活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

播磨坂と共同印刷

2013-01-15 17:22:39 | 活版印刷のふるさと紀行

 

東京の大雪は7年ぶりだそうです。8センチの積雪で大雪などというのでは雪国の方に申し訳ない気がしますが、テレビが「滑るから注意してほしい」と気象予報の度にいっています。これも過保護に近いなと思うと多少、反発心が湧きあがります。

 そのせいばかりではないのですが、大雪の翌日、播磨坂を茗荷谷に向かって慎重に昇ってみました。播磨坂というと文京区の土地っ子は桜まつりや花見を連想するようですが、私の場合は播磨坂というとどうしても共同印刷を思い浮かべてしまいます。

 共同印刷は大日本印刷や凸版印刷と並んで印刷大手3社などといわれていますが、第二次大戦が終わった段階では3社の中でトップでしたし、日本の印刷史を語る場合多くの時間を充てなくてはならない歴史を有する会社です。

 創業年だけで見ると1925年(大正14)で明治生まれの大日本や凸版よりかなり新しく感じますが、実は明治20年に『日本大家論集』ではなばなしくデビューした出版社博文館が源流で、その博文館の専用印刷所として明治30年につくられた博文館印刷所と明治39年創業の精美堂との合併で共同印刷ができたわけですから実態的には新しいとはいえません。

 また、共同印刷といいますと博文館を作った大橋佐平、それを発展させた大橋新太郎、共同印刷の初代社長大橋光吉と大橋ファミリーが頭をよぎりますが、前の二人は出版人としての比重が重いから印刷人として光をあてるなら大橋光吉氏かなどと考えながら歩いていたら難なく茗荷谷の通りにでていました。

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