このところ、朝日新聞で
「いじめを見ている君へ」という記事が連載されている。
有名人が、日替わりで、「いじめられているこどもたち」に、「そんな場から全力で逃げろ」とか「嘘をついてでも学校を休んで生き延びろ」と語りかけている。
本日は、美輪明宏さんが「いじめられているのを知りながら黙って見ているこどもたち」に
「いじめは犯罪です。脅迫、暴行、障害、殺人。
もしあなたがそれを黙認しているなら、あなたも共犯。
犯罪者の共犯」と語りかけています。
これを読んで、私の頭をよぎったのは、こどものいじめではなく、
脳脊髄液減少症の存在を否定したり、静観してきた
日本中の大勢の医師たちのこと。
患者いじめを見て見ぬふりしてきた、
医師という名前の大人のいじめっ子たちとその共犯者たちのこと。
自分たちは積極的に患者の訴えに耳を傾けたり、治療してなんとかしてあげようともしないくせに、
脳脊髄液減少症の治療に取り組み続けている医師たちを非難するエネルギーだけは達者で、
意地になっているかのように、批判を展開しづけてきた。
患者の声には耳を傾けず、
症状の羅列にすぎないとか、ブラッドパッチの効果はおまじないみたいな暗示効果だとか、
そんな言葉で、私たちを傷つけ続けた。
脳脊髄液漏れなんてありえない、そんな病気ない、と言い張っていたくせに、
その存在が認めざるを得なくなると、
今度は、外傷で起こることはあってもごくまれだ、交通事故で起こることなんてごくまれ、なんて言い分に転じてくる。
どうしても、この病気がごく一般に潜在していることを、外傷で稀ではなく起こっていることを、
認めたくない、世間一般に広めたくない、という意思が見え隠れする。
認めないことで、何か得する人たちがいるのでしょう。
長い目で見たら、本当の得ではないことに、気づきもしないで。
いじめっこと、それを見ているだけの静観者たちは、
ブラッドパッチの効果なんて暗示効果だといって、
ただでさえ、症状で苦しんでいる患者たちを見て見ぬふりして、無理解で苦しめてきた、
一部の医師たちと、そのとりまきで、何も患者を助けようともしない医師たちと重なる。
患者をいじめ抜き、脳脊髄液減少症患者救済を遅らせ
、結果、一部の患者が、治療の健康保険適用を待ち切れず、身体的精神的経済的な苦しみに耐えかねて自殺したとしたら、
それも間接的な殺人者ではないのか?
脳脊髄液減少症患者が助けてくれと、近所の病院の医師に助けを求めても、
「脳脊髄液減少症?そんな病気ないよ。」とか
「脳脊髄液減少症?うちはそんな病気診断の治療もできないから、点滴だってしてあげられないよ。」とか
なんだかんだと言い分をつけてはかかわることを避け、
弱者を自分のできる範囲ででも、助けようともしない、
見て見ぬふりしている医師たちもまた、
殺人者の共犯者予備軍だと私は思う。
そうは思わないかい?
こどもたちに「いじめはよくない」というのなら、
まず大人たちが「弱者いじめ」をやめるのが先じゃないかい?
こどもたちに「自分で悩んで抱えこんで黙って死なないで、周囲に相談して」というのなら、
まず大人たちがそれを実践してはどうだい。
たとえば、「助けて」と相談してきた脳脊髄液減少症患者たちに
積極的に自分たちができる範囲で
何かできることをしたり、助ける姿勢を見せてはどうだい?
近くに理解ある医師もなく、
家族にさえ、理解されない患者も多く、
治療も健康適用もなく、
仕事もできなくなり、
普通の病気にはありえない事柄で、
苦しんでいる脳脊髄液減少症患者たちを見て見ぬふりしながら、
こどもたちに「いじめはよくない、何でも周囲に相談して」なんて言えるのかい?
いじめられている子を救おうとした子まで、いじめているのは、
脳脊髄液減少症患者を救おうとして思考錯誤しながらも治療に取り組んできた医師まで、
何もしようとしないで非難だけしている多くの医師たちからいじめ抜かれてきたのと、
いったいどこがどうどう違うんだい?
やっていることは同じじゃないか!
大人たちのほうが、子供たちより巧妙に、偽善者ぶっているだけで。
本当はいじめっ子とその共犯者とやっていることはなんら変わらないのに。
昨日の朝日新聞の患者を生きるでは、もうすぐ「患者を生きる」の2000回を迎えるので、
皆さまの意見を募集しますとあった。
朝日新聞は、必ずしも、継続的に一人の記者が、脳脊髄液減少症の問題点について、
記事にし続けたということはなかったように思う。
朝日新聞の地方記事では、こどもの患者などを単発で取り上げたことはあっても、
脳脊髄液減少症の抱える問題点の本質に迫るような連載記事は、
今までなかったと思う。
「患者を生きる」では、ぜひ今後ものすごく詳しく取材を重ねた上で、
この脳脊髄液減少症が抱える問題点を暴きだすような記事にしてほしいと思う。
そのためにも、できるだけ多くの、脳脊髄液減少症患者の声を、
「患者を生きる」に届けてほしいと思う。
以下、朝日新聞8月7日記事を引用
_____________
「患者を生きる」ご意見を募集
もうすぐ2000回
連載「患者を生きる」は間もなく二千回を迎えます。
病気と向き合う患者と寄り添う家族の姿を通して、
医療現場でのさまざまな問題を考えようと、2006年4月にスタートして6年あまり。
がん、脳卒中、糖尿病、うつ病や妊娠・出産などを取り上げてきました。
患者や家族の立場からみて、今の医療現場にはどんな問題があると思いますか?
