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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

細かい心使ひに博士の人柄が現はれてゐる(小島祐馬)

2025-04-06 00:10:13 | コラムと名言
◎細かい心使ひに博士の人柄が現はれてゐる(小島祐馬)

『回想の河上肇』(世界評論社、1948)から、小島祐馬の「読書人としての河上博士」という文章を紹介している。本日は、その六回目。手翰引用中の〔以下略〕は、原文にあったものである。

 この度は私は羅振玉氏の殷虚文字に賊する新研究に本づき、富は『説文』に謂ふ如く単に音を表はす符号では無く、神を祭る際の尊即ち酒器の象形ではあるまいかと言つて、それから出て来る福と富との意味の変遷を詳しく書いてあげたやうに記憶する。それに対し更に一月二十九日の手翰が到来してゐる。

 拝啓昨日は参上長時間御邪魔仕り欠礼致候同志社大学の近状は新聞紙上にて御承知の通り甚面白からざるもの有之此間に在りて瀧本氏の苦心も容易ならざるもの可有之と存じ聊か〈イササカ〉同情致居候参堂の折御願致申せし件何分早急之御願にて御当惑の御事と奉存候へ共御差繰下候て同志社の為め御助力被為下候はゞ大幸に奉存候猶適日は富及福両字之意義に就て御懇篤なる御示教を辱う致洵に感謝に不禁〈タエズ〉候御来諭の如く羅氏の説は最も適切なる様に被存申候これならば小生も当分そのまゝ受け入れて安んじ得るやに覚え欣喜無量に奉存候右に就ては昨日拝眉の折篤と御礼申上度存居りし事に御座候へ共実は其前日経済読書会にて瀧本教授より字義之詮索は無用なりとの事に付〈ツキ〉大分強烈なる御話出で候ひし事故同氏と同席致して字義談持ち出し候事は相控え候方可然〈シカルベシ〉と存じ簡単なる御礼申上候のみに止めおき候然るに帰来〔帰ってから〕聊か意を安んぜず殊に只今も貴諭重ねて拝読洵に〈マコトニ〉愉快に存候為に茲に以書中〈ショチュウヲモッテ〉重ねて御礼申上候〔以下略〕 火曜日夜 河上 肇

 これは私に同志社大学の特別講義を委嘱したいといふ瀧本誠一氏を同道して来られた翌日の手翰であつて、随つて最初の部分はその事に及んで居るが、富と福とに就いてはこれが三度目の来書である。この一事に由つて観ても博士が平生いかに字義の穿鑿にまでも意を用ひて居られたかが想像し得らるゝと共に、私にものを尋ぬるかたはら私の師事してゐる狩野〔直喜〕先生にも同じことを尋ねたからとて、特に細かい心使ひをされたり、学問上の態度を異にする瀧本氏の前で自ら信ずる所を言ふを遠慮せらるゝなど、博士の人柄がよく現はれてゐて誠にゆかしく思はるゝのである。
 後年博士は学説上人道主義を清算してマルクス主義一点張りとなつたが、それでも博士の研究態度には変化はなく、『資本論』中の一字一句の意味に就き櫛田〔民蔵〕君と五に検討して居られるのを屡〻目撃したことがある。或時櫛田君は、「四書や五経の一言一句に種々の註解が並び行はれてゐるやうに、『資本論』も最早古典となつた以上一言一句に異義の出るのは已む〈ヤム〉を得ない」と言ひ出し、博士も之を是認せられてゐたやうな事もあった。〈23~24ページ〉【以下、次回】

 文中に「私の師事してゐる狩野先生」とある。狩野直喜(かの・なおき、1868~1947)は、中国学者、京都帝国大学名誉教授。その教え子に、武内義雄・小島祐馬・倉石武四郎・吉川幸次郎・宮崎市定といった人々がいる。
 ここで小島が指摘しているように、河上肇は、人間関係において、「細かい心使ひ」のできる人だった。そして、河上の「細かい心使ひ」に気づくことのできた小島祐馬もまた、「細かい心使ひ」のできる人だったと思う。

