信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

子離れ その2

2008年05月11日 00時43分43秒 |  日記
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先月、ムスメが転職してカナダからアルジェリアへ旅立った。
その話を聞いて、家族は驚き、そして彼女の幸運と度胸を心から喜んだ。間もなくあれから1ヶ月が経とうとしている。
昨夜、仕事から帰る途中のムスコから電話があり、胸騒ぎがした。
このところ異動の対象の最前列に立たされており、息子夫婦も覚悟ができ、先週のGWの蓼科での3家族の休暇も息子の異動の話が出て、どこに行くのか、中国?それとも・・・・と話題になっていた。
それから1週間も経たないうちに、勘は当った。

どこへ行くの?決まったの?と疑わず聞いてしまった。
うん、シカゴ。
なにかかにか色々しゃべったが、電話を切った後、ボーっとしたまま布団に入り、朝起きたら寒くて全くやる気がおきないではないか。
あちこち、話を聞いた親戚と友人と電話のやり取りがあり、心も寒く八ヶ岳は雪が降っている。
航空会社勤務のムスコは海外勤務は当たり前のことであるからもう数年前から心積もりはしていたはずだったが、いざその場面を迎えると自分の頭がばらばらで思考力が半減した。
ボーっとした頭で新聞を読んだ。
新聞ではエドはるみが遅いデビューで人気を得ている記事が目に入った。
自分が求めさえすれば、死ぬまで人の可能性は無限である。自分の可能性にふたをしないこと。
この歳だからという言葉に逃げないことなどを言っていた。
味わいがある言葉に自分が最近赤十字の環境に入り、おばさんだからとかとしだからとか言うようになっているのを見透かされたかなと思った。
年だからというのはとてもらくちんな言葉だから使い始めたら結構その言葉に逃げるようになった。

そしてNHKの画面が75歳になった三浦雄一郎さんのエベレスト登山への挑戦へのドキュメント番組を流していた。
64歳の時に、エベレストからスキーで大滑降を世界初でやってのけた。パラシュートをつけ谷に落ちる寸前に止まり助かった。
命を助けられた意味をずっと考え続け、生きる意味を考えまたその後75歳でエベレスト登頂に挑戦している。
三浦さんのお父さんの恵三さんは96歳で八方尾根からスキーで滑降し最高年齢でスキーを続けていた。体力も目も衰えていくが、骨折だけを恐れ食事に気を使い毎日トレーニングをしてスキーを90歳を超えても続けていた。
101歳で亡くなられたが、今の自分の可能性を信じていたという。
96歳の三浦恵三さんにはまだ35年も及ばない。それなのに年だからとらくな方向へ逃げている自分を恥じた。
今朝はテレビと新聞に学ばされた。
ぼうっとして自分がさ迷っているがこれではいけない。
しっかりしなくては。
子供たちとは遠く離れてしまうが、スカイプで話が出来るし、子供たちの海外での環境の中での成長を喜んで見守る親でなくてはならない。
三浦さん親子のように年だからなどと言わず、相反した冒険をする人間にはなれなくてもその精神は学びたい。

今年に入って母親を亡くし、ムスメ、ムスコも相次いで遠い国で仕事をするようになった。
思い出だらけの過去を振り返ると悲しくなるが、振り返っても前には進まないから、元気を出して自分も今の自分の可能性が何か、見つけなくてはならないようである。