今朝、NHKで統合失調症のテーマでの番組を視聴した。
長い職業生活では保健衛生関係に属し、今年退職し全く、その分野から遠ざかった。
無職の一般人として生活してみると色々見えてくるものもあり、長らく自分の人生を支えてもらった
職業に対しての自分の姿勢の変化も今になるとわかるものがある。
なるべく医療関係とは離れたいと思うが、今日のように長く続けた仕事にはやはり関心が出てしまう。
2年位前から京都、大原に住むベニシア、スタンリーさんのハーブの生活の番組に魅せられて毎週
視聴しているが初めの頃は何も知らないから、恵まれた外国人が憧れの京都での生活を営んでいる
くらいととらえていた。
それからは番組や書籍を通してベニシアさんは個人としての生活を紹介してきた。
自分と年齢も近いが自分の想像をはるかに越えた苦労を乗り越えて今に至っていること。
英国での高貴な生まれにかかわらず、自分の行き方をインドの生活を経て日本で見出した。
今日は長女のジュリーさんが14年も統合失調症を治療していること、家族としての向き合い方などを
番組で話していた。
見終わったあと、色々考えさせられた。
今から43年も前、神奈川県で新人保健師として勤務し始めた頃、精神保健法という新しい法律が出来
精神疾患の患者の数の管理と共に家庭訪問が始まった。
昭和40年代は精神病というと、精神分裂病が主で神経を病むとかいう表現をし、
うつ病やストレス関連障害などという病名はなかった。
神奈川県の山奥で、精神科の医師と2人で家庭訪問をし、分裂病の当人に鍬を持って追いかけられた
経験がある。
その当時は精神分裂病はハンセン氏病と同じくひたすら世間から隠され
蔵や座敷牢に閉じ込められていた。
家族に分裂病があるとその姉弟は結婚からは遠ざけられた。
その病態ははっきりわからず、難しい分野で精神疾患は結核や伝染病、母子、などの
地域保健では同僚たちは苦手としていた。
25年前に企業に就職し、社員の健康はもちろん労働保険となるが、海外勤務者の健康や
メンタル保健が後発でその対象者はうつ病が多く、経済の発展に正比例し病んでいく社員が激増した。
5年前に退職するまでその対応に追われ、社内での健康管理のルールを作ることに
自分の職業生活は大半を費やした。
精神分裂病ほその間統合失調症と病名も変わり、病態も明らかにされ、治療法も変わった。
今でも100人に一人は発症する疾患であり、地域や治療機関により治療は大きな差もあり、家族は大変な
思いをしている。
ベニシアさんは娘さんの病気に向き合い、分裂病になると違う惑星に住んでいる
人間だと思うようになったという。
異なった惑星に住んでいれば住んでいるヒトもルールも違う。
それをこの地球のルールに合わせようとするから混乱する。
ゆっくりと、急がず、自分のペースで病気と向き合わねばならないと言う。
あの若かった頃の座敷牢に閉じ込められて一生を終えていた分裂病の人たちを思うと
医療の発展と世の中の情報の開示と絡み合い、今更ながらに胸が痛む。
天皇陛下ご夫妻が訪ねられたハンセン氏病も同じく時代の中で世の中から暴力を受け、埋もれて来た
病気なのである。
最近時間が経つのが早すぎるが、自分が生きてくるための仕事がやっと
自分にとってどうだったのか、思い出しながらわかるようになって来た。
長い職業生活では保健衛生関係に属し、今年退職し全く、その分野から遠ざかった。
無職の一般人として生活してみると色々見えてくるものもあり、長らく自分の人生を支えてもらった
職業に対しての自分の姿勢の変化も今になるとわかるものがある。
なるべく医療関係とは離れたいと思うが、今日のように長く続けた仕事にはやはり関心が出てしまう。
2年位前から京都、大原に住むベニシア、スタンリーさんのハーブの生活の番組に魅せられて毎週
視聴しているが初めの頃は何も知らないから、恵まれた外国人が憧れの京都での生活を営んでいる
くらいととらえていた。
それからは番組や書籍を通してベニシアさんは個人としての生活を紹介してきた。
自分と年齢も近いが自分の想像をはるかに越えた苦労を乗り越えて今に至っていること。
英国での高貴な生まれにかかわらず、自分の行き方をインドの生活を経て日本で見出した。
今日は長女のジュリーさんが14年も統合失調症を治療していること、家族としての向き合い方などを
番組で話していた。
見終わったあと、色々考えさせられた。
今から43年も前、神奈川県で新人保健師として勤務し始めた頃、精神保健法という新しい法律が出来
精神疾患の患者の数の管理と共に家庭訪問が始まった。
昭和40年代は精神病というと、精神分裂病が主で神経を病むとかいう表現をし、
うつ病やストレス関連障害などという病名はなかった。
神奈川県の山奥で、精神科の医師と2人で家庭訪問をし、分裂病の当人に鍬を持って追いかけられた
経験がある。
その当時は精神分裂病はハンセン氏病と同じくひたすら世間から隠され
蔵や座敷牢に閉じ込められていた。
家族に分裂病があるとその姉弟は結婚からは遠ざけられた。
その病態ははっきりわからず、難しい分野で精神疾患は結核や伝染病、母子、などの
地域保健では同僚たちは苦手としていた。
25年前に企業に就職し、社員の健康はもちろん労働保険となるが、海外勤務者の健康や
メンタル保健が後発でその対象者はうつ病が多く、経済の発展に正比例し病んでいく社員が激増した。
5年前に退職するまでその対応に追われ、社内での健康管理のルールを作ることに
自分の職業生活は大半を費やした。
精神分裂病ほその間統合失調症と病名も変わり、病態も明らかにされ、治療法も変わった。
今でも100人に一人は発症する疾患であり、地域や治療機関により治療は大きな差もあり、家族は大変な
思いをしている。
ベニシアさんは娘さんの病気に向き合い、分裂病になると違う惑星に住んでいる
人間だと思うようになったという。
異なった惑星に住んでいれば住んでいるヒトもルールも違う。
それをこの地球のルールに合わせようとするから混乱する。
ゆっくりと、急がず、自分のペースで病気と向き合わねばならないと言う。
あの若かった頃の座敷牢に閉じ込められて一生を終えていた分裂病の人たちを思うと
医療の発展と世の中の情報の開示と絡み合い、今更ながらに胸が痛む。
天皇陛下ご夫妻が訪ねられたハンセン氏病も同じく時代の中で世の中から暴力を受け、埋もれて来た
病気なのである。
最近時間が経つのが早すぎるが、自分が生きてくるための仕事がやっと
自分にとってどうだったのか、思い出しながらわかるようになって来た。