2019/4/22-23 奥只見・村杉岳-大川猿倉山
道の駅で一夜を過ごす。
翌朝は生憎の小雨。
ゆっくりと朝支度をしてから、奥只見を目指す。
シルバ-ラインのトンネル群はまるでタイムマシンのよう。
オレンジ色のナトリウム灯が次々に後方へと消えていく。
そして現れる銀世界。
相変わらず霧雨舞う丸山スキ-場の駐車場で「急いでも仕方ないか」と二度寝を決め込む。
天気の見立ては回復傾向。
雨が上がって青空が垣間見えた、朝九時に出立
駐車場から只見川を見下ろす。
電源開発道へと降り立つと、数日前のものと思しき踏み跡。
あとはこの道、踏み跡を辿っていく。
「道」とはいっても、時に雪の急斜面やデブリ跡をトラバ-ス。
慎重にキックステップで越えていく。
大鳥橋で只見川の右岸に渡る。
白滝沢右岸尾根を少し回りこみ、雪の詰まった小さな沢筋をひと登りで尾根上に立つ。
途切れ途切れの残雪を拾って急傾斜を行く。
傾斜もゆるむ頃には残雪とブナの世界。
荒れた呼吸を整え、一休み。
ここで幕を張りたい衝動を押さえつつ、目前の急斜面を登り支尾根を詰めると1395峰。
峰を回り込んだその先に、村杉岳。
その丸みを帯びた山姿へ、伸びやかに雪堤が続く。
”シルバ-ライン”
振り返ると雪堤は三羽折の高手、倉前沢山へと続く。
村杉岳に向き直り、よく見ると前方に先行者。
数日前と思っていた踏み跡の主は、大鳥橋から倉前沢山へと詰め上げ、村杉岳に続くこのシルバ-ラインを繋いだようだった。
彼はこの先、猿倉山を目指すという。
村杉岳からの展望は、奥只見を中心に尾瀬、南会津、会越の山々がまるで波打つ海原のよう。
荒々しい山海にあってここだけは、絵に描いた無人島のような佇まい。
これはこれで、”半島”と呼ぶに足るものだ。
斜陽に急かされて今日の幕場、1508峰へは思いのほか近い。
強まる風を少しだけ避けて幕を張る。
猿倉を目指す氏も近くに幕を張っている。
あとはまったりと水を作りながら夕酌。
重さは気にせず担いできた食材。
中々豪勢なメニュ-。
重荷に耐えた甲斐があったというものだ。
風切音に夕陽が靡く。
個々の苦悩は、ありふれた日常だ。
「重荷に耐えた甲斐があった。」
そう思い報われる日が来ることを信じて。
静かな山夜に月明かり。
外は版画のような陰影の世界が広がっていた。
翌日は朝靄が晴れてからの出発。
隣の氏はすでに猿倉山に向けて出立していた。
最低限の荷物を背負って、雪堤を下る。
高度を下げると雪堤は途切れ、不安定な雪塊や薮を行くことになる。
とはいえ、先行している氏の踏み跡に助けられ歩を進められる。
登下降を繰り返し、大川猿倉山。
村杉岳が主峰なら、大川猿倉山はこの山塊の中心。
ぜひ来てみたかった場所だ。
山頂には、先行の氏。
先行トレ-スの礼を述べ、奥只見の山々について話に花が咲く。
猿倉山を目指し、もう一泊を用意している氏と別れ、往路を戻る。
幾分緩み始めた雪と登下降に苦労しながらも山海をかき分けていく。
幕場を撤収したら、第二幕。
1413峰から村杉沢右岸尾根を下降する。
豊富な残雪と雪堤。
あっという間に高度を下げつつ、やがて現れるブナの木々。
まるで私を出迎えてくれているかのような錯覚さえ覚える。
樹幹に青空。
ハッとするようなブナの木立。
原始の姿がここにある。
高度950くらいから尾根に雪が少なくなり、急角度で落ち込む。
それを嫌い、右手の斜面に活路を見出す。
やがてルンゼとなるが、それを下ると一旦傾斜は緩くなる。
その先は再び尾根状を行き、薮を頼りに下っていくと村杉沢の渡渉地点。
電源開発道路上には村杉沢の流れが横断しているので、靴を履いたまま強引に渡り切る。
ここまで来るとこの山旅も終盤。
あとは大鳥ダムの湖面やふきのとうに癒され、時に目前で起きるブロック雪崩に身の危険を感じながら丸山スキ-場まで。
薮とブナの王国に残雪を利した山旅。
ダムという人造物によって隔絶された原始の香り。
近代化の代償に孤立した峰。
それが、村杉半島。
湖水に囲まれたことで、その存在は一層際立つ。
そうして原始の山群は、人々を惹きつけ続けるのだ。
sak