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狩野直喜博士が見えられ雑話された(河上肇)

2025-04-05 04:10:03 | コラムと名言
◎狩野直喜博士が見えられ雑話された(河上肇)

『回想の河上肇』(世界評論社、1948)から、小島祐馬の「読書人としての河上博士」という文章を紹介している。本日は、その五回目。

 河上博士がスマートの『一経済学者の第二思想』を『経済論叢』に紹介せられたのは大正六年〔1917〕二月であつて、此の手翰の日附よりは一ケ年近くも前のことであるが、博士のその文を読んでから私はロンドンに居た友人に頼んで、此書を二部取寄せ、御自身に此書を蔵有してゐられなかつた博士に一部を呈上したので、手翰の冒頭この事に及んでゐるのである。スマートの手紙の一節を引いたのは、スマートの著述に精進する態度が此頃の博士の研究に没頭せられてゐた気持とピッタリ一致するものがあった為めであらう。質問を受けた富と福との関係について私から一応返事を出して置いたと見え、二三日して次の手翰を寄せられてゐる。

 拝啓芳墨恭く拝誦仕候扨て〈サテ〉昨日狩野〔直喜〕博士当室に見えられ午後二三時間御雑話なされ候其折例之富に就て相尋ね候処大体過日の貴諭と同じやうの事相承り申候只富の義に就て之は単に音を表す為のものなるべく例へば副逼輻等皆然りとの説のみは新らしく承りたる事のやうに存申候右は態〻〈ワザワザ〉御報〈オシラセ〉可申上〈モウシアグベキ〉程の事には無〈ナク〉御座候へ共〈ドモ〉只小生より直接に狩野博士之御意見をも相尋ねたる次第一応申上おき度〈タキ〉為其一筆如此〈カクノゴトク〉御座候狩野博士よりはいろいろ支那人の思想に就て承り申候ミルを中心として経済学の一転化して功利主義と手を分つの機運生ずるに及びては英国一流の経済学者の見地は支那流の思想と相通ずるもの甚だ少からざる事頗る〈スコブル〉興味ありと覚え申候此事ば毎々〈マイマイ〉学兄よりも御漏し被下居〈クダサレオリ〉たる事に御座候へ共狩野博士よりも全く同様の事承り愉快に存じ申候 匆々頓首 一月十八日夜 於研究室 河上 肇 〈21~23ページ〉【以下、次回】

 ここで小島は、「質問を受けた富と福との関係について私から一応返事を出して置いたと見え」と書いている。1月15日付の手紙で、河上は、「拝眉の折の願意を明かにする為め冗言相認申候」としていたが、その意を察した小島は、すぐに、「富と福との関係について」説明した手紙を書き送った。それから「二三日して」、1月18日付の河上の手紙を受け取ったというわけである。

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人間ヲ道徳的ニ向上セシムル物ハ凡テ富(河上肇)

2025-04-04 00:32:22 | コラムと名言
◎人間ヲ道徳的ニ向上セシムル物ハ凡テ富(河上肇)

