1912年黒田清輝の白馬会解散後、そのメンバーが中心となって(光風会)が結成されました。1954年社団法人となり、文展、帝展、日展の中核として発展してきました。設立趣意書には”春が来て無意識に咲いた野の花のようなもの””隠れた無名の花を自由に紹介する花園を開拓した。”とあるそうです。
その会の重鎮でいらしゃる柴田 祐司先生に教えていただいています。今回愛知県美術館で開催されている会の作品を先生の許可を得て、アップさせて頂きました。
私が先生の作品に出会ったのは、日展でしたがとても美しいデリケートな色彩の山奥にひっそりと咲く、みずばしょうの姿に、あでやかな、これでもかーという作品が多い中、強く印象に残りました。
偶然のきっかけで教えていただいて、もう十年近いのですが、いつも先生に接すると自分の未熟さ、不勉強さ、努力不足を感じてしまうのは、先生のあらゆる面でのすばらしい才能、真摯な努力なさる姿勢と
何より描く事が好きで好きでたまらない、ということが伝わってくるのからです。
私たちの作品に先生の手が入ると、見る見る、丸で魔法にかかったように変わっていきます。みんなそれに見とれていると先生がは!と我に返って、いかん!描きすぎた。といわんばかりに、後は自分でかくかくしなさい。という指示があります。
それなりのステータスと名声を得た方がたの中では、私たちのような素人の絵にこんなに手を入れられる先生も稀有なことではないでしょうか?
私の知り合いの中にも、賞をいただいた為に描くのが苦痛になってしまった人がいます。
私のような、好きで描いているものにとって、どういう姿勢で絵に向かわなくてはいけないかいつも感じ入るしだいです。
その会の重鎮でいらしゃる柴田 祐司先生に教えていただいています。今回愛知県美術館で開催されている会の作品を先生の許可を得て、アップさせて頂きました。
私が先生の作品に出会ったのは、日展でしたがとても美しいデリケートな色彩の山奥にひっそりと咲く、みずばしょうの姿に、あでやかな、これでもかーという作品が多い中、強く印象に残りました。
偶然のきっかけで教えていただいて、もう十年近いのですが、いつも先生に接すると自分の未熟さ、不勉強さ、努力不足を感じてしまうのは、先生のあらゆる面でのすばらしい才能、真摯な努力なさる姿勢と
何より描く事が好きで好きでたまらない、ということが伝わってくるのからです。
私たちの作品に先生の手が入ると、見る見る、丸で魔法にかかったように変わっていきます。みんなそれに見とれていると先生がは!と我に返って、いかん!描きすぎた。といわんばかりに、後は自分でかくかくしなさい。という指示があります。
それなりのステータスと名声を得た方がたの中では、私たちのような素人の絵にこんなに手を入れられる先生も稀有なことではないでしょうか?
私の知り合いの中にも、賞をいただいた為に描くのが苦痛になってしまった人がいます。
私のような、好きで描いているものにとって、どういう姿勢で絵に向かわなくてはいけないかいつも感じ入るしだいです。