新・本と映像の森 231 安冨歩・本條『ハラスメントは連鎖する』光文社新書、2007年
331ページ、定価本体840円
8年前に「本と映像の森 31」で書いたものをまず再録する。
「2010年04月24日 05時41分08秒 | 本と映像の森
本と映像の森 31 安冨歩さん・本條精一郎さん著『ハラスメントは連鎖する』光文社新書299、2007年4月20日初版第1刷、331ページ、定価840円+消費税
この本を書店で(たしか谷島屋三方原店で)見つけて、あっ!と思って,買ったのは2008年の初夏の頃でした。
実は、自分が所属する組織のなかで、自分以外のAさんが、自分以外のBさんに仕掛けたハラスメント事件で、どうしたらいいか、このことの原因や本質は何なのか、悩んでいて、家に帰って、一晩で読みました。
この本は、みなさんの回りにもいっぱいあると思いますが、パワハラ・セクハラ・モラルハラスメントなど「ハラスメント」についての基本的テキストであると思います。
なぜかというと、ハラスメントについての基本的な構造とそれが起きる原因を解明しているからです。(もちろん、ぼくがこの本を読んでそう思ったと言うことです。)
同時に、この本は、人間とはなにか、人格・魂とは何か、について、基本的な解明をしているように思います。
というより、人間とは何かについて基本的解明ができたから、ハラスメントについても解明ができたというこでしょう。
私の理解した範囲でまとめると、ハラスメントとは、
① Aという個人が他人に、「これをしろ」あるいは「これをするな」と押しつけ・強要・強制をすること。
② ①のことは、AがBに、教育として・助言として・先輩として・親としておこなう善意の行為だから、拒否するな、拒否するならAがBを罰するというさらなる押しつけ。
③ ①や②を拒否するBに、受け入れるまで①②を押しつける強制、さらに暴力(言論も含め)をふるうこと。
つまり、たんなるいじめ・暴力ではなくて、「これはおまえを愛するがゆえの」とか「上司としての指導・教育だ」とか、入ってくるんですね。
これは、たとえば学校の同じクラスの対等平等の生徒同士では、ぜったい理由になりません。「指導」とか「教育」とか言っても。
安冨さん・本條さんが解明した問題は、かなり多岐にわたるので、今後は「人間と心と集団」のシリーズで考えていきたいと思います。
集団という場合、そこには、すべての集団が入りますので(保守的集団・自治会的集団・NPO的集団・民主的集団)、思考はかなり多岐にわたります。
でも、いつも,普遍的でありたいと思います。」
以下、本からのいくつかの紹介。
≪ 安富歩・本條晴一郎/著『ハラスメントは連鎖する』<光文社新書>、光文社、2007年、p81~82 ≫
「この1方向の流れは、単に、オルゴール人形のような単純な機械にのみ適用される見方ではない。たとえば、
「原因 → 結果」…
「意図 → 行為」…
「選択 → 責任」…
「ルール → 決定」…
「計画 → 実行」…」
≪ 安富歩・本條晴一郎/著『ハラスメントは連鎖する』<光文社新書>、光文社、2007年、p174~175 》
「評価の強力な味方であり、情動反応の大いなる敵となるのは、自分自身をパッケージ化することである。自分のパッケージ化とは、自分で作り上げた自己のイメージを、自分とみなすことだ。……
その瞬間瞬間に感じたものを自分とするのではなく、自分が設定した自己の自己のイメージを、自分とすることがパッケージ化である。情動を感じる「今」の自分こそが「本来の自分」であり、パッケージ化は「自分に対する裏切り」と等価である。
パッケージ化は、自発的に起こるものではない。他者によって情動反応を咎められた結果、本来の自分を受け入れることができなくなり、その代わりに設定されたものである。パッケージは評価の対象として作られる。」
《 安富歩・本條晴一郎/著『ハラスメントは連鎖する』<光文社新書>、光文社、2007年、p286~289 》
「アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』は、こうやって自殺に追い込まれるハラスメント被害者の物語である。‥‥(中略)‥‥ハラスメント論の観点からすれば、この小説の主題である王子さまとバラの関係は、女性によるモラル・ハラスメントの様相を見事なまでに描き出している。また、砂漠のキツネによるセカンド・ハラスメントの恐ろしさも、息を呑むほどである。
王子さまは宇宙のかなたの小惑星で、ひっそりと自分のルールに従って暮らしている。おそらくは深刻なハラスメントを受けて、外界とインターフェイスの接続を切ってしまい、周囲とのコミュニケーションよりも、自分の世界に没頭することを選んだのであろう。
そこにバラの種がどこからともなく飛んできて、入念に化粧して王子さまを誘惑する。王子さまはその姿にすっかり魅了されて、「あなたはなんて美しいんだろう」と感嘆する。
こうして王子を惹きつけたバラは、些細なことやどうでもいいことを取り上げては王子を責める。バラの目的は、どんなことであれ、間違っているのは王子さまの方だ、と思わせることであり、良心の呵責を利用して支配することである。実際にこの手段によってバラは、王子さまにあれやこれやと世話を焼かせることに成功している。
挙げ句の果てに王子さまは「つまらない言葉をまじめに受け取って、たいへん不幸になってしまった。」そして耐えきれなくなって、自分の家である小惑星を捨てて、放浪の旅に出る決意をする。
王子さまが「さようなら」を言いに行くと、バラは突然、しおらしくなって、まったくとがめだてせず、「あたし、馬鹿だったわ」とかあ「お幸せになってね」とか「あなたが好きよ」とかいった言葉を連発して王子さまを面食らわせる。これがバラの最後で最強の攻撃である。
地球に到達してから飛行士に
「あの花は本当に矛盾している」
と述懐していることから、バラが出会いの場面でも、日常でも、別れの場面でも、矛盾したメッセージを次々送り込んで、王子さまの思考過程を混乱させて支配するハラスメントの手法を用いていたことは確実である。バラは、堂々たるタガメ女(第2章参照)である。
王子さまは見事にハラスメントにかかり、逃げ出すべきではなかった、とか、バラのやさしさを見抜くべきだった、とか、自分が幼すぎてそれが理解できなかったのがいけなかった、とかいった、ハラッシーに典型的な自責の言葉を述べている。‥‥(中略)‥‥
王子さまの自責の念を強烈に刺激して、自殺に追い込むのが、砂漠に住むキツネである。キツネはまず王子さまに、「飼い慣らす」という言葉を教える。
その意味をキツネは「絆を創る」ことだと言う。このすり替えはかなり悪質である。飼い慣らすと言う言葉には明確な方向性があり、「飼い慣らす者/飼い慣らされる者」という明確な立場の違いが生まれる。ところが、絆を創る、という言葉に方向性はない。両者は平等である。
キツネは、これによってバラと王子さまの非対称な関係を、お互いさまだと思い込ませる。飼い慣らすという言葉を教えてもらった王子さまは、バラのことを思いだして、
「一輪の花があってね‥‥その花がぼくを飼い慣らしたんだ」と言う。
バラが王子さまをハラスメントにかけて操作したのであるから、この認識は正しい。ところがキツネは「飼い慣らされる=絆を結ぶ=飼い慣らす」という欺瞞的等式に基づいて、
「バラ → 王子さま」という関係を逆転させて
「王子さま → バラ」という関係にすりかえてしまう。そして別れ際にこ王子さまにこう宣告する。
「きみは、きみが飼い慣らしたものに対して、永久に責任がある。きみは、きみのバラに責任がある‥」」
まだまだ引用したいが、以上で今日は終える。