『回想の河上肇』(世界評論社、1948)から、小島祐馬の「読書人としての河上博士」という文章を紹介している。本日は、その四回目。

 次いで大正七年〔1918〕一月十五日の手翰には左の如きものがある。

 拝啓一昨日は御邪魔仕〈ツカマツリ〉候其折はスマート氏の名著御恵贈被為下〈クダセラレ〉恭く〈ウヤウヤシク〉厚く御礼申上候右は嘗て寵賜〈チョウシ〉を辱うせし曾文正公家書と共に永く坐右に備へて宝典と可致〈イタスベク〉候只今小閑を得てスマート氏の遺著を披見罷在〈マカリアリ〉候序文になり居る氏の小伝中一九一二年七月十七日の日附の書簡を只今重ねて一読再読致申候其文を録せんが為に今日はペンにて欠礼致候
 To the Devil with your‘rest' ! Isn't the grave long enough? A young man has no need of rest. An old man has no time for it.……The book is important for the world, therefore I have no time for amusing myself; and I have no time for any other duties either. I have absolutely forgotten how to be idle. (p. lii)
 如何にも興味ある書簡と奉存候
    *    *    *
 過日申上候Wealthの字義に関しCannan氏は次の如く申居候
 〔このところCannanの“Production and Distribution”第一頁を引く、文長けれに之を略す〕
 又脚注に Skeat, Etymological Dictionary, s.v.
 Wealth:“An extended form of Weal (ME wele),by help of the suffix-th, denoting condition for state; cf. heal-th from heal, dear-th from dear,”etc.
 小生は本学年度の講義に於て左の如く申置候
 『余ハ人間ニ向ツテ外部ヨリ福ヲ齎ス〈もたらす〉物体ヲ総称シテ、之ヲ富ト謂ハント欲ス。然ラバ茲ニ福トハ如何ナルハモノナリヤト云フニ、之ニ就テハ蓋シ時代ヲ異ニシ社会ヲ異ニスルニ従ツテ、又同ジ時代同ジ社会ニ在リテモ人ヲ異ニスルニ従ツテ、其見解同ジカラザルシト雖モ、姑ク〈しばらく〉余ノ信ズル所ヲ述ブレバ、人間ガ道徳的ニ向上発達スルコト之ガ人間トシテ真ノ福デアル。故ニ余ノニ従へバ、人間のbody及ビmindノ健全ナル発達ヲ助長シ、依ツテ以テ人間ヲバ道徳的ニ向上セシムル作用ヲ為ス物ハ、凡テ之ヲ富ト云フ。……』
 斯様に考へ来る事に依つて福と富の関係は英語にてWealとWealthとの関係に類したるものなきやの疑問を生ずるに至り申候富とは如何なる意昧のものなりや御序〈オツイデ〉の折御心当の御事共〈オンコトドモ〉御座候折示教なし被下〈クダサレ〉候はば至幸奉存候 先〈マズ〉は御礼旁〻〈カタガタ〉拝眉の折の願意を明かにする為め冗言相認〈シタタメ〉申候 勿々不具 一月十五日午後 河上 肇拝
 (追白) 小生の嘗て翻訳致せしセーリグマン氏の「経済的史観」の中に左の如き文句有之候
 〔同書第一二七頁を引<、文長ければ略す〕
 過日御話有之候「貴」「賤」の原意など思ひ浮べて右序に御目にかけ申候〈19~21ページ〉【以下、次回】

 手紙の最後で、河上は、「御礼旁〻拝眉の折の願意を明かにする為め冗言相認申候」と書いている。御礼かたがた、一度、ご挨拶に伺うことになるが、そのときにお教えをたまわる問題の主旨を、あらかじめ書き送りました」といった意味だろう。たぶん河上には、このあと小島を訪ねる予定はなく、手紙で回答してもらうことを希望していたのだろうが、そうは書かない。何とも巧みな言い回しである。
 なお、河上肇は、1879年(明治12)生まれであり、1881年(明治14)生まれの小島祐馬より二歳年長である。

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『曾文正公家訓』中の手紙は校勘されている(小島祐馬)

2025-04-03 00:11:51 | コラムと名言
◎『曾文正公家訓』中の手紙は校勘されている(小島祐馬)

『回想の河上肇』(世界評論社、1948)から、小島祐馬の「読書人としての河上博士」という文章を紹介している。本日は、その三回目。
 小島は、ここで、曾国藩の書簡を引用している。その際、前後の一行を空けることはしていないが、このブログでは、前後の一行を空けておいた。

