古代ブログ 55 遠州古代史 銅鐸シリーズ ② 銅鐸のデザイン <再録20051006>
遠江と日本 古代史の森
遠州古代史日記 1
2005年10月6日(木) 銅鐸のデザイン
9月に、浜松に合併した細江町の資料館へ、銅鐸の展示を見に行ってきました。
十数点の銅鐸をいっぺんに見るのは、見応えがありました。
ずっと見ていって、感じた「銅鐸のデザイン」は、こうです。勝手な感想ですが。
横の両側と上部の半円形に、いわゆる「鋸歯紋」というギザギザがありますが、これは弥生時代のデザインなんだからまだ弥生時代に存在の確認されていないノコギリというのは変ですね。
ノコギリの確認されているのは、銅鐸が「亡んだ」古墳時代からです。
それに正確かどうかわかりませんが、ノコギリの歯なら、二等辺三角形ではなく、どちらかかに偏った「歯」になるのではないでしょうか。
ぼくには、この鋸歯紋はノコギリの歯ではなく、「木」の連なりに見えました。つまり、弥生の村の周囲を包む森と空です。
中心部に行く途中に「川」あるいは「水路」が流れています。それが「流水紋」です。
中心部には、四角い区画があって、その間は細い幅の道になっています。これも、田んぼとあぜ道としか思えません。現に、その田んぼの区画の中に、水鳥がいたりする。
つまり、弥生の村から見た稲作と周囲の森の風景をデザインしたのが、銅鐸、というのが、ぼくの感想です。
銅鐸の発生から終末まで見ると、銅鐸が小型のものから、次第に巨大化していくのですが、つい最近の新聞記事で、現代の話しで、遠州の地元の「大念仏」の楽器がだんだん大きくなってきたという記事を見て、非常に興味深く感じました。
どうしてなんでしょうか。
2000年前の農村と、2000年後の現代の農村と、人間の意識に共通のものが何かあるようです。それは、いったい、何でしょうか。
(「静岡新聞 2005年10月4日(18)」吉川祐子・中京女子大客員教授「天竜川百話21 民俗芸能編① 遠州大念仏」による」