市川染五郎さんが、
舞台公演中に、目測を誤ってか、3メートル下に降りていたセリに
落ちてしまった事故。(詳しくはこちら、2ページあります。)
側頭部の打撲と半身の打撲ですんだという診断のわりに、
首も動かさない、絶対安静の
大事をとっている様子である。
もしかして、救急医療の現場にも、
脳脊髄液減少症の早期対応方法が浸透しつつあるのではないか?と
思った。
運ばれた病院が、あの、耳鼻科にも、脳脊髄液減少症に詳しい医師のいる、
慶応大学病院のようだし。
これから、全国の救急医療の現場医師が、
一般的な脳や全身の検査で骨折や出血などの異常が見つからず、
全身や頭部の打撲程度と判断したとしても、
いつも必ず頭の片隅に、脳脊髄液漏れが起こっている可能性を頭に置いて、早期に対処してくれれば、
私のように、何十年も「 脳脊髄液漏れ」の遺症に苦しむ患者を出さなくなると思う。
私なんて、当時出血までしていたのに、その日のうちに家に帰されました。
ましてや、
当時のさまざまな全身に衝撃を受けるような事故の患者であっても、
出血もないような、打撲程度の患者は、「異常なし」「軽症でよかったね。」で終わり、
その日のうちに、家に帰されて、
それから、さまざまな症状が出ても、誰にもその死ぬほどの苦しみを理解してもらえなかっただろう。
今から、20年前、30年前、40年前も、全身に強い衝撃を受けるような事故は存在していたはず。
交通事故だけでなく、馬から転落したり、屋根から転落したり、工事現場の高所から転落したり、
暴力で殴られたり、蹴られたり、虐待で殴られたり、スポーツで頭や体に衝撃を受けたり、
さまざまなことで、髄液漏れは起こっていたはず。
その中で、今生き残って、当時の症状の苦しさや、当時の周囲の冷やかさを証言できる人は、
今どれくらいいるのか?
戦争体験者と同じように、それらの人たちが死に絶えた時、
誰も証言できなくなってしまう。
今のうちに、その証言を集め、残してほしいと思う。
後世に伝えるために。
昔、原因不明で治療法がなく、死病とおそられられた脚気も、
今では、恐ろしいものではなくなった。
ビタミンB1の不足が症状を起こすことは、中学生にも学校で教えられるようになった。
病気を重症化させず、未然に防ぐ知恵は、簡単に手に入るようになった。
過去の患者さんの犠牲や、
それをなんとかしようとしてきた人たちの悪戦苦闘の闘いがあったからこそ、
今の患者さんは、その恩恵を簡単に受けられているのだ。
そういった病は多い。
結核もそうだろう。
昔の患者さんたちの症状の苦しみや、周囲の偏見や誤解など、
今の私たちには、その苦しみがあまり伝わっていない。
当時の患者さんたちの苦しみを自ら調べ、知ろうとしない限り、学校でその病の歴史を教えられることもない。
脳脊髄液減少症も、そのうち、
誰もが早期に医療で、その発症を未然に防ぐような処置を充分に受けられる時代になるだろう。
たとえ、症状が出てからも、
早期の検査と早期の診断と早期の治療で、
私のような生き地獄の症状を延々と何十年も苦しむ患者さんはいなくなっていくのだろう。
その時、
未来の患者さんたちは、
過去に、脳脊髄液減少症の無理解と闘い続けた医師や患者たちがいたことを、
知ることがあるのだろうか?
おそらくないだろう。
そんなことは教えられないはずだから。
未来の患者さんたちは、
私たちや、脳脊髄液減少症の専門医たちの、
医学界と世間と損害保険会社の無理解と無関心と反撃との
闘いを、何も知ることもなく、
ごく当たり前に、医療の恩恵を簡単に受けるようになるのだろう。
今、様々な予防接種や治療や麻酔技術が整い、私たちがそれを簡単に受けられるように。
それを私たちが、いちいち、過去の患者さんたちの苦しみや、医師たちの悪戦苦闘の闘いがあったことなど、考えることもなく、当たり前に、現代医療の恩恵にあずかれるように・・・。
私たち脳脊髄液減少症患者たちの、過去の悲惨な状況や、医療界での理不尽な対応や、
症状を抱えながらの命がけの、無理解との闘いは、
未来の患者さんたちには、想像もできないだろう。
私たち、過去の脳脊髄液減少患者の証言など、
そして、脳脊髄液減少症治療に取り組んできた、医師たちの同じ医師による迫害のことなど、
あえて、これからの子供たちに教えられることもなく、
忘れさられてしまうのだろう。
本当は、教訓として、これから伝え続けなければならないのに。
どうせ、未来の人たちになんか、過去の患者や医師の命がけの闘いなんて、
興味ないんだろう。
自分たちが、早期に診断と治療にたどりつければ、それでいいんだろう。
今、当たり前に受けられる医療の影に、さまざまな人たちのさまざまな闘いが何年も繰り返されていたことなど、私たち自身もあまり考えないように・・・・・
未来の患者さんたちも、おそらく同じように考えないんだろう。
だから、せめて、書き残したい。
私が体験した、脳脊髄液減少症の話。
私が、治療を受けることもなく、苦しんだ人生日々の話。
将来、救急医療の現場医師たちの誰もが、一度は、「脳脊髄液漏れ」の可能性を視野におきながら、
患者を診る時代が来ても。
内科系医師が、だるさやしんどさなど、さまざまな不定愁訴を訴える患者が受診してきたら、
一度は、脳脊髄液減少症を疑い、自分で判断して患者を抱えこまず、
積極的に脳脊髄液減少症の専門医に紹介状を書いて患者を送り出す医師が増えてくる時代が来ても。
過去の、見逃され続けた脳脊髄液漏れの交通事故被害者の、非痛な体験は、
今後の
医療、看護、の現場で、教訓として、語り継いでもらいたい。
現代の事故から数年のごく幸運な方々ばかりでなく、
家族の理解と手厚い支援に恵まれた方々ばかりでなく、
この病のために、一家離散になった人や、
離婚に至った例や、
失業した例や、
裁判でひどい誤解で負けた例や、
損害保険会社のむごいしうちを受けたり、
何よりも、
何十年も医師や家族の無理解の末に、脳脊髄液減少症とわかった人ほど、
その体験を勇気を持って、世間に伝え続けてもらいたいと願う。