2週間前の開催式を見て感動と共に始まったバンクーバーオリンピックが間もなく終わる。
2週間も経ったなんて・・・・。
ドキドキ、ハラハラしながら、おなじ人間と生まれて天と地ほどもの運動能力の差を感じ若い力に感動をもらっていた。
4年ごとに見る側も歳をとり、涙もろくなったのを感じる。
この選手は4年後は幾つ?
まだまだ頑張れるではないか。
では自分は?
もう60代後半に入る。
なんだか一気に歳をとって行く思いが湧き上がって来る。
そのことを思うと選手の並外れた努力と苦労に頭が下がる。
このオリンピックも終わるが、ムスメも後10日もすると駒ヶ根の収容所での訓練が終わる。
騒ぎに紛れてムスメがどん底生活の中で勉強をして、へこたれて危うい精神状態でいたのを
深く思いやることが出来なかった。
考えていた以上の短期間での困難な語学訓練に、
自分のこれまでの人生で最も勉強した期間になったという言葉を聞いても、励ますことも出来ず、ひたすらテストに合格できることを祈り、一喜一憂していた。
無事修了テストが受かれば修了式を迎え、あれよあれよと多分思っている間もなく、アフリカへ赴任していくのであろう。
何事も初めがあれば終わりもやってくる。
昨日新聞を読んでいたら、毎週三四六のマイクをペンに持ち替えてという記事が眼に入った。
アメリカで放浪生活をしていたときに日本人女性の社長に出会い、こう言われたそうだ。
「人生はね、両手一杯にキャンディーを拾い集める旅のようなものなの。
でね、旅を続けるうちにポロポロとキャンディーは両手の隙間から落ちていくの。
でも、人生の最も充実している時に手を広げて、たった一つだけ自分の大好きな味のキャンディーが残っていたら、その人生は誰が何と言おうと大成功だと誇れる人生なのよ」
この文章を読んでそうか、今のムスメはキャンディーをまさしく集めている最中か、
でも、ぼろぼろと落としてばかりいるように思える、本人も同じように思っているはず、
人生の一番充実していると思えるときが果たしてやって来るか?
色々考えても仕方がない。
旅はこれからも続く。
子離れしなくてはならないし、もうあなたは必要ありませんといわれたときが
子離れが成功した時であるから、それを期待しながら老いた母は生きていかねばならない。
自分も今は握った手をそっと開いてみるとそこには一個だけキャンディーが残っている。
今定年を過ぎても仕事をしているのはその為かもしれない。
先日も友人から娘さんを遠くに出して心配じゃないのと非難された。
私だったら絶対に反対するわと。
けれど娘が選んだ道だし、キャンディーを拾い集める旅を続けるのは眼に見えているので
反対も出来ない。
努力はまだまだ続くであろう。
今日はいきなり雪が降ったが、日当たりの良い木の下で、福寿草が咲き始めた。
2週間も経ったなんて・・・・。
ドキドキ、ハラハラしながら、おなじ人間と生まれて天と地ほどもの運動能力の差を感じ若い力に感動をもらっていた。
4年ごとに見る側も歳をとり、涙もろくなったのを感じる。
この選手は4年後は幾つ?
まだまだ頑張れるではないか。
では自分は?
もう60代後半に入る。
なんだか一気に歳をとって行く思いが湧き上がって来る。
そのことを思うと選手の並外れた努力と苦労に頭が下がる。
このオリンピックも終わるが、ムスメも後10日もすると駒ヶ根の収容所での訓練が終わる。
騒ぎに紛れてムスメがどん底生活の中で勉強をして、へこたれて危うい精神状態でいたのを
深く思いやることが出来なかった。
考えていた以上の短期間での困難な語学訓練に、
自分のこれまでの人生で最も勉強した期間になったという言葉を聞いても、励ますことも出来ず、ひたすらテストに合格できることを祈り、一喜一憂していた。
無事修了テストが受かれば修了式を迎え、あれよあれよと多分思っている間もなく、アフリカへ赴任していくのであろう。
何事も初めがあれば終わりもやってくる。
昨日新聞を読んでいたら、毎週三四六のマイクをペンに持ち替えてという記事が眼に入った。
アメリカで放浪生活をしていたときに日本人女性の社長に出会い、こう言われたそうだ。
「人生はね、両手一杯にキャンディーを拾い集める旅のようなものなの。
でね、旅を続けるうちにポロポロとキャンディーは両手の隙間から落ちていくの。
でも、人生の最も充実している時に手を広げて、たった一つだけ自分の大好きな味のキャンディーが残っていたら、その人生は誰が何と言おうと大成功だと誇れる人生なのよ」
この文章を読んでそうか、今のムスメはキャンディーをまさしく集めている最中か、
でも、ぼろぼろと落としてばかりいるように思える、本人も同じように思っているはず、
人生の一番充実していると思えるときが果たしてやって来るか?
色々考えても仕方がない。
旅はこれからも続く。
子離れしなくてはならないし、もうあなたは必要ありませんといわれたときが
子離れが成功した時であるから、それを期待しながら老いた母は生きていかねばならない。
自分も今は握った手をそっと開いてみるとそこには一個だけキャンディーが残っている。
今定年を過ぎても仕事をしているのはその為かもしれない。
先日も友人から娘さんを遠くに出して心配じゃないのと非難された。
私だったら絶対に反対するわと。
けれど娘が選んだ道だし、キャンディーを拾い集める旅を続けるのは眼に見えているので
反対も出来ない。
努力はまだまだ続くであろう。
今日はいきなり雪が降ったが、日当たりの良い木の下で、福寿草が咲き始めた。
今日からも頑張りたいと思います。
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