太原市内観光の締めは、太原の繁華街、鐘楼街と食品街に行ってみることに。
時刻はもう20時過ぎ、予定よりずいぶん遅くなってしまいました。
でもその前にホテルへ。
今回選択したのは、鐘楼街と食品街へ歩いて行ける距離にある山西飯店。
周囲には他にもたくさんホテルがありますが、ここ選んだ理由はザ・中国的なこのキラキラ感。
数多くの政府要人が訪れたことがある歴史のある場所で、1985年から山西飯店の名になったそうです。
清代建築風のきらびやかなホテルになったのは2013年からです。
接客は5つ星らしくとてもしっかりしています。
外国人がホテルに宿泊すると、管轄の公安に臨時宿泊登記されるのですが、
公安からホテルのフロントを通して「あなたはここ(太原)で暮らすつもりで来たのですか?」との質問が。
これは初めての経験でした。
山西飯店から、鐘楼街までは歩いて10分から15分ほどでしょうか。
散歩するなら少し遠回りですが、五一広場を通って行くのもよしです。
近道したいならちょっと暗いですが、文瀛公園に沿って歩けば10分ほどで、
太原で最も賑やかな300年以上の歴史がある繁華街の柳巷に出ます。
想像以上の人出にびっくり。柳巷を渡った先が鐘楼街です。
鐘楼街の入り口ではご当地キャラ「鐘宝児」がお出迎え。
幅の広い通りが歩行者専用になっています。
通りの長さは、柳巷から解放路までの約600mです。
2020年~2021年にかけて再開発され、その後も2023年まで二期工事が行われていたようです。
初めて来たので、以前がどのような通りだったのかは分かりません。
名前の由来になっている太原鐘楼は、明代に創建されたそうです。
元の鐘楼は時代の流れの中で跡形もなくなり、現在の鐘楼は観光用に新しく建てられたものです。
多くの若い人達で賑わっています。
本当に年寄りの姿はほとんど見かけなくて、自分が一番の年長者かもという感じです。
解放路の近くまで歩くと太原食品街があります。
食品街は、小さな飲食店や小吃の店がずらっと並ぶ通りで、こちらも観光客や地元の人で大賑わいです。
食品街も歴史のある場所で、宋代にはすでに商業街でした。
清代には院門前、近代には帽儿巷と呼ばれ、食品街という名前が付けられたのは1986年のことです。
帽儿巷(直訳すると帽子巷)という名は俗称で、大昔はここに帽子を作る工房が数多くあったそうです。
通りの店は時代にとともに変わり、食品街と名付けられた時に以前より道幅も拡張されました。
とにかく店も人もいっぱいです。店が多すぎて何を食べたらいいのか分からなくなります。
ちょっと美味しそうに見える店は行列になっています。
食品街の通りの長さは500m、店舗数は120以上あるらしいです。
鐘楼街に近いほど混んでいますが、府東街に近づくと徐々に人が減っていきます。
焼餅夹肉を買ってみました。
地方によって焼餅の呼び名や作り方に違いがあります。
太原の焼餅は、生地をひも状にしてから渦巻を作り、伸ばしてから焼くようです。
夹の意味は”挟む”です。焼餅夹肉なので焼餅に肉を挟んだもの、中華バーガーです。
油の少なそうな”純痩”を選んだら、具材は想像と違ってハムでした。
鐘楼の傍には上海飯店という老舗レストランがあるのですが、太原まで来て上海というのも、
なんて思いながらウロウロして、結局、人混みと歩き疲れて大したものも食べず。。
柳巷で少し麺でも食べて帰ろうとしたら、22時にはもう閉店する店が多いのですね。
この辺り全体が不夜城なのかと思って油断していました。
上海飯店に入っておけばよかったかなと、ちょっと後悔したのでした。