長さになるのでいつも母がハサミをもちだして短く切るセレモニーが付属するのでした。

 このわたは海鼠(なまこ)腸と書きますが、ナマコのはらわたの塩辛で珍味です。能登あたりが有名ですが私の子どものときのは、三河湾の知多あたりのものでした。尾張の徳川が知多の師崎産のこのわたを毎冬、江戸の徳川に献上したといわれておりますから、あのあたりでもつくられていたのでしょう。

 本来は酒の肴でしょうが、子どものときですからアツアツのごはんにまぶして食べるのが大好きでした。独特の潮の香りが口いっぱいにひろがって、やさしい塩気がたまらなくうまいのです。というわけで、我が家では正月一杯、このわたを冷蔵庫に安置しておいて、楽しんでいるのです。

 一昨年の暮れは魚河岸の場外まで求めに行きましたが、昨年遅れはデパ地下で求めました。ただ、残念ながらハサミを持ち出す必要はなく、色も味も子どものころのこのわたとは一致しません。そういえば、いちど壱岐で実にうまそうなこのわたの瓶詰を目にしたのですが旅程の都合で見送ってしまいました。

 鏡開きも終わって、正月のこのわたともそろそろお別れです。そうそう、今年のはパッケージに周防名産とありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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