 この文面によつて観ると、曾国藩がその子紀澤及び紀鴻に与へた手紙を集めた『曾文正公家訓』の中から、習字に関する注意数項を書抜いて私から博士に送つて上げたものと見える。書中に引用せらるゝ文は同治五年〔1866〕正月十八日紀鴻に与へた手紙の一節であるが、これは青柳氏引用の文を原文とし、私から送つて上げた文によつて一々精密に校勘せられたものである。習字は河上博士に在りても亦た一の末技に過ぎず、而も一旦之を研究するとなれば如此〈カクノゴトク〉周到なる用意を怠らない。書中に引かれてゐる私の曾国藩を評した言葉は、やがて其の侭移して河上博士に対する評語に充てることが出来るのである。「読書骨相人相を変換するの説」といふのは、やはり右の『家訓』中同治元年〔1862〕四月二十四日紀澤紀鴻両人に宛てた手紙の中に在る次の文句のことである。

 人之気質 由於天生 本難改変 惟読書則可変化気質 古之精相法 幷言読書可以変換骨相 欲求変之之法 総須立堅卓之志……古称金丹換骨 余謂立志即丹也

 この文句は余程強く博士の印象に残つてゐたと見え、晩年刑務所を出られて中野に居られた頃、「或人から揮毫を依頼せられたが、いつぞや聞いた曾国藩の読書骨相人相を変換するといふ説が大変面白いので、あれを書いてやりたいから全文を筆写して送つてもらひたい」といふ意味の手翰を受取つたことがあつた。その頃の博士は大学の研究室に閉ぢ籠り、入口に「只今多忙」の札を掲げて読書執筆に専念せられて居り、大概の用件は近所に住んでゐた私などへも多く郵便で言つて来られてゐる。学問上に於いてスミスとマルクスとに傾倒された博士は、研学の態度に於いても此の両者の後を追はんと努力されてゐたもののやうであつた。〈16~19ページ〉【以下、次回】

 曾国藩がその子息に与へた手紙は、「青柳氏」が引用しているものが「原文」であり、『曾文正公家訓』にあるものは、家訓自身の手で「精密に校勘せられたもの」というのが、小島祐馬の見解である。
 小島から、そのことを教えられた河上は、気になっていた疑問が解消できて、さぞ喜んだに違いない。
 ところで、『曾文正公家訓』には、武内義雄による翻訳がある。これによって当該箇所(同治五年正月十八日)を読んでみると、小島が河上に書き送った「家訓」の文章(校勘せられたもの)が、ある程度、復元できる。おそらくそれは、次のようなものだったと思う。

 ……毎日習柳字百個 単日以生紙臨之 双日以油紙摹之 …… 数月之後手愈拙字愈醜 意興愈低 所謂困也 困時切莫間断 …… 再熬再奮 自有亨通精進之日 不特習字 凡事皆有極困極難之時 打得通的便是好漢 ……

 曾国藩(そう・こくはん、1811~1872)は、清代末期の政治家。『曾文正公家訓』の「文正」は、その諡(おくりな)である。『曾文正公家訓』には、武内義雄による翻訳があるが、その紹介は一週間ほどのちに。

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お蔭にて原文拝読あい叶ひ……(河上肇)

2025-04-02 00:01:55 | コラムと名言
◎お蔭にて原文拝読あい叶ひ……(河上肇)

『回想の河上肇』(世界評論社、1948)から、小島祐馬の「読書人としての河上博士」という文章を紹介している。本日は、その二回目。
 小島は、この文章で、たびたび、河上肇の書簡を引用している。その際、書簡の部分を「一字サゲ」にしているが、前後の一行を空けることはしていない。以下、このブログでは、書簡が引用される場合は、前後の一行を空けることにしたい(一字サゲはしない)。

