信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

忘れてはならない

2013年12月29日 21時58分16秒 | Weblog
夕方、ムコ殿のお弁当を作る。
毎夕仕事が終わった後入院中の妻と息子の元へ出かけていくムコに
せめてもの夕食を作る。
その後今年最後の温泉に入りに高遠の桜の湯に真っ暗な道を、出かけた。
流石に暮も押し詰まり夜の温泉は客も少ない。

家に帰り何気なくテレビのチャンネルを換えてBSで2013年歌謡祭なるものに目が留まった。
丁度自分の小学校から中学時代に歌った歌手が次々に登場する。
当時から余り変わらぬ女性歌手は十分若々しく、
年齢以上に男性歌手は酷く年を取ったなぁと変に感心した。

昔の歌手は安心して見ていられる。
しっかりした歌い方は年を取っても凛としている

しみじみしながら最後まで聞いたが、途中で東日本大震災の時の詩の朗読のあと
2011年3月11日をいつまでも忘れないでという言葉に胸が熱くなる。

続いて
新相馬節を歌う原田直之さんのその歌声にずんと鉛を心の中に打ち込まれたようで
、あの悲惨な2年前の震災を思い出す。
幼い頃から聞きなれた福島の民謡はふるさとDNAとなって埋もれている。

福島出身の3月11日生まれの自分だから、永遠に毎年誕生日が来るたびに追悼の日となるのだ。
新相馬節のあの物悲しい節回しにこれからも軽々しく生きていってはならないと
教えられた。

短い1年だった

2013年12月29日 14時01分54秒 | Weblog
11月が過ぎていくのが早すぎると思っていたが、12月は更に勢いを増して
もう年末だ。
今年は例年と違い、退職、農作業の手伝い、家の新築、引越し、ムスメの出産と続くわ、続くわでもう
暮れて行く。

古いものに別れを告げ、新しい生活に慣れていくが、その間知らなかったことに手を付けねばならない
困難さを山盛り経験した。
市町村、国の機関、その間を10月から何度足を運んだことだろう。
指導事項の違いを怒りと共にこの年の瀬には忘れねばならない。
リーマンショックでこの5年間はらはらしながら失った預金の金額だが、建築費用が支払いが終わった
途端どんどん外貨は上昇し,これまで悩んだのは一体なんだったんだと小市民の痛んだ胸はこれも損失が大きい。

まあ人生とーたるプラスマイナスゼロだから、これからに期待しようと年末だからこそ決心する。
新しい家だから大掃除などいらないでしょうと言われるが、人間生きている限り塵やごみは毎日溜まる。
大掃除はいらないが小掃除は必要だ。

これまでの長い間年末年始は料理や掃除などの時間にすべて取られ、寒さの中での
客のもてなしなどしっかり出来たかなと思い返す。
結婚して昭和50年代は専業主婦で、年始の客はいつも15、6人来たので姑に遠慮しながら
子供を背中にしょって
28日から1月4日まではほとんどおせち料理つくりともてなしのために台所で暮らした。

もうその時代も遥かに遠くなり、おせち料理も変化をしたし、NHKの朝ドラのご馳走さんを見ると
関西風ではあるがあの重ねられた重箱が懐かしい。
絶対的な体力があったあの若さは永遠に失い、今は仕事も離れ明日から出産後のムスメとマゴの
生活を預かる。

家の中での家事をするのに今年はとても良いBGMを見つけた。
常日頃はFM長野を聞きながら動き回っているが、原村も伊那も電波が悪い。
雑音が入り聴きにくく不便だが、アイパッドでのFMが海外まで入ってくる。
この数日は湘南ビーチFMが気に入っている。
独身時代に暮らした湘南、横浜の地名が飛び込んでくるし、間に流れる音楽が心地よい。
ディスクジョッキーも粋だ。
家の前に聳える中央アルプスの雪景色を見ると美しいが、気持ちはすくむ。
しかし湘南の詳しい土地の状況が流れてくるとふうんと当時を思い起こす。
温暖な湘南地方は今でも変わらず、今日は晴天で富士山がきれいだという。
思い起こせば若い時はお金がなかったが、思い出は豊富に残った。
学生紛争、安保闘争があったが、いい時代をすごせたと思う。

友人からお祝いに頂いたガラスの花器にお正月のための南天の木を飾る。
薪ストーブの上では金柑の実の甘露煮がそろそろ出来上がる。

明日からは赤ん坊の泣き声が登場だ。