エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

霊的な教育者 : 見えないからこそ、見えてくるものがある

2016-01-30 10:28:38 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)
 
最近の「追いかけっこ・鬼ごっこ」から見えたこと。
  私は小学校のカウンセラー。子どもには「遊びのオジサン」と呼ばれています。子どもたちが好きな遊びといえは、氷鬼やケイドロなど追いかけっこ・鬼ごっこ。英語ですと、...
 


 「叡智」は、「見て知る」ことから。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.6の、第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ものが見える賜物を得ている人が、ものが見えない暮らしがどんなものになるのかを考えることは、痛ましいことですから、そういったことを考えないようにしがちでしょ。物を見る眼を洗得られなかった人たちは、おそらく、聴く力、嗅ぐ力、味わう力、触れる力を、かなり発達させるのでしょうね。ものが見えない人らが他の感覚を広げて鋭くすることで、どれほど豊かになっているのかは、誰にもわかりません。多分ものが見えない人からすれば、私どもはものが見えることに頼り過ぎてて、実際には見えなくなっていることがある、ってことを知ってますね。

 

 

 

 

 

 眼の見えない人が、実は物事をよく見ていることがあることが、実際ありますよね。そう言って思い出すのが、共働学舎を作った宮嶋眞一郎先生ですね。目は見えない代わりに、心の眼、一隻眼がある感じの本物の魂の教師、霊的な教育者でした。

 眼が見えないことが、洞察力と判断力を研ぎ澄まし、眼に見える世界を超越する世界に開かれることがあります。 

 

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霊的な教育は、独立だぁ! 改訂版

2016-01-30 08:36:06 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
脆さが強さになる時
  キリスト教の英雄時代は、パウロの時代らしい。 p178の第3パラグラフ。      初期キリス...
 

 霊的な教育の続きです。

 内村鑑三は、独立を大事にしました。内村の教育を受け継いで、鈴木弼美(すけよし)が山形県小国は叶水(かのうみず)に作った学校が、「基督教独立学園」と「独立」を冠するほどです。この独立とは、どういうことを言うんでしょうか?

 基督教独立学園高校のHPによれば、

「「神を畏るるは学問の始め」(箴言1:7)を教育の基軸に据える本校にとって、朝拝・夕拝と日曜礼拝は、学園生活の必須の要です。聖書の言葉に毎日触れながら生活し、思索し、祈り、正直に「自己」と「真理」を探求する。入学時に校長と交わす「契約の書」に立って、どこまで「嘘のない生活」ができるか格闘する。その中で「神を畏れて、人を恐れない」(内村鑑三)、真に自由で自律的な独立人を育てたい。

 人が独立するためには、「神を畏れて、人を恐れない」ことが必要みたいですね。これは、日本人に多い行動様式からすると、正反対の態度です。多くのニッポン人は、「人間を上下2つに分けるウソ」を盲信していますから、それぞれこの世の「ムラ社会」に依存してんですね。「ムラ社会」は、会社だったり、学校だったり、ある部局だったり、町内会だったり、様々です。ニッポン人は、それぞれの「ムラ社会」の「上」に対しては、手もみ、肩もみ、オベンチャラ、「下」に対しては、アザケリ、陰口、村八分、と相場が決まってますからね。

 独立の人は、基本はパレーシアステス。自分より、立場の強い人に対しても、「義」を大胆に主張します。むしろ、年下や、社会的に不利な立場の人の話を虚心坦懐に聴く立場です。中江藤樹先生の話でも、藤樹のもとを訪ねて来た岡山藩主は待たせておいて、村の子どもに対する講義を優先する話が出てきますでしょ(岩波版、p126~127)。

 でも、神も仏も信頼しない人はどうすればいいのかしら? と心配になる人もいるでしょう。それも、基督教独立学園のHPから引用した「教育の基軸」にヒントが隠れていますよ。それは「正直に「自己」と「真理」を探求する」ということ。「自己」は「我」を超越するもの、「真理」は「この世」を超越するものでしょ。そういう≪超越≫を求めてないと、独立は無理。中江藤樹先生も、≪天の法≫と言う≪超越≫に従っていたからこその独立でしたね。

 手もみ、肩もみ、アザケリ顔の日々を、あなたは生きたいですか?

 それとも、自由、自律、独立の日々を、あなたは生きたいですか?

 

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ホットヨガはいかが?

