礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

松本文三郎の「支那に於ける印度音訳字」を読む

2024-11-17 01:35:07 | コラムと名言
◎松本文三郎の「支那に於ける印度音訳字」を読む

 先月、神保町の某古書の均一棚にあった、松本文三郎著『仏教史雑考』(創元社、1944年4月)を買い求めた。定価(税込)5円82銭、古書価100円。
 松本文三郎(まつもと・ぶんざぶろう、1869~1944)は、仏教学者、京都帝国大学名誉教授。1944年(昭和19)12月に亡くなっているので、『仏教史雑考』は、生前最後の著書ということになる。
 同書には、かなり専門的な論文十二本が収録されている。うち、「支那に於ける印度音訳字」は、1933年(昭和8)10月7日に懐徳堂でおこなわれた講演の記録を起したもので、わかりやすく、かつ興味深い内容になっている。初出は、『懐徳』第12号(懐徳堂堂友会、1934年10月)で、初出時のタイトルは、「支那に於ける印度音訳字の二三に就て」であった。
 本日以降、何回かに分けて、この講演の記録を紹介してみたい。

  支那に於ける印度音訳字

 いかなる処にあつても、国と国との間に交際が始まり或は一民族と他の民族とが往来をするやうになると、その一地方の言葉が自然他の地方に輸入されるものであります。殊に物品の如く一国には存在するが他の国には全く無いといふやうなものがあれば、必ず其有る処から無い処へ転じ来り、而して其時には物品と同時にその名称までも伝はつて来るものである。本来輸入国には其物品がなかつたのであるから、之を言ひ表はす言葉もない、で外国の名称そのまゝを伝へるより外〈ホカ〉途はないのであります。
 日本に於ても、始めて支那と交際した時には支那の言葉が沢山日本語の中に入つて来ました。而して数千年来民間に用ひられると、終ひ〈ツイ〉にはそれが日本語であるのか、外国の言葉であつたのか殆んど民間では知らない位普及し、通俗化して来ます。例へば馬であるとか、茶であるとか、梅であるとかいふ言葉は皆外国から入つて来たものであります。此頃は余り用ひないやうですが、私共の子供の時分には街道を往還と云つてをりました。又今日でも一般に行李〈コウリ〉といふ語が用ひられてをります。此等は随分難しい語ですが我国でも普通民間で使つてゐるのであります。それからヨーロッパ諸国と交際するやうになつてからは、又色々の言葉が沢山入つて来ました。今日に於ては外国語を使ふ方が却つてハイカラのやうに感じられてゐるので、同じ日本語で言ひ表はし得る言葉でも、諸種の外国語を使つてゐるやうな時代でありますが、これも久しい中〈ウチ〉には終ひには日本化し、日本語か外国語か判らないやうにもなりませう。
