日本古代史 外国史料2 『漢書』「地理志」の2 「呉地条」より
「外国史料1」で『漢書』「地理志」の「燕地条」から「楽浪海中に倭人あり、 分ちて百余国と為し、 歳時をもつて来たりて献見すと云ふ」という文章を紹介しました。
通常の教科書には、ほとんど無視されているようですが、同じ『漢書』「地理志」の「呉地条」には似たような文章がのっています。
「会稽海外に、東[魚是]人あり、分かれて二十余国となり、歳時をもつて来たりて献見す」
[ ]内は、それぞれを半角文字にして、2文字で1画です
(訳文は、森浩一さん『倭人伝を読みなおす』ちくま新書、2010年、p12)
「会稽」というのは、長江(揚子江)の下流で川の南の会稽山という有名な山の付近で、現在の紹興付近、秦から唐にかけて会稽郡が設置されていて、緯度でいうと南九州当たりになります。
森浩一さんは、この「東[魚是]」は、西九州のクジラ取りの漁民であるとしていますし、古田武彦さんは、近畿地方中心の弥生の「銅鐸国家」のことであるとしています。
どちらなのかは、ぼくはまだ決めかねます。
ただ確かなのは、この前漢の時代に、日本列島の中で北側に出て「燕地」と交流する、たぶん北九州の人たちと、南側に出て「呉地」と交渉する西九州か近畿の人たちの、2種類の海外交渉があったということが大事だと思います。
しかも森浩一さんによれば「『漢書』「地理志」によると歳時をもって来たり献見していた国や集団は二つしかない」(同上、p)とされ、それが倭人と東[魚是]人なのです。
日本神話のイザナギ・イザナミは、おそらくクジラ(いさな=勇魚)のことであると考えると、この東[魚是]人は、非常に重要な集団だと思います。