雨宮日記 3月19日(土)の2 「則子七変化」の7番目、循環して…
則子さんが、昨年夏から事務員として就職した今のの事務所は、いちおう4月末までの約束でした。
その後、どうするの?と心配していたら、先週、ぼくが偶然、
僕たちの家の近くの曳馬に、障害児保育園をつくるので「保育士」募集というチラシを見付けました。
それは、ぼくも則子さんも、以前から知り合いの、笠井のSさんがやっている障害者施設で新たに、障害児の保育園を開園するということでした。
「則子さん、これ、どう?家から近いし」
「智彦くん、めざといね!うーん、電話してみようかな」
というのは、則子さんはぼくと結婚する前の若い頃は、滋賀県と伊豆の障害児の施設で働いていて、ぼくと結婚する前でも、障害児の施設で働きたかったのです。
偶然、たんぽぽ保育園が開園するときで、保育園に就職して園長にまでなってしまいました。
則子さんが、すぐに、Sさんに電話すると「則子先生、ほんとに来てくれるんですか!」と。
すぐに採用されることになり、正式にいくのは6月からですが、今日は、歓迎会と言うことで、ぼくの車で送迎しました。
むかし、たんぽぽ保育園の頃、主任をしていて「主任七変化」という言葉がありましたが、どこまでも変化していく則子さん。
① 障害児も先駆的に保育した聖隷「わかば保育園」
② 滋賀県の障害児施設
③ 伊豆の障害児施設
④ たんぽぽ保育園
⑤ 高齢者の介護施設「曳馬の家」
⑥ 浜松のある事務所の事務員
⑦ 障害児保育園「星の子」
これは、仕事・職業のはなしで、これ以外に、
いろんな団体の活動があるんですね。
書ききれません。
則子さんに、心から「ぼくも応援します」と言います。
人生の最初の頃に、62才になって、戻ったんですね。
ぼくの妻とはいえ、すごい、素敵です。
(うわ、これって、われぼめ?かな?)
素敵な人生の、かたわらにいると、
ぼくまで、素敵な気分になってきます。
ありがとう、則子さん。
もうすこし、いっしょに未来へ、生きたいです。