 大正六年〔1917〕八月二十七日の手翰にかういふのがある。

 拝啓愚書差上げ御清閑を妨げ候ひし事と恐縮罷在〈マカリアリ〉候処右に付御懇書〔おてがみ〕頂戴更に恐縮の至に奉存〈ゾンジタテマツリ〉候但し御蔭にて原文拝読相叶ひ〈アイカナイ〉大幸〈タイコウ〉に御座候青柳氏引用の習字に関する家訓の一節は御示〈オシメシ〉之個所に相違無御座と存候へ共多少相違致候哉〈ソウロウヤ〉に覚え候まゝ只今比較致候に果して左の如く異り居申〈オリモウシ〉候
 汝【コノ字ナシ】毎日習柳字百個 単日以油紙摹之【双日ノ所ト入レ違ふ】 双日以生紙臨之○【コヽ脱】数日【月】之後○【「手愈拙」ヲ脱ス】字愈醜 意興愈低 所謂困也 困時○【切字脱】勿【莫】間断○【コヽ十二字脱】再困【熬】再奮 愈窮愈熬【ナシ】 則必有通達【自有亨通】精進之日 不啻【特】習字 凡事皆有極困極難之時 打得通的便是好漢
 何故斯かる差異ある事にやと疑はれ申候但し此点に関して重ねて御懇諭を仰がんとには非ず只拝謝の意を表するが為に之を貴覧に供し候のみ
 小生は〔曾〕国藩其人に就て全く知る所なく其文章も始めて読みたる事に御座候へ共実一二片の鱗にて其大きさも想像相出来候やうに感じ愉快に覚えたる事に御座候貴諭に「習字ハ国藩ニ在リテハ一ノ末技ニ過ギズ而モ其刻苦精励工夫ヲ凝ラスコト如此可欽之至」と有之候は真に同感の至〈イタリ〉に御座候 近来の学生総じて我侭〈ワガママ〉にてこの刻苦精励工夫に力を用ふること乏しく竊に〈ヒソカニ〉歎息罷在候処に御座候 読書骨相人相を変換するの説真に愉快なりと奉存〈ゾンジタテマツリ〉候畢竟〈ヒッキョウ〉骨相人相を変換する底〈テイ〉の学に非ずんば学にして学に非ずと可申〈モウスベク〉候はん歟〈カ〉
 小生近頃次第に思ふには経済学史上に在りてはアダム・スミスとカール・マルクスとを以て斯界第一等の人と為すべく而して前者のWealth〔国富論〕と後者のKapital〔資本論〕とは真に斯学のバイブルと為すべし古往今来斯学に関する著述にして之に及ぶもの絶えてあるなし片々たる近刊の書の如きは尽くこれ日下の燈〈ニッカノトウ〉也 而かもスミスもマルクスも共に天才には非ず只刻苦精励の功を積むこと尋常一様に非ざりしのみWealth もKapitalも共に著者の胸中に在ること数十年著者の血液一滴毎〈ゴト〉に一行を成せしもの此の如きは実に人界の宝也古来才人多けれども此の二人者の如く一生を通じて一著述の為に心血を注き竭し〈ソソギツクシ〉たるものあるを見ず思ふに「刻苦精励工夫ヲ凝ラスコト」学問に従事する者の第一の心得に候ふべし 御示教を辱う〈カタジケノウ〉し感謝の至に存候がまゝに覚えず迂愚〈ウグ〉之言をつらね申候御笑覧被下度〈クダサレタク〉候 敬具 八月二十七日朝研究室にて 河上 肇 〈16~18ページ〉【以下、次回】

 あるとき河上肇は、曾国藩の「習字に関する家訓」というものを読んだ。「青柳氏」が、ある文章の中で、これを引いていたのである。原文で、その「家訓」を読みたくなった河上は、小島祐馬に相談し、曾国藩の「原著」に載っているものを送ってもらった(小島は、原著から、当該部分を筆写したという。後述)。ところが、小島から送られてきた「家訓」は、青柳氏が引いているものと、字句にかなりの相違があった。
 河上は、そのことが気になって、ここに引かれている手紙を書き送った。字句の相違を報告している部分は非常に読みにくいが、まず、小島から送られた「家訓」を引き、それに傍線とルビを施す形で、青柳氏が引いている「家訓」との違いを説明しているらしい。
 河上は、手紙の中で、「何故斯かる差異ある事にやと疑はれ申候、但し此点に関して重ねて御懇諭を仰がんとには非ず」と述べている。しかし、「此点に関して」、小島から懇ろなる教示を聞かずにはいられない、というのが本当のところだったのだろう。

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