古代ブログ 100 テレビ「歴史秘話 銅鐸 まぼろしの王国」 20180216木pm10h25m
古代史ファンには、とても好い番組でした。ただ終盤の「卑弥呼」の叙述はよくないです。事実と推測が混同されています。
倭国は「倭国九州説」と「倭国近畿説」とあって、ここでいう「倭国」「邪馬台国(倭国の首都)」は3世紀の弥生時代です。
卑弥呼が銅鐸にかかわりがあるなど小説的な推論です。
しかも話に古墳時代の「鏡」が混信しています。また、この話は述べたいと思います。
① 前半の淡路島で出土した7つの銅鐸に鳴らすための「舌」がついていた話、
② 銅鐸の石の鋳型からの作り方(注 銅鐸は石の鋳型から土の鋳型へ変わったといわれます。)
③ 銅鐸の制作者集団の2つの流れ、大阪の北と南
④ 滋賀県の日本最大の銅鐸が近畿式と三遠式の合体であり、
⑤ その銅鐸のまつりをおこなった滋賀県伊勢遺跡もおもしろかった。
⑥ 銅鐸は古物商で「1cm100万円」。文化庁が数年前買った銅鐸は7000万円だそうだ(古物商の話)。
ボクの空想的推測でいえば、九州(つまり剣・玉・鏡を神器とする勢力)に近畿中心を制圧された近畿銅鐸勢力の最後の輝きがこの滋賀だったのではないか。
天智らによる大津の宮(滋賀)遷都も、ここにその淵源のひとつがあるのではないか。
ただし「近畿式」と「三遠式」につういて対立しているという説は浜松では成り立ちません。浜松の銅鐸は1つの銅鐸遺跡で「近畿式」と「三遠式」が混在してるのです。
二股かけてたわけではないでしょう。たんなる原産地の違いとしか読み取れません。
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これまでの「雨宮智彦のブログ」の銅鐸記事を参照。
銅鐸シリーズ
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