今回はついに、エミリー・ブックスの最終回。
第三部『エミリーの求めるもの』をご紹介します☆
第一部では、まだ夢見がちな少女だったエミリー。
自分を守るため、そして時折訪れる”ひらめき”に従って書き続けてきた彼女も、新しく赴任してきたカーペンター先生との出会いをきっかけに、文学の、遠く険しくそびえる「アルプスの道の頂上」を目指して、歩んで行くことを決意します。
ニュー・ムーン農園の美しい自然と、理解してくれる友人に支えられ、古いしきたりの支配する土地で、周りの目にさらされながらも懸命に創作活動に打ち込むエミリー。その姿には、作者ルーシー・モード・モンゴメリの、書くこと、書き続けることに対する情熱と真剣さが込められているようで、読んでいて、鳥肌が立つ時があるくらい。
何度雑誌社に作品を投稿しても、採用されない悔しさ。
真夜中の三時に訪れる、苦悩と不安。
自分にはねうちのあることなど、何にもできないのではないか。才能も希望もなく、すべては無駄に終るのではないか。
エミリーの苦しみは、同時に作者の体験でもあるのです。
この物語が書かれた頃。モンゴメリは牧師のユーアン・マクドナルドの妻として、故郷プリンス・エドワード島を離れ、赴任地であるトロント近郊のノーヴァルという村に迎えられていました。50代になっていた彼女は、大変な時代の中、病気でふさぎがちな夫にかわり、よき牧師夫人として振る舞い、そのかたわらで、あふれるような書くことへの情熱と渇望、不安と苦悩を作品にぶつけていたのではないでしょうか。
エミリーは言います。
「仕事がどうして呪いと呼ばれるのかわからない―
強いられた労働がいかに苦しいことかを知るまではそれはわからない。
けれどもわたしたちに合った仕事は―
それをするためにこの世に送られたと知る仕事は―
それはほんとうに祝福でみちたりた喜びである」
シュールズベリーのルース伯母さんのもとで暮らした学生生活も終り、親友のイルゼとテディは、それぞれの道に進むため、都会へと旅立って行きます。
自分の意思でニュー・ムーンに一人残ったエミリー。
やがて、今また文学の師であったカーペンター先生までも失った彼女は、ニュー・ムーン農園での孤独で不安な生活の中、ある出来事がきっかけで、創作意欲を無くしてしまいます。
大きな試練ののち、再び書くことができるようになったエミリー。
しかし彼女は、心のどこかで自分でもわかわない何かを求め続けるのです。
エミリーの求めるものとはいったい?
適齢期と呼ばれる歳になったエミリーには様々な求婚者が現れます。若い牧師に有名な作家。はては遠い東洋の日本とかいう国の王子様まで。時には自分でも驚くくらい、ロマンティックなささやきに足をすくわれるエミリー。
大人になっていく女性の繊細だけれど大胆な、なんともいえない心と体の葛藤が、読んでいる者をグイグイと引き込んでいきます。
愛情豊かなユーモアとその鋭い人物描写はまさにモンゴメリの本領発揮といったところ。特に物語後半のイルゼの結婚式は目が離せません☆
エミリーの成長物語は、作者の精神的成長の投影でもあります。
木々を愛し。家を愛し。故郷プリンス・エドワード島を愛したモンゴメリ。
新しい時代に生きながら、同じように自然や住んでいる土地を愛し、古い時代のものを全く否定するでもなく、自分のものとして受け入れていくエミリー。
自分の愛する国を離れたら、わたしの魂の中の活ける泉の成分はかわいてしまうでしょう。
う~ん、この作者だからわかるな、この言葉☆
ほんとはまだまだ書きたいことがたくさんあるのですが、うまく文章にできません。(きっと本文全部書き写してると思うので)
ただ、この作品、常に何かを訴えてくるんです。
胸の奥の泉に波紋がいくつもいくつも広がっていくような感じというか…
最後にカーペンター先生はエミリーに約束させます。「きみはきみ自身を―喜ばせる以外には―だれをも喜ばせるためには書かないと―約束してくれ」
書くことは、自身の喜び…
作者ルーシー・モード・モンゴメリの息吹が近くで聴こえてきそう♪
がんばって、三冊すべて読むことをお薦めします。大丈夫、一冊読み終わる頃には、続きを読まずにはいられなくなっていますから☆
では、この本が最後の訳業となった村岡花子女史に、改めて感謝と尊敬の念を捧げ、この紹介を終ります。
「どうぞアンを愛してくださるみなさんは、同じようにエミリーをも愛してください」
―村岡花子―
ルーシー・モード・モンゴメリ 著