読者のみなさんからのご意見、感想を募集します。
いただいたご意見は紙面や朝日新聞の医療サイト「アピタル」などで紹介します。
あて先は、〒104・8011
朝日新聞東京本社科学医療部「患者を生きる2000回」係。
ファックスは03・3542・3217、
住所、連絡先の電話番号、名前を添えてください。
締め切りは8月末です。
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以上、朝日新聞8月7日の生活面の記事から。
ここからは私の意見
脳脊髄液減少症は、「患者を生きる」それ以前の問題を抱えている人が多いんですよ。
交通事故からすぐさま入院させてもらえて、それにより周囲から患者として扱われて、
入院中、症状が理解されず、病名が二転三転して、その間、「気のせいじゃないか」「保険金詐欺の仮病じゃないか」と疑われたとしても、
間もなく専門医のより「脳脊髄液減少症」と診断されれば、
誤解に苦しんだ期間は、その短い数か月ですむんです。
数か月の誤解ですめば、心の傷もそれだけ浅くてすむんです。
でも、そういう幸運な人ばかりではないのが、脳脊髄液減少症なんです。
「脳脊髄液減少症患者として生きる」そこへたどりつくのに、何年も何十年もかかってしまった人が
確かに存在しているんです。
症状があって、医師を受診して、医師の検査ですぐさま診断して原因が特定してもらえ、
晴れて「患者として生きる」ことができる、
医学に認められた普通の病気の人とは、スタートからして全然違うんです。
「患者として生きる」ことにたどりつくことさえ、非常に過酷な道のりなんです。
それが脳脊髄液減少症。
ところが、幸運な人たちばかりがマスコミに脳脊髄液減少症患者として登場してしまうため、
脳脊髄液減少症は簡単に診断してもらえるものだと思われかねないけれど、
今だって、何年も見逃され続けている人がいるはずなんです。
逆に、そういう人たちは重症化して、声を上げることもできなかったり、
家庭崩壊、失業、など、さまざまなことが重なって、マスコミに登場することさえ困難になってくる。
だから余計に、そういった人たちの存在が世の中に伝わらない。
だからマスコミに出てくれる患者さんには、自分の状態だけでなく、こういう埋もれた人たちのことを想像したコメントを必ず一言いって、世の中に伝えてほしいと、
いつも思っている。
脳脊髄液減少症患者は
「病気と向き合う」どころか、
「自分が症状を訴えても、それを医師も家族も信じてくれない。」
「病気と向き合いたくても、向き合えない。それは自分の症状の原因がわからないから、いくら医師に訴えて検査してもらっても異常なしと言われてしまうから、自分がいったい何と闘えばいいのかもわからない。」
そういう状況が何年も続くのが、脳脊髄液減少症なんです。
「患者に寄り添う家族」というけれど、
家族に寄り添って支えてもらえるような、恵まれた脳脊髄液減少症患者ばかりではないんです。
「一番信じてもらいたい、家族にさえ信じてもらえない、
一番寄り添って助けてもらいたい家族や配偶者や親にさえ、
なかなか理解されず、
寄り添ってもらえない人が、多いのが脳脊髄液減少症ではないかと、私は思うのです。
「医療現場でのさまざまな問題を考えようとスタートしたという患者を生きるの連載」
でもね、
がん?そんな病気ありえないよ。そんな病気あるわけない。という医師がいる?
いないでしょう?
「糖尿病?そんなに大騒ぎするような病気ではないよ、
インシュリンの注射が必要?それは患者にとって、暗示的なおなじないみたいな効果を期待するものだろう、」なんていう医師もいないでしょう?
脳卒中?頭痛がないのなら、手足に力が入らなくなった位でそんな病気疑う必要ないよ?という医師もいないでしょう?
どんな症状からでも脳卒中を疑うような怪しい症状が出たら、救急車を呼んででも専門医を受診して
とさかんに行政やテレビの健康番組でも呼びかけているでしょう?
脳脊髄液減少症はね、
そのどれもがないんですよ。
充分ではないんですよ。
つまり、
「患者を生きる」ということさえ、なかなかたどりつけないから、
ごくごく一部の人たちしか「脳脊髄液減少症患者として生きる」ことさえ、
難しいんですよ。
普通の病気やけがの問題点、以前の問題点が、
脳脊髄液減少症には山積みなんですよ。
医療者側の認識不足、軽視すぎ、見て見ぬふり、患者の診療拒否。
国の対応の遅れ、
根強い反対派医師たちのあの手この手の、脳脊髄液減少症撲滅作戦が何年も何年も続き、
結果、それは患者いじめ、一部の専門医いじめにつながる。
それをひそかに応援する某企業団の存在。
こんなことを、報じようとしないで、静観しているマスコミ記者たち。
そういう記者たちだって、いじめの共犯者だ。
ああ、おそろしい、
大人たちの世界もいじめの巣窟。
そんな大人たちが、
こどもたちに「いじめはよくない」なんて言えるか!
まず、大人たちが子供たちに、手本を示したらどうだい?
「いじめはよくない。静観しているのも共犯者だ。
いじめは、殺人につながる。犯罪だ。だから、静観していてはダメ。
勇気を持って、いじめはダメだと言おう。
いじめられている人をみんなで助けよう。」
ということを、
大人たちがまず、自分たちが行動で示したらどうだい?
形は違っていても、
自分たちが弱者を平気でいじめたり、静観しているような大人たちが、
こどもに「いじめはよくない。」とか「いじめられたら相談して」なんて
言う資格はないと思う。