 支那に於ても矢張りその通りであります。殊に支那は古来色々の国と交際してゐたし、又其歴史も長いものでありますから、諸方の国土から諸種の言葉が沢山入つて来てをります。今より十数年前(一九一九年)ラウファー(Laufer)といふ人がシノ・イラニカ(Sino-Iranica)といふ書物を書いてをりますが、これは支那語の中に混入してゐる主としてペルシア系統の言葉を選び出し、其語源や歴史を説いたものであつて、此書の中には植物、果物、さういふ名称が約六十種以上も出てゐて、吾々には非常に興味ある書物であります。このイラン系統のものばかりで而もそれは普通民間に使はれてゐる草木とか、果実とかいふ類〈タグイ〉のものだけで六十以上もあるのでありますから、其他にもまだ幾らあるか殆んど判らないのであります。之によつても、如何に多数の外国語が支那に輸入せられ支那化してゐるかといふことが判るのであります。又仏教が支那に伝はつてからは、仏菩薩を始め仏教特殊の言葉、涅槃とか菩提とかの熟語乃至印度・西域地方の植物や動物其他種々の物品の名称が沢山支那に入つて来たのであります。
 殊に仏教には五種不翻〈ゴシュフホン〉の言葉といふものがあります。これは必ずしも皆翻訳出来ないものでもありませんが、翻訳し難いもの、又は翻訳すれば却つて誤解を招き易いもものであるから、此等は翻訳せずに原語のまゝ唯音字で之を写してゐた言葉であります。所謂五種不翻の語とは、一つが秘密の言葉であつて、例へば仏経には陀羅尼〈ダラニ〉とか咒〈ジュ〉とかいふものであります。これは、飜訳すれば出来ないこともないが、強ひて訳した所で其意味がはつきりしないものである。それで原語のまゝで伝へておく方が寧ろ安全であり又何となく有難味があるので、敢へて翻訳しなかつたものであります。第二には多義の語であります。何処の国でもさうですが、一つの字で色々の意味をもつてゐる言葉がある、これを支那語に訳すると一つの意味しか現はされない、それでは本当の原語の意味を尽くさぬ事になる。例へば摩訶般若の摩訶といふ字の如きは「大」といふ義と,其外「勝れたる」とか「多い」とかいふ意味がある。それを支那の言葉で単に大と訳するだけでは、他の意味が隠れて現はれて来ない。さういふ意味の多い字は特に原語をそのまゝ使つてゐる。第三は支那に無いところのもの、これは物品の名称のやうなもかであつて、例へば瑠璃とか玻璃とかいふものは支那には無かつたものである。それで其名称も本国のまゝ伝はつてゐる。動植物でも同様である。それから第四には古例に従ふといふものである。昔の翻訳者が翻訳しないで原語のまゝ残した言葉、例へば菩提とか菩薩とかいふ類である。「菩提」は「覚」、菩薩は「覚したるもの」といふ意味である。今之を覚者と訳すれば、普通先覚者などといふ時の覚者と同様に解せられる惧れ〈オソレ〉がある。しかしこれは本来仏教特殊の意義を有するのであるから、此誤解を避けるため原語そのまゝの音を写しておくのである。それから第五は善を生ずるためといふのである。例へば般若〈ハンニャ〉といふ言葉は仏教で屢〻用ひます。般若は智慧である。智慧と訳せばよいが、俗間の智慧と混同し易い、而して仏教の真正な智慧をも之と同様に見る嫌〈キライ〉がないでもない、で原語のまゝ遺して特別に解釈しておく方がよい。かういふ風で翻訳の出来る言葉でも、翻訳しないといふものがある。斯くして外国語が仏教の輸入と共に沢山入つて来たのであります。仏教経典の中には、印度語の言葉の音で写されてゐるものが、どれだけあるか殆んど判らない位沢山あるのであります、而して仏教思想が民間に流布するに随つて、此等外国語が俗間にも亦屢〻用ひられるやうになつたのであります。〈229~232ページ〉【以下、次回】

