雨宮日記 10月15日(土) 劇団からっかぜのアトリエ公演に行きました
知り合いが出ている演劇だから行くのではなく、いい演劇だから行くのです。浜松のアマチュア劇団「からっかぜ」のアトリエ公演に行きました。
則子さんはぎりぎりに行くのが好きなので、6時開場、6時半開演なのに「6時10分前に出ればいいでしょ?」と言って、うっかりぼくが反論しなかったので、よくなかったですね。
雨も降っていたし、中区十軒町から西区篠原町まで夕方の混む道路を迂回して、最短距離で車で走ったつもりでしたが、ぎりぎりでした。
駐車場の伊藤薬局の裏の空き地に止めて、駐車場の案内係りの方に会釈して、アトリエへ歩こうとしたら「雨宮さん!久しぶりです」と言うので、えっ?と思ったら「Aです」と!
青年の頃とは違ってかなり顔も細身でなくなったので、気がつきませんでした。
劇団が時前でつくって稽古場にもしているアトリエの小ホールに来たのは、ぼくは久しぶりです。何年ぶりかな?もしかしたら10年以上?
でも、昔のままの感じでした。
4段くらいの客席は、100人くらいでしょうか、もうほとんど満杯で、奥の空いた席へ案内されました。
秋とは言え、人で埋まった客席はかなり暑くて、開演前に劇団の方がうちわを配っていました。
幕開け前に、劇団からのごあいさつで「今日は途中休憩を10分はさんで、3時間かかります」と言ったら、聴衆から、えーっという吐息なのか何なのか、凄い反応がありました。
ぼくも「うわあ、3時間かあ。オシッコしたくなったらどうしよう」と思いました。
幕が開くと、そこはもう、アメリカ・カリフォルニア州の砂漠のマンザナ強制収容所、その中の一つの部屋がずっと今日の舞台です。
その部屋へ所長が書いた朗読劇の台本「マンザナ、わが町」を上演するためのメンバーとして集められた5人の女性、それが今日の全キャストです。
5人の女性のうち2人はまったくこれまで見たことのない若い女性ですが、5人ともすごい熱演で、感動しました。
今日が初日なので、ときどき「とちり」があり、セリフの重複(同時に声出し…これはミスなのか、演出どおりなのか…)も感じましたが、ほとんど気にはならずに、1942年の世界を堪能しました。
もちろん、主要テーマは、アメリカによる「日本人の強制収容は是か非か」ですが、朗読台本の中身や演出を巡って、5人の女性達は、いろんな立場から激論を始めます。
こういう激論が、井上ひさしさんの作品の魅力なんでしょうね。
激論は、アメリカ政治や自由論だけではなく、ドイツ政治や大日本帝国政治にまで広がって、さらにそれぞれの生い立ちや、小さい頃歌った歌まで語り合うことになります。
劇中で歌われた、日本唱歌や,ジャズの名曲など、歌もこの劇の、すてきな魅力でしょうね。
そして、当初は対等の5人の日本系女性の討論に見えた劇は、演出家のソフィア岡崎の理詰と浪曲師のオトメ天津の見事な推理とあぶりだしで、劇的な転回点を迎えます。
こういう「ひっくり返し」「劇的な転換」が演劇の魅力ですね。ネタバレをすると劇を見る楽しみが半減しますので、ぜひ実際に観劇して感激して欲しいです。
アトリエ公演 10月15日(土)18:30~ 16日(日)13:00~ 18:00~ この3回は、終了。これからあるのは,以下の通りです。
10月29日(土)18:30~ 30日13:00~ 18:00~
浜松市芸術祭公演(はままつ演劇・人形劇フェスティバル2011) 11月19日(土)18:30~ 浜松市福祉交流センター
1942年の世界でしたが、まるで2011年の世界と同じことをかなり感じました。
いきなり荷物も最小限で、着の身着のままで駆り立てられるカリフォルニアの日系人たちは、いきなり荷物も最小限で、着の身着のまま駆り立てられる現代の福島県の日本人と、ほとんど変わらないのでは?
