雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 5月17日(火) 今日の夕飯は豆ごはん

2011年05月18日 22時13分27秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月17日(火) 今日の夕飯は豆ごはん

 数日前に、浜北の里山へ行くバイパス(飛龍街道)を走っていたら「季節限定 豆ごはん」というメニューののぼりが、ありました。

 則子さんに「食べたいなあ」と言ってみたら、数日して、夕食に作ってくれました。
 ありがとう。
 
 初夏の味、おいしかったです。

 

震災・くらし情報 5月17日(火) 民間人が放射性物質をばらまけば 

2011年05月18日 22時04分14秒 | 地震・原発・津波・防災情報
震災・くらし情報 5月17日(火) 民間人が放射性物質をばらまけば

 仮定の話ですが(なぜ仮定かというとそういう猛毒を手に入れるのが難しいからですが)、もしボクのような民間人が、放射性物質を手に入れて、それを福島第1原発から出た放射性物質と同量くらい、ニホン列島にふりまいたとすると、どうなるでしょうか?

 普通なら、民間人による重大テロリストとして、即時に逮捕でしょうね?
 なぜ、東電の社長さんや会長さんは、すぐ逮捕されないのでしょうか?

 「故意ではないから」ですか?
 でも、自動車の運転による交通事故でも、故意であろうとなかろうと重大事故なら、凶悪な加害者として扱われますよね。

 東電の社長さんや会長さんは、凶悪な加害者ではないのでしょうか?
 それと,東電につながる政府の関係者は?

 それとも、誰かが告発しないとだめなのでしょうか?
 ????
 弁護士などの法律関係者にお聞きしたいところです。


本と映像の森 151 ほったゆみ原作、小畑健マンガ『ヒカルの碁 8』

2011年05月18日 05時35分03秒 | 本と映像の森
本と映像の森 151 ほったゆみ原作、小畑健マンガ『ヒカルの碁 8』ジャンプ・リミックス、集英社、2011年4月13日第1刷、320ページ、定価524円+消費税

 コンビニで見付けたので、つい衝動買いしました。
 ちょうどこの、サイとヒカルの別れの部分だけを読み損なっていたのです。

 主人公の進藤ヒカルと、ライバルの塔矢(とうや)アキラは、小学生の頃からのライバルです。

 130ページで、いつもはクールなアキラが珍しく独白します。
 「サイの一件以来 整理のつかない頭で ボクは考える
  進藤 なぜキミはボクの前に現われたのだろう
  なぜボクはキミを追い
  なぜキミはボクを追うのかと。」

 
 「なぜボクはキミを追い
  なぜキミはボクを追うのか」

 これって、ほとんど恋に等しいですよね。

 その後、サイを失ったショックで、ヒカルは、手合いをすべてサボり始めます。
 ヒカルがどんな碁を打つのか楽しみに待っていたアキラは、すっぽかされて頭に来て、ヒカルの通う学校を訪ね、ヒカルを詰問しますが、ヒカルは逃げてしまいます。

 果たして、ヒカルは碁盤に戻るのか?

 客観的に見れば、ヒカルとサイとアキラの三角関係で、ヒカルと濃く結びついたサイがいなくなって、ヒカルとアキラの関係が成り立つのか、どうかというお話です。

 則子「智彦くん!何を勝手に話を創ってるの!碁の話でしょ!」
 ボク「はい!ごめんなさい!でも、碁は碁打ちを抜きにして語れないから…このマンガの魅力は碁打ちたちの人間性ですね。アキラやヒカルをはじめ、和谷くん、伊角さん、倉田さん、緒方さん、塔矢光洋名人などなど…」
 則子「碁なんて知らない私が、読んでもわかるかなあ」
 ボク「うん、碁を知らない人のためのマンガだからね。1巻から貸そうか?」
 則子「時間のあるときにね」

 時間のある時なんて、則子さんの「時」には、ないんですけどね。
 
 すごく印象的なのは、進藤家の父親はいるのに、マンガでは存在感が薄くて、この巻で初めて登場するのですが、顔さえ見せないという薄い存在なことです。

 ライバルの塔矢アキラの父親である塔矢光洋名人の圧倒的な存在と比べると、なぜ、こんなにヒカルの父親は存在感がないのか、意味がありそうです。

 父親を越えようとするアキラと、父親と無関係なヒカル。
 2人の関係がそれによって規定されているのでしょうか?

 あ、違いますね。

 今、わかったのですが、
 ヒカルにとって越えるべき父親は、実の父親ではなく、藤原サイだったのですね。

 そのサイが、ヒカルはもう自分を越えて未来へ行く存在であることを確認して消えたのに、ヒカルはそれがわからなくて、消えたサイに執着します。

 その執着から、どうヒカルが自分を引きはがして生きていけるか、それが今後のテーマです。

  ☆

 (その日の夜の補足)ライバルと言っても、蹴落とし合って、相手が落ちていくと自分が喜ぶような敵対的なライバルとは違います。

 相手が来ないと、凄く心配になって、相手のいるはずの場所を訪ねてしまう、そういう、同じ道を行く仲間としてのライバルです。