2016-01-30 02:37:38 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
豊穣なる土壌
  感じることがあらゆる叡智の源です。カーソンさんとエリクソンは、この点で完全に一致しています。 p56の2行目途中から。  ...
 

 ビルさんは、ヴァン・デ・コーク教授を如何に信頼していたのかが、行間から感じ取ることが出来ますね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.230の、第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ビルは地元のビクラム・ヨガ教室を見つけました。ビクラム・ヨガ教室は、若者や活動的な人々向けの、激しいホットヨガです。ビルはこのビクラム・ヨガが大好きで、ビルは教室で時々身体が崩れ落ちちゃってもヘッチャラです。ビルは体が不自由でも、それまで感じたことのない、身体が喜ぶ感じと、身体をコントロール出来ている感じとを感じることが出来ました。

 

 

 

 

 

 ヴァン・デ・コーク教授にとっても、ビルさんにとっても、ヨガとの出合いは、人生を変えるものであったに違いありませんね。

トラウマがあると、自分の身体なのに、自分でうまくコントロール出来てる、という実感がないのでしょう。それは、戦争トラウマでも、発達トラウマでは変わりませんね。

 私は、自分で自分のコントロールが出来ていないと感じているはずのお母さん、自分で自分のコントロールが出来ていないと感じている教員に、ほぼ毎日会ってますからね。

 今度その人たちにも、ホットヨガでも薦めてみましょうかね。

 

 

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世の中が変わるのは、たった一人の気付きから!

2016-01-29 18:51:34 | アイデンティティの根源

 

 

 
レイチェル・カーソンが心の底から信じていることは?
  子どもにとって大事なのは知識じゃぁない。だから、大人が自然についていろいろ知ってる必要はないらしい。 p55の8行目途中から。 &nbs...
 

 

 人間の暮らしに欠かせないものって、いったい何でしょうね。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.254の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 以前の本で、私は研究計画について触れましたよね。そこでは、ひとりびとりの人生の舞台と、根源的な人生の習慣とを繋ぐものについて説明しましたね。この本は、その舞台の一つ、自分を確かにできない危機、を描き出したのにすぎません。すなわち、この本で描かれているのは、組織化された宗教が、世の中の価値を支配していた時代に、自分を確かにできない(訳注:1人の人の)危機が本来備えている、世の中の価値が新しくなる経過との関係なんですね。

 

 

 

 

 

 ちょっと翻訳を読んだだけでは、パッと分からないかもしれませんね。ゴメンナサイ。私の翻訳もまだまだだからでしょう。でも西平さんのものよりもマシでしょうね。

 世の中はなかなか変わらない。選挙に行ったって、どの政党に入れても同じだ…。などと、一見、物分かりが良さそうな、その実、諦めの塊のようにことを言う人が、結構いますよね。そんな人には、ここでエリクソンが教えてくれていることに、耳を傾けてもらいたいと思います。

 エリクソンは、

世間を支配していた価値が変わるのは、たった1人(の価値)が変わることから

って、言ってんですからね。そのあたり、よろしくね。

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見ることと見識

2016-01-29 08:43:38 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
キリスト教の英雄時代
  ルターに影響した価値とは何だったのか? p178の第3パラグラフ。      キ...
 

 「叡智」は、「見て知る」ことから。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.6の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもは、見るという素晴らしい恵みを当然と思うのは、見ることが、期待通り、思い通りに、役立たない場合か、まだ、役立たない時でしょう。私どもはずっと昔を振り返ることもできますし、そうすれば、自分自身の人生や自分が住んでいる世の中について理解するのに役立ちます。私どもは将来を展望することもできますし、見ることは、単に見たいものや望ましい夢を見るだけになるかもしれませんね。でもね、未来を期待する見通しがなければ、心配で心配で元気がなくなりますでしょ。しかし、大らかなアメリカ人のやり方では、昔からの叡智を受け容れたことを示す言い回しがあることが分かりますよ。日常的に、" Oh I see. I get it. I understand " 見ることが、分かったことになりますよね。さらに、enlightment 光を当てることが「啓蒙」になり、discernment シッカリ見ることが、「判断力」「洞察力」になり、insight 内側を見ることが「卓見」「洞察」になるなど、見ることや資格に関係する言葉に敬意を払って理解していることが分かりますでしょ。

 

 

 

 

 

 ちょっと考えても、見ることと深い理解、見識と結びついていることが分かりますね。

 

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