雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡と寺社 59 東区大瀬町の若宮神社

2011年10月21日 22時09分58秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡と寺社 59 東区大瀬町の若宮神社

 神社らしいので横道から参道へ入っていったら、神社はあるけど鳥居がない?!振り返ってみると参道が長くて遠くに鳥居がありました。

 鳥居まで行くと説明板があり「若宮神社」で祭神はイザナギさんでした。

 静岡県内には「若宮神社」「若宮八幡宮」がすごく多いです。こんど数えたら紹介します。

 この若宮神社の社殿に向かって方角は55度でした。つまり、祀られた神さま・イザナギさんは神社の中で西から35度南を向いています。

 北緯34度で、冬至の日の入りは真西から28度南ですから、ほぼ冬至の日の入りの方向になります。

 そういえばイザナギさんの死んだ奥さんのイザナミさんは、死の国、黄泉(よみ)の国に居るんですね。亡くなった奥さんがもし西の日の入りの方向にいるとすれば、亡くなった奥さんのいる方向をずっと見つめ続けるいざなぎさんということですが。

 ただし、なぜ「冬至の方向」なの?というのが謎です。

遠州の遺跡・寺社 58 東区中条の須賀神社

2011年10月21日 21時51分06秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 58 東区中条の須賀神社

 通りすがりに則子さんと時間があったので「あそこ神社ね」「寄ってみようよ」と寄った神社です。

 須賀神社とありますので、須賀と言えば古代日本伝承で出雲に下ったスサノオさんがヤマタノオロチを退治してから出雲の姫・クシナダ姫をめとって新婚の宮をたてたのが、この須賀という名の土地です。

 つまり祀られているのは書いてないですが、スサノオさんのようです。

 全国に須賀神社は分布しているようで、いわゆる「牛頭天王社」も同じ系統でしょう。

 静岡圏神社庁のホームページで見ると、須賀神社は静岡県内では浜松市だけに3社あって、あと2つは近くの中郡町と、三方原台地の反対方向、西にある和地町とにあります。

 この中条の須賀神社は、正面に向かって10度です(真北を0度として、時計向きに東を90度、南を180度、西を270度、再び真北を360度=0度、と測ります)。
 つまり、神社は真南から西へ10度振れていますが、誤差の範囲内で、まあ南北軸の神社と言っていいでしょうか。

遠州古代史 森浩一さんが紹介した遠州の「金髪」の「山賊」

2011年10月21日 05時35分50秒 | 遠州古代史
遠州古代史 森浩一さんが紹介した遠州の「金髪」の「山賊」

 「日本古代史 本の紹介 森浩一さん『地域学のすすめ』岩波新書」(2011年08月16日)を紹介しましたが、この本の65ページにこう書かれています。

 「このように三河と崑ろん陣の関係に注目すると、鎌倉時代に三河の当隣の遠江に現われたという金髪で鼻の高い異形の山賊も偶然の登場ではないようにおもえる。これは武蔵の吉見三郎が京都へ向かう途中で山賊に襲われた場面が『男襖(おぶすま)三郎絵巻』に描かれたものだが、三河や遠江には東アジア系の渡来人とは別の渡来系の人がいたことを考えてもよかろう。」

 これは、13世紀の鎌倉時代に、朝鮮や中国からの同じアジアの渡来人ではなくて、金髪で鼻の高い、つまり白人?の山賊が居たという話?事実?です。

 この浜松に居た「白人山賊」は、マルコポーロのように中国へ来てそれから日本まで渡ってきたのか、それともアジアの南回りに東南アジアを通って直接、日本へやってきたのでしょうか。それとも3つめの可能性として、シベリアの北回りで来たのでしょうか。

 そうだ、13世紀と言えば、やはりモンゴル大帝国の時代、モンゴル帝国は白人もあまり気にせずに役人として使っていたようですので、そのモンゴル帝国の混乱で、東へ逃亡して浜松で「山賊」に落ちぶれた白人、という設定でどうでしょうか。

 いまテレビで地デジ「81チャンネル」で夕方にやっている人気アニメ「ワンピース」の再放送で、お嬢様が大嫌いな「海賊」という設定ですが、「海賊」「山賊」の歴史を追っていくと、かなり深いですね。

 この金髪の鼻高の山賊の末路が気になります。日本人の女性と幸せに結婚して、子孫とゲノムを残したのでしょうか。それとも鎌倉幕府の地頭などの役人から追われる山賊としてのたれ死んだのでしょうか。