*このブログの人気記事 2024・11・17(8・9位は、ともに久しぶり、10位に極めて珍しいものが)
  • イカヅチの語源は、霓突(ik. tut.)である
  • 一方では日本語として、一方では漢語として
  • 日本語はどうしてできあがったか
  • 松村任三著『溯源語彙』(1921)について
  • 籠目紋はイスラエルの国章
  • ハムラビ時代、Salmeという女性神官の階級があった
  • 「独」は、犬(dog)の単独性を意味する
  • 市民ケーンは反資本主義者だったのか
  • 「変体仮名」廃止の経緯(春日政治『国語叢考』より)
  • 昭和16年の運転免許実地試験と学科試験



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イカヅチの語源は、霓突(ik. tut.)である

2024-11-16 00:12:20 | コラムと名言
◎イカヅチの語源は、霓突(ik. tut.)である

 松村任三著『溯源語彙』(私家版、1921)の紹介をしている。昨日は、その「凡例」を紹介した。しかし、それだけでは、この本のイメージは伝わらなかったと思う。本日は、同書の3ページの内容を紹介してみたい(内容の紹介は、このページのみ)。

Ika-duti(イカヅチ)
 霓 ik. a clap of thunder
 突 tut. bolt
Yina-bika-li(イナビカリ)
 雲 yin. clouds.
 澼 pik. to brighten.
 离 li. bright
Tina-dama(イナダマ)
 雲 yin. clouds.
 ☆ dom. to scorch.
Yina-duma(イナヅマ)雲 
 雲 yin. cloucls.
 □ dum. the aspect of flame
Ame(アメ)
 霪 am. a long and drenching rain.
Ito-yap(イトユフ)
 圛 it. mints and vapours ascending in their revolving flecks.
 迂 yup. vast, distant, wide, spacious.
Kiri(キリ)
 烝 kir. mint.
Hi-muka-shi(ヒムカシ)
 曦 hi. the light of day.
 日 muk. to eye.
 西 shi. west
Ni-shi(ニシ)
 日 nih. the sun.
 西 shi. west.
Min-nami (ミナミ) 
 面 min. the south.
 南 nam. the south,
Kita(キタ)
 極 kit. applied to the noon when in 癸 or north.
At-sa(アツサ)
 燠 at. warm.
 材 sa. nature.
Sam-sa(サムサ)
 銑 sam. chilly, raw, as weath¬er.
 材 sa, nature.
Moia(モヤ)
 ■ moi. foggy.
Mura-same(ムラサメ)
 猛 mur. strong, excessive in any way.
 霎 sam. a passing rain.

 この本は、第1ページから第230ページまで、終始一貫、こうした方法で、日本語の言葉の語源を「漢語」によって説明してゆく。
 上記のうち、☆は、譚という字のゴンベンが、火ヘンになっている字、□は、ヘンが火、ツクリが冬という字、■は、雨カンムリに蒙という字である。いずれも、ワードでは出せなかった。
 著者の説かんとするところは、かなりつかみにくい。要するに、イカヅチの語源は、漢語の霓突(ik.tut.)であり、ヒムカシ(ひんがし=東)の語源は、同じく漢語の曦日西(hi.muk.shi.)である等々を、著者は、このような形で説明しようとしたのである。

*このブログの人気記事 2024・11・16(8位になぜか柏木隆法氏、9・10位は、ともに久しぶり)
  • 松村任三著『溯源語彙』(1921)について
  • 日本語はどうしてできあがったか
  • 罵倒するのでなく正説を示していただきたい
  • 一方では日本語として、一方では漢語として
  • 籠目紋はイスラエルの国章
  • ハムラビ時代、Salmeという女性神官の階級があった
  • 「独」は、犬(dog)の単独性を意味する
  • 研師としての柏木隆法氏(その2)
  • 呉智英氏の『吉本隆明という「共同幻想」』を読む
  • 二・二六事件を事前に予知していた三井・三菱



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松村任三著『溯源語彙』(1921)について

2024-11-15 02:33:08 | コラムと名言
◎松村任三著『溯源語彙』(1921)について

 植物学者・松村任三(まつむら・じんぞう、1856~1928)に、『溯源語彙』(1921)という私家版がある。このことは、山中襄太の『国語語源辞典』に教えられた(当ブログ、今月4日の記事参照)。
 国立国会図書館のデジタルコレクションで、その『溯源語彙』を閲覧してみたところ、これが驚くべき内容の本であった。松村任三は、著名な植物学者であるが、その松村が、このような「奇書」を上梓していたことは、ほとんど知られていないと思う。
 本日は、『溯源語彙』の「凡例」を紹介してみたい。なお、この本は、左開き、本文ヨコ組みの本であるが、巻頭にある「凡例」はタテ書きで、左の行から読ませるようになっている。このようにして書かれた文章は、この歳に至るまで見たことがなかった。なお、改行は、原文のままとした。
   
