古代ブログ 56 遠州古代史 銅鐸シリーズ ③ 銅鐸・さなぎ・猿投・佐鳴湖
再録。
「遠州古代史3 銅鐸・さなぎ・猿投・佐鳴湖
2010年03月29日 20時50分29秒 | 遠州古代史
日本の古代「弥生時代」には、祭りや政治で使われた金属器に、銅鐸・銅矛・銅剣などがありました。
問題はこの銅鐸です。当初は九州などの西日本で出現しますが,次第に東へ移動して、出雲や近畿地方・東海地方で主に出土します。
出雲の加茂岩倉遺跡でいっきょに39個の銅鐸が出土して、出雲は50個、奈良県は16個ですから、数だけで言えば銅鐸の分布の中心は出雲ということになりますが、簡単には言えません。
近年では関東地方でも出土し始めたので、関東も銅鐸圏にしないといけないですね。
弥生時代後期に、遠州地方でも多数出土し、とくに都田川下流域は「銅鐸の谷」とも呼ばれています。
この銅鐸を「さなぎ」「猿投(さなげ)」との説があります。
「さなぎ」はもちろん昆虫の蛹(さなぎ)です。
蛹と銅鐸は形が似ているでしょうか?どうでしょうか?
前回のイザナギさん・イザナミさんの夫婦神=クジラ説からいくと、
クジラ=蛹=銅鐸となるんですが、無理なような気もしますが。どうでしょうか。
愛知県には猿投山(さなげやま)という標高629mの山があって、巨石信仰でも知られています。
浜松市最大の淡水湖である佐鳴湖(さなるこ)は古くは「猿投」とも呼ばれ、遠州地方が銅鐸の宝庫であり、佐鳴湖の西・北・東の3方向で銅鐸が出土し、佐鳴湖の南の伊場遺跡からは銅鐸の破片が出土しています。
まさに佐鳴湖は「銅鐸の湖」です。
いずれにしろ銅鐸は今から約2000年前、弥生時代の最先進の。当時のハイテク技術による金属器です。
銅鐸の解明なしに、浜松の弥生時代の解明はありません。
いろいろと考えていきたいと思います。
浜松の銅鐸は浜松市北区細江町の「姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」や浜松市博物館などで見ることができます。
浜松市博物館で遠州で出土した銅鐸の詳しいカラーガイドブック『浜松市の銅鐸』(A4版、45ページ、400円)が出ていますので博物館で買うことができます。
同じく浜松市博物館で『発見!!滝峯才四郎谷銅鐸』というのもでています。これもおすすめです。A4版、25ページ、300円。
さて、これを読んで「それがどうした?」「銅鐸のことがわかっても、私の暮らしに何の関係がある?」と思う人もいらっしゃると思います。
これは雨宮の追求している楽しみのひとつです。
2年前の11月7日に73才で亡くなった筑紫哲也さんは、死を自覚したときに「お墓には何も持って行けません。残る物は何かというと、どのくらい自分が人生を楽しんだか、それが最後の成績表だと思うんです」と思ったそうです。」