雨宮家ノート 1 おじいちゃんの短歌メモを発見 20200204
ボクが「おじいちゃん」というのはボクの父親のことではありません。父の父、つまり祖父のことです。
おじいちゃんは福男という名前で、「とみお」と読みます。福井県福井市で生まれたからでしょう。アララギ派の歌人でしたので、いつかおじいちゃんの短歌を紹介したいと思っています。
いま父の部屋に介護ベッドを入れるため、父の部屋を則子さんが片付けていて、新聞の切り抜きや雑誌やいらない本を捨てる過程で、いちおうボクも目を通していました。
新潮社『世界文学全集 39 カミュ 異邦人・ペスト・転落』という汚い本がありました。そういえばカミュってボクの手元にないなあと思ってなにげなしにとっておきました。そう思いつかなければ捨ててしまうところでした。
数日後、なんの気なしにその本を開けると、本ではなくページが白い「文学全集」の講読予約者を集めるための「見本」本で、しかも前の方23ページにわたって1973年、昭和「四十八年十二月」から「四十九年八月」までおじいちゃんの短歌が書かれています。
祖父は、昭和49年(1974年)9月18日に86才で亡くなっているので、最終の時期の短歌だと思います。
読みにくいのだが、解読できたものはまたここで紹介したいです。
ボクが「おじいちゃん」というのはボクの父親のことではありません。父の父、つまり祖父のことです。
おじいちゃんは福男という名前で、「とみお」と読みます。福井県福井市で生まれたからでしょう。アララギ派の歌人でしたので、いつかおじいちゃんの短歌を紹介したいと思っています。
いま父の部屋に介護ベッドを入れるため、父の部屋を則子さんが片付けていて、新聞の切り抜きや雑誌やいらない本を捨てる過程で、いちおうボクも目を通していました。
新潮社『世界文学全集 39 カミュ 異邦人・ペスト・転落』という汚い本がありました。そういえばカミュってボクの手元にないなあと思ってなにげなしにとっておきました。そう思いつかなければ捨ててしまうところでした。
数日後、なんの気なしにその本を開けると、本ではなくページが白い「文学全集」の講読予約者を集めるための「見本」本で、しかも前の方23ページにわたって1973年、昭和「四十八年十二月」から「四十九年八月」までおじいちゃんの短歌が書かれています。
祖父は、昭和49年(1974年)9月18日に86才で亡くなっているので、最終の時期の短歌だと思います。
読みにくいのだが、解読できたものはまたここで紹介したいです。