    凡  例

一 羅馬字ハ母音ト子音トノ区別アルガ故ニ語源ヲ研究スル上ニ於テ遥ニ我ガ仮名
 字ニ優レリ故ニ本編ニ於テハ国語ヲ皆羅馬字ニテ表ハセリ
一 例へバハタラク(働)ト云フ動詞ハ旧説ニヨレバハトタトラトクニテ成レルガ如ク
 思ヘリシ人多カレドモ其語源ハ活(ha)力(lak)ノ二字音ニシテ此間ニ母音ヲ以テ
 調和スルガ故ニ hat(a)+lak ト書くベキナリ ha-ta-la-ku ト書くベカラズ之ヲ名
 詞トスルニハlak+i ノ如ク(i)ヲ加フレバ足レリ(u)ガ(i)ニ変ゼリナド云フ
 ヲ要セズ一語ノ講成一目瞭然タルノ便宜アリ
一 従来羅馬字者流ノモノセル書方ニヘボン流トカ日本式トカ云フモノアレドモソハ
 単ニ仮名五十音ヲウツスダケノモノニテ語源ニハ全然関係ナク無意義ノモノナリ
一 本編ニ於テハ言々語々スベテ語源ニ基キテ書キタルモノナレバ同ジシノ仮名ヲ表
 ハスニモ(shi)ヲ以テスルアリ或ハ(si)ヲ以テスルガ如ク又チノ仮名ヲ表スニモ
 (chi)モアレバ(ti)モアリ或ハ(tsi)モアルガ如ク彼レ者流ノ如ク画一的ノモノナラ
 ズ故ニ日本式ニ似テ日本式ナラズへボン流ニ似テへボンナラズ(shi)ニハ(shi) ノ一
 語ノ義アリ(si)ニモ(si)ノ字義アリ既ニ一字ニシテ一語ヲ成セル語源ナルガ故ナ
 リ其他(ji)アリ(dzi)アリ(dzu)アリ(zu)アリ(tsz)アリ(tsu)アル等皆之ガ為ナリ
一 羅馬字者流ノモノセル一語ノ綴方ハ唯五十音中ノ音ヲ以テ列スルノミニテ語源ノ
 何物タルヲ知ラザルガ故ニ其一語一言ノ切リ方ハ大概違ヘリ場合ニヨリテハ
 ha-ta-la-ku ト切ルガ如キ是ナリ
一 本編ハ古語俗言ノ別ナク名詞ノミヲ輯ムルガ故ニ其分類法ハ極メテ大凡ニテ天文、
 地理、人事、禽獣、草木等其他細別スレドモ元来言語排列ノ事ナレバ或ル微妙ノ関
 係上ヨリ次第スルコト往々之アリ素ヨリ正確ノ分類法ト云フべカラズ
一 字義ヲ解釈スルニ英語ヲ以テセルハ漢語ノ漠然タルニ反シテ意義明瞭ナルガ故ナ
 リ而シテ其英語ハ一ニ漢英韻府所載ニヨレリ予ノ附会セルモノ一モアルコトナシ
一 巻末ニ索引ト画引表トヲ附属セシメムハ著者ノ計画ナリシガ当今工賃騰貴ノ際ト
 テ印刷ノ費用容易ナラズ著者ニ於テ堪フル所ニアラズ止ムヲ得ズ之ヲ省クコトト
 セリ
一 著者ノ近刊書中ニ大和字典、古語溯源、字音仮名遣ト羅馬字ノ書方等アリ皆索引ノ
 便ヲ計レルモノナリ

   大正十年五月        著 者 識 ス

 第七条に、「漢語」という言葉がある。すなわち、国語の語源を「漢語」に求めるというのが、本書のこころみだったのである。

*このブログの人気記事 2024・11・15(8・9位は、ともに久しぶり、10位は読んでいただきたかった記事)
  • 日本語はどうしてできあがったか
  • 「独」は、犬(dog)の単独性を意味する
  • 籠目紋はイスラエルの国章
  • 一方では日本語として、一方では漢語として
  • 罵倒するのでなく正説を示していただきたい
  • コトバは、一元両儀三才四大五行十界百科万有にわたる
  • ハムラビ時代、Salmeという女性神官の階級があった
  • 清水幾太郎、朝鮮人虐殺の現実に接する(1923)
  • 二・二六をぶっつぶしたのは天皇ですよ(末松太平)
  • 明治天皇、三好退蔵検事総長に犯人の死刑を命ず



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語はどうしてできあがったか

2024-11-14 00:12:41 | コラムと名言
◎日本語はどうしてできあがったか

 山中襄太『国語語源辞典』(校倉書房、1976)から、「序論」を紹介している。本日は、その八回目(最後)。第28項から第33項までは割愛し、第34項から第37項までを紹介する。

28.sk-,sc-,sch-,sh-   【略】 〈26ページ〉
29.gn-,kn-,sn-      【略】 〈26ページ〉
30.wr-(war-,wer-,wor-) 【略】 〈26~27ページ〉
31.親族関係語彙の統一的語源説明 【略】 〈27~28ページ〉
32.man-(手)        【略】 〈28~29ページ〉
33.ニタ,ノタ,ヌタ,ムタ,mud 【略】 〈29ページ〉