村岡 花子 訳
新潮文庫
第三部『エミリーの求めるもの』をご紹介します☆
第一部では、まだ夢見がちな少女だったエミリー。
自分を守るため、そして時折訪れる”ひらめき”に従って書き続けてきた彼女も、新しく赴任してきたカーペンター先生との出会いをきっかけに、文学の、遠く険しくそびえる「アルプスの道の頂上」を目指して、歩んで行くことを決意します。
ニュー・ムーン農園の美しい自然と、理解してくれる友人に支えられ、古いしきたりの支配する土地で、周りの目にさらされながらも懸命に創作活動に打ち込むエミリー。その姿には、作者ルーシー・モード・モンゴメリの、書くこと、書き続けることに対する情熱と真剣さが込められているようで、読んでいて、鳥肌が立つ時があるくらい。
何度雑誌社に作品を投稿しても、採用されない悔しさ。
真夜中の三時に訪れる、苦悩と不安。
自分にはねうちのあることなど、何にもできないのではないか。才能も希望もなく、すべては無駄に終るのではないか。
エミリーの苦しみは、同時に作者の体験でもあるのです。
この物語が書かれた頃。モンゴメリは牧師のユーアン・マクドナルドの妻として、故郷プリンス・エドワード島を離れ、赴任地であるトロント近郊のノーヴァルという村に迎えられていました。50代になっていた彼女は、大変な時代の中、病気でふさぎがちな夫にかわり、よき牧師夫人として振る舞い、そのかたわらで、あふれるような書くことへの情熱と渇望、不安と苦悩を作品にぶつけていたのではないでしょうか。
エミリーは言います。
「仕事がどうして呪いと呼ばれるのかわからない―
強いられた労働がいかに苦しいことかを知るまではそれはわからない。
けれどもわたしたちに合った仕事は―
それをするためにこの世に送られたと知る仕事は―
それはほんとうに祝福でみちたりた喜びである」
シュールズベリーのルース伯母さんのもとで暮らした学生生活も終り、親友のイルゼとテディは、それぞれの道に進むため、都会へと旅立って行きます。
自分の意思でニュー・ムーンに一人残ったエミリー。
やがて、今また文学の師であったカーペンター先生までも失った彼女は、ニュー・ムーン農園での孤独で不安な生活の中、ある出来事がきっかけで、創作意欲を無くしてしまいます。
大きな試練ののち、再び書くことができるようになったエミリー。
しかし彼女は、心のどこかで自分でもわかわない何かを求め続けるのです。
エミリーの求めるものとはいったい?
適齢期と呼ばれる歳になったエミリーには様々な求婚者が現れます。若い牧師に有名な作家。はては遠い東洋の日本とかいう国の王子様まで。時には自分でも驚くくらい、ロマンティックなささやきに足をすくわれるエミリー。
大人になっていく女性の繊細だけれど大胆な、なんともいえない心と体の葛藤が、読んでいる者をグイグイと引き込んでいきます。
愛情豊かなユーモアとその鋭い人物描写はまさにモンゴメリの本領発揮といったところ。特に物語後半のイルゼの結婚式は目が離せません☆
エミリーの成長物語は、作者の精神的成長の投影でもあります。
木々を愛し。家を愛し。故郷プリンス・エドワード島を愛したモンゴメリ。
新しい時代に生きながら、同じように自然や住んでいる土地を愛し、古い時代のものを全く否定するでもなく、自分のものとして受け入れていくエミリー。
自分の愛する国を離れたら、わたしの魂の中の活ける泉の成分はかわいてしまうでしょう。
う~ん、この作者だからわかるな、この言葉☆
ほんとはまだまだ書きたいことがたくさんあるのですが、うまく文章にできません。(きっと本文全部書き写してると思うので)
ただ、この作品、常に何かを訴えてくるんです。
胸の奥の泉に波紋がいくつもいくつも広がっていくような感じというか…
最後にカーペンター先生はエミリーに約束させます。「きみはきみ自身を―喜ばせる以外には―だれをも喜ばせるためには書かないと―約束してくれ」
書くことは、自身の喜び…
作者ルーシー・モード・モンゴメリの息吹が近くで聴こえてきそう♪
がんばって、三冊すべて読むことをお薦めします。大丈夫、一冊読み終わる頃には、続きを読まずにはいられなくなっていますから☆
では、この本が最後の訳業となった村岡花子女史に、改めて感謝と尊敬の念を捧げ、この紹介を終ります。
「どうぞアンを愛してくださるみなさんは、同じようにエミリーをも愛してください」
―村岡花子―
ルーシー・モード・モンゴメリ 著
村岡 花子 訳
新潮文庫