雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社 57 東区和田町「松東遺跡」の「銅鐸」の耳飾り破片出土地

2011年10月19日 05時52分33秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 57 東区和田町「松東遺跡」の「銅鐸」の耳飾り破片出土地

 森西遺跡からすぐ北へ。弥生時代後期の環濠集落「松東遺跡」から近畿式銅鐸の耳飾りの破片が出土しました。
 出土地は、今大きなマンションです。
 木船神社から出た木船銅鐸は三遠式なので、同じ地域に混在しているのは銅鐸なら、供給先が近畿(?)だろうと愛知(?)だろうと、あまり気にしなかったのでしょうか。
 ここにも説明板もなくて、住民に知らされてないのは残念です。

 ネットで検索したら、浜松市文化協会『浜松市松東遺跡発掘調査報告書II』(1990)というのが出てきました。まだ未見です。読むことができたら報告します。

 浜松市文化協会とは何かというと、ネット「浜松市文化振興財団」によれば、1986年2月に「財団法人浜松市文化協会」設立、1993年7月、財団法人アクトシティ浜松運営財団設立、2005年4月、事業統合により、財団法人浜松市文化振興財団に名称変更という経過をたどったようです。






遠州の遺跡・寺社 56 東区和田町「森西遺跡」の「銅鐸型土製品」出土地

2011年10月19日 05時44分27秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 56 東区和田町「森西遺跡」の「銅鐸型土製品」出土地

 「遠州の遺跡・寺社 55」で紹介した木船銅鐸出土地「木船神社」から東へ歩いて約400mくらい、JR東海道線の天竜川駅(浜松駅から東へ1駅目)のすぐ西、歩道橋のある付近が森西遺跡です。

 位置的には、たぶん歩道橋の北側の大きなマンションのあたりでしょうか。
 といっても、あたりにそれらしい説明はなくて、ぼくは浜松市博物館発行の『浜松市の銅鐸』(2007年発行、p34を参照)をガイドブックにしてたどり着きました。

 この森西遺跡で「銅鐸型土製品」が出土しました。正確に言うなら「銅鐸」ではなくて「土鐸(どたく)」でしょうか。銅鐸型土製品という命名は、あまりにも「銅製品が当然」という考え方にとらわれていて、土の銅鐸、あるいは石の銅鐸があってもおかしくないのでは?もちろん石では作業がたいへんで、無理でしょうけど。

 高さ7センチの「ちゅう(金+丑)」の部分の破片で、復元すると30センチの土鐸です。弥生時代後期の土器とともに出土しています。

 この付近に「弥生の銅鐸の村」があったことは間違いありません。

 『浜松市の銅鐸』の最終ページ(p44)の「おわりに」で「銅鐸の祭りが終焉を迎える頃、海岸平野や、天竜川下流平野では、それまでの銅鐸の祭りに替わって、銅鐸の飾り耳の破片や、小銅鐸、銅鐸型土製品を使った祭りが一層盛んに行われるようになったと考えられます。」と書いてあります。

 現象的にはそうかもしれませんが、やはり、木船銅鐸があった時代の後、近畿や東海の銅鐸文明が崩壊して、銅鐸の供給が途絶えたので、仕方なく村の人達がその代わりに「土鐸」を自前で作って銅鐸の祭りに使ったのではないでしょうか。