34.類似の味示するもの――missing link
 こういう態度とともに,東西文化の類似が,単に言語の面だけにとどまらず,神話,伝説,民俗などの,あらゆる面で豊富に見出されることは,そもそも何を暗示するものなのか。何がその間に伏在,潜在しているのか。その間に深く広く潜在しているであろうところの,いわゆるmissing linkをひとつでもふたつでも発掘,発見したいと,はかない努力をつづけているのである。
 前述したように,ギリシャ,ローマや,バビロニア,アッシリア,ヘプライ,エジプト や,遠く北欧の神話,伝説と,日本の記・紀の神話伝説とが,あれほどにまで類似すると いうことは,そもそも何を暗示し示唆するものなのか。
 ごく新しいことではあるが(人類の長い歴史からいえば),絹の道,玉の道,香料の道,宝貝の道,等々の道が東西に通じていた。奈良の正倉院の御物は何を物語るか。法隆寺などの寺院建築の柱の胴張と,ギリシャ建築のentasisとは,何を示すか。北欧神話のYggdrasilと古事紀の「百枝槻〈モモエツキ〉」とは,また北欧三神Thor, Jingo, Odinと,日本の豊浦,神功,応神の三帝とは偶然の類似なのか,その間に何物かが伏在するのか。
 こういう類似を最初に唱えた先覚者は,木村鷹太郎氏であろう。氏の説くところは,部分的にはおかしいと思われる点も多いが,とにかく東西文化の類似を唱えた先覚者としての功績は,正当に評価されるべきであろう。バビロニア,アッシリア,へブライ,スメルなどと東洋ないし日本との文化の類似を説く人びとが,その後あいついででたが,それらの人びとは,木村氏によって開眼されたものと思われる。
35.日本人はどこからきたか
 こういう文化一般そのものもさることながら,その文化のにない手としての日本人自体の出自が,まったくわからないのである。ごく古い何万年何千年の昔から,長い年代にかけて,北から西から南から,あらゆる方面からこの列島に,漂着ないし移動してきた人びとの融合混血したものが日本人ということか。体質人類学や,文化人類学や,民族学の面からの研究もあるようだが,文化の面からだけみても,北はアイヌ,エスキモー,ギリヤーク,ツングース,朝鮮,満州,モーコ,トルコ方面,西は中国,西アジアからヨーロッパにかけて,南は東南アジアから南洋一帯にかけての類似は,多くの人びとによって,いろいろとあげられている。
36.日本語はどうしてできあがったか
 日本語の語系もまだ決定的に明らかにされたとはいえないようだが,語彙の面では南方的要素が圧倒的に大部分を占めてはいるものの,syntaxやgrammarの面では明らかにアルタイ的である。すなわち南方的下層substratumの上に,北方的上層superstratumがおおいかぶさったところの二層構造を持つということはたしからしい。したがって語源の面でも,そういうことを頭において,「視野」をなるべく広くし,「射程」をなるべく遠く伸ばして考えることが,何よりも大切であると思われる。
37.お願い
 はじめにおことわりしたように,序論らしくもない前口上,長くなったが,わたしが語源を考える考え方,説明のしかたの基本的な心持ちを,ご諒解ねがえればありがたい。終りにひとつお願いをのべたい。それはアカデミックな学者も,民間の研究者も,たがいに協力して,教えたり教えられたりして,10年,20年,50年,100年の問に,徐々に,段階的に,国語語源辞典が一歩一歩完成に近づいてゆくように,努力を積み重ねていただきたいということである。〈29~30ページ〉

*このブログの人気記事 2024・11・14(8・10位に極めて珍しいものが入っています)
  • 「独」は、犬(dog)の単独性を意味する
  • 一方では日本語として、一方では漢語として
  • 罵倒するのでなく正説を示していただきたい
  • コトバは、一元両儀三才四大五行十界百科万有にわたる
  • 山中襄太『国語語源辞典』の序論を読む
  • ハムラビ時代、Salmeという女性神官の階級があった
  • 籠目紋はイスラエルの国章
  • 政府は単に国民の公心を代表するものなり(福沢諭吉)
  • 藤村操青年と「ホレーショの哲学」
  • 満州語のumeは日本語のユメと音義・用法が似ている



