日曜日、夫と大森の実家に写真の整理に行った。
母が亡くなって5年、荷物はほとんど整理したが、唯一残ったのが写真。
重い腰をやっと上げる事にした。
こんな山が3つほど。
アルバム大小含めて100冊から150冊。そのほかにバラバラな写真や缶に入ったもの。
娘が戸棚や押し入れから出しておいてくれたが、6畳の部屋に山積みになったアルバム類を見て一瞬気が遠くなった。
「これはお母さんにしか整理できないから」と言って夫と娘は買い物と称して出かけてしまった。
逃げ出したのね~
中身をじっくり見ない様にし、私の知らない母や父の友人関係、古い親戚関係、旅行の写真は一も二もなく廃棄の袋へ。
妹関係の写真は妹に渡すため別袋へ。
私達の子供の頃の写真は後で吟味するため別袋へ。
自宅に持ち帰り、破棄分は全部アルバムからはがし、捨てた。夫と2人で結構大変だった。
スマホからの写真なので大きすぎて見にくいかもしれませんが、
懐かしい写真続出。
マイナーな家族の足跡です。
松屋フォトとあるので、銀座の寮に住み、聖路加病院に通った頃。
(戴帽式など母の現役時代の写真は沢山あったのだが、生前整理したらしく、これしか残ってなかった)
この寮にいた時2.26事件に遭遇し、雪の銀座一帯が封鎖され、トボトボと歩いたそうだ
保健婦制度が制定され、第一期の資格を取得した。
この銀座時代がよほど楽しかったらしく、良く思い出話をしていた。
母は後年、仕事仲間と旅行、食事会と人生満喫していた。
北海道の雪まつりだけで3、4回行っていたようだ。
母の笑顔を見るのは楽しい。
結婚式 祖父の家の洋館の前で。
祖父は写真屋を呼んで撮影するのが好きで、他にも叔父叔母や家族写真、私達孫を抱いた写真などいろいろと出てきた。
父はフィリッピンで捕虜となり、戦後なかなか帰らなかったため、田舎では墓を建てて供養していたそうだ。
日焼けした父が帰った時は大騒ぎだったらしい。
それはそうでしょうね~。年上の従姉妹が、帰った時に最初に出会い、幽霊と思ったそうだ。
父は通信関係の技術者。真面目で、少し頭の固い所があったが、娘たちをとても可愛がっていた。
写真を撮り忘れたが、父は1冊のアルバムを残していた。
十代の若い頃の写真、入隊時の写真、戦争中フィリッピンの写真、戦後会社関係の写真、田舎の写真、兄弟の写真、旅行の写真。
老年になってからバラバラだった写真や、古いアルバムから剥がして1冊にしたようだ。
私達子供の写真は小さい頃の写真が数枚のみ。
学生、勤め始めた頃、そして戦争時代、仕事・・・・家族以外にも人生の大きな部分を占めていた物があるのを実感した。
父の一生が、凝縮されたようなアルバムだった。
1冊見るだけで、ため息の出るような濃い内容であった。
人の一生なんてアルバム1冊に納まってしまうのねという儚さと、
この1冊を残してくれたおかげで、父の人生を振り返る事ができ、ありがとうと言う感謝の気持ちが湧いてきた。
そして写真を残すなら、こんな1冊を残すのも悪く無いと思った。
私もあと10年したら作ってみようかしら。
こんな写真も出てきた。 今回発見の、私のお気に入りの1枚。
七五三。千歳飴をなめてます。
もう一人従姉妹が同じ服をきて、3人で撮った写真もあるはずだけど、見つからなかったのが残念。
最後に
息子、娘たち。
写真の整理は大変だったけれど、思いがけず豊かで幸せな時間となりました。
でも、写真はこんなに残しちゃいけないですね~。