避難所のマイナス面を取材して書いた中日新聞の記事を読むと、この「マンザナ わが町」でも、まだ美化して描いている悲惨な面が実際はあったのではないかと感じます。
もちろん「第2次世界大戦」も「アメリカ国内の日系人強制収容」も「ドイツによるユダヤ人迫害」も、「戦後日本の原発推進」も「東京電力福島原発事故」も、必然ではありません。
それを避けることは、その気になれば、できたと思います。ただ、多くの人がその気にならなかったと思います。
知り合いが出ている演劇だから行くのではなく、いい演劇だから行くのです。浜松のアマチュア劇団「からっかぜ」のアトリエ公演に行きました。
則子さんはぎりぎりに行くのが好きなので、6時開場、6時半開演なのに「6時10分前に出ればいいでしょ?」と言って、うっかりぼくが反論しなかったので、よくなかったですね。
雨も降っていたし、中区十軒町から西区篠原町まで夕方の混む道路を迂回して、最短距離で車で走ったつもりでしたが、ぎりぎりでした。
駐車場の伊藤薬局の裏の空き地に止めて、駐車場の案内係りの方に会釈して、アトリエへ歩こうとしたら「雨宮さん!久しぶりです」と言うので、えっ?と思ったら「Aです」と!
青年の頃とは違ってかなり顔も細身でなくなったので、気がつきませんでした。
劇団が時前でつくって稽古場にもしているアトリエの小ホールに来たのは、ぼくは久しぶりです。何年ぶりかな?もしかしたら10年以上?
でも、昔のままの感じでした。
4段くらいの客席は、100人くらいでしょうか、もうほとんど満杯で、奥の空いた席へ案内されました。
秋とは言え、人で埋まった客席はかなり暑くて、開演前に劇団の方がうちわを配っていました。
幕開け前に、劇団からのごあいさつで「今日は途中休憩を10分はさんで、3時間かかります」と言ったら、聴衆から、えーっという吐息なのか何なのか、凄い反応がありました。
ぼくも「うわあ、3時間かあ。オシッコしたくなったらどうしよう」と思いました。
幕が開くと、そこはもう、アメリカ・カリフォルニア州の砂漠のマンザナ強制収容所、その中の一つの部屋がずっと今日の舞台です。
その部屋へ所長が書いた朗読劇の台本「マンザナ、わが町」を上演するためのメンバーとして集められた5人の女性、それが今日の全キャストです。
5人の女性のうち2人はまったくこれまで見たことのない若い女性ですが、5人ともすごい熱演で、感動しました。
今日が初日なので、ときどき「とちり」があり、セリフの重複(同時に声出し…これはミスなのか、演出どおりなのか…)も感じましたが、ほとんど気にはならずに、1942年の世界を堪能しました。
もちろん、主要テーマは、アメリカによる「日本人の強制収容は是か非か」ですが、朗読台本の中身や演出を巡って、5人の女性達は、いろんな立場から激論を始めます。
こういう激論が、井上ひさしさんの作品の魅力なんでしょうね。
激論は、アメリカ政治や自由論だけではなく、ドイツ政治や大日本帝国政治にまで広がって、さらにそれぞれの生い立ちや、小さい頃歌った歌まで語り合うことになります。
劇中で歌われた、日本唱歌や,ジャズの名曲など、歌もこの劇の、すてきな魅力でしょうね。
そして、当初は対等の5人の日本系女性の討論に見えた劇は、演出家のソフィア岡崎の理詰と浪曲師のオトメ天津の見事な推理とあぶりだしで、劇的な転回点を迎えます。
こういう「ひっくり返し」「劇的な転換」が演劇の魅力ですね。ネタバレをすると劇を見る楽しみが半減しますので、ぜひ実際に観劇して感激して欲しいです。
アトリエ公演 10月15日(土)18:30~ 16日(日)13:00~ 18:00~ この3回は、終了。これからあるのは,以下の通りです。
10月29日(土)18:30~ 30日13:00~ 18:00~
浜松市芸術祭公演(はままつ演劇・人形劇フェスティバル2011) 11月19日(土)18:30~ 浜松市福祉交流センター
1942年の世界でしたが、まるで2011年の世界と同じことをかなり感じました。
いきなり荷物も最小限で、着の身着のままで駆り立てられるカリフォルニアの日系人たちは、いきなり荷物も最小限で、着の身着のまま駆り立てられる現代の福島県の日本人と、ほとんど変わらないのでは?
避難所のマイナス面を取材して書いた中日新聞の記事を読むと、この「マンザナ わが町」でも、まだ美化して描いている悲惨な面が実際はあったのではないかと感じます。
もちろん「第2次世界大戦」も「アメリカ国内の日系人強制収容」も「ドイツによるユダヤ人迫害」も、「戦後日本の原発推進」も「東京電力福島原発事故」も、必然ではありません。
それを避けることは、その気になれば、できたと思います。ただ、多くの人がその気にならなかったと思います。