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「独」は、犬(dog)の単独性を意味する

2024-11-13 00:09:00 | コラムと名言
◎「独」は、犬(dog)の単独性を意味する

 山中襄太『国語語源辞典』(校倉書房、1976)から、「序論」を紹介している。本日は、その七回目。第24項から第26項までは割愛し、第27項を紹介する。文中の〔 〕内の注は、著者によるもので、【 】内の注は、引用者によるものである。

24.わたしの語源研究の二つの態度 【略】 〈8~14ページ〉
25.語根から統一的・関連的に語源説明 【略】 〈8~14ページ〉
26.ケモノの名の統一的語源説明 【略】 〈24~25ページ〉

27.犬(dog)は「独」,羊は「群」
 次にdogについては,H.C.Wyldは“etymology unknown”といい,E.Kleinは“of uncertain origin”といってサジを投げているが,これもアジアにまで視野を拡げて考えれば,いちおうの説明がつくのではなかろうか。それは漢字の独(ドク)に者眼することである。「独」の字【正字は獨】は,単独,孤独,ヒトリボッチの意にいまはもっぱら使われてはいるが,もとは「犬の単独性,孤独性」を意味した字なのである。「羊」はつねに「群」をなして「孤独」生活はしない。だから「群」という字は「羊」という字からできている。「犬」は「単独,孤独」生活をするから,犬を意味する独(ドク)の字が,ヒトリボッチを意味するのである。漢字のでき方を説明した中国の辞典「説文解字」(後漢の許慎著)に「犬相得而闘,从犬蜀声,羊為群,犬為独也」〔犬相得て闘(タタ)かう,犬に从(シタガ)い蜀の声(犬ヘンで蜀は発音を示す),羊は群を為(ナ)す,犬は独(単独)を為す也〕と説明してあるのをみても,そのことがわかるのである。この独(ドク)と英語のdogとを比較してみたならば,その間に一脈相通じるものがあるらしいことは,だれでも感じるであろう。感じはしても,関連があると断言することはできない。しかし関連はないと断言することもできない。これは今後の調査研究にゆだねられた問題である。わたしがたえず「ミッシング・リンクを求めて」(月刊「日本語」通巻23号,1974年2月号,拙文)いるのは,こういう種類の語の語源を明らかにしたいという,畢生〈イッセイ〉の念願を達成したいとの,はかない努力にすぎないのである。それはまことに徒労に終るかも知れない,はかない努力である。「道開こうとはかない努力――砂金集めて砂集め」(月刊「日本語」1973年2・3月合併号,拙文)に過ぎないのである。
 西洋の,たとえば英語の語源辞典などは,同一語根の原義をとらえて,それによって総合的,統一的,全体的に語源説明をするという点に欠けて,孤立的,分立的,恣意的,不統一的な説明に堕し,けっきょく不得要領な,アイマイな説明に終っている傾向がないでもない。それは上記のケモノを意味するkvt-のほかに,少し例をあげてみる。〈25~26ページ〉【以下、次回】

 山中は、文中で、「ミッシング・リンクを求めて」という自分の論文に言及しているが、当ブログでは、三年前に、「雑誌『言語』に掲載された山中襄太論文」という記事で、この論文を紹介したことがある(2021・11・11)。

※だいぶ冷えこんできたが、わが家に自生しているアサガオ二種は、今日も花を咲かせていた。葉がハート形で青い花が咲くほうは、二輪が咲き、葉先が三つに分かれていて白い花が咲くほうは、一輪のみが咲いていた。おそらく数日後には、見られなくなろう。

*このブログの人気記事 2024・11・13(10位の桃井論文は久しぶり、8位になぜか林銑十郎)
  • 一方では日本語として、一方では漢語として
  • 籠目紋はイスラエルの国章
  • 神功皇后とjingoism(強硬外交論)
  • 山中襄太『国語語源辞典』の序論を読む
  • ハムラビ時代、Salmeという女性神官の階級があった
  • コトバは、一元両儀三才四大五行十界百科万有にわたる
  • 罵倒するのでなく正説を示していただきたい
  • 林銑十郎陸相の「辞任茶番劇」(1934)
  • 代物のシロは、へブル語のシロルから(川守田英二)
  • 国家儀礼としての学校儀式・その2(桃井銀平)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする