雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 7月5日(木)夜 雨が断続的に降った夜の仕事でした

2012年07月06日 06時14分11秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月5日(木)夜 雨が断続的に降った夜の仕事でした

 7月に入って、まだ梅雨は続いていて、とくに九州では超豪雨です。浜松までは豪雨は来ていませんが、今夜は何回か、超短時間の豪雨になってはすぐに止みました。

 暑いのですが、夜、窓を開けておくと雨が降り込むので、締め切るとむんむんとして、ウサギの豆子さんも玄関の横の定位置では眠れないようです。

 ぼくが深夜出かける時に玄関の電気を付けたら、玄関の脇の風が横から入る、豆子さんの金属のゲージの上で寝ていました。夏は、ここが一番、涼しいんですよね。

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 深夜の仕事を、ショパンのピアノ協奏曲第1番・第2番を聞きながらして、同時に、ぼくたち二人(則子さんとぼくです)の自伝の組み立てを考えつきました。

 たんなる夫婦の自伝では面白くないので、二人の自伝と、戦後の日本や浜松の歴史、とくに平和運動・政治運動の歴史を二重に笈ながらの「自伝」「自分史」にしたいと思います。

 タイトルは「2人で青い地球を 雨宮夫妻自伝」

 これをつくってしまえば、則子さんの念願の「智彦くんのゴミは全部捨てる」のが大願成就するわけです。則子さん、ほめてよ(則子「実現したらね」)

 もちろん、その前に、オヤジの自分史と評論の本「落葉松」を、ちゃんと出版しないと。年内に編集を終えて、来年3月に発行します。

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 写真は、農家をしている妹からもらった、取り立ての人参をおいしそうに食べる豆子。動物は、味に敏感ですね。すごい勢いで食べました。食べさせている手は、豆子の飼い主、次女のIさんの手です。

 

遠州の遺跡・寺社・地名 85 中区元魚町「松尾神社」内の津島神社

2012年07月05日 05時53分55秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社・地名 85 中区元魚町「松尾神社」内の津島神社

 松尾神社内の境内の西の端にあって、伏見稲荷神社の南に東向きに立っている小さな社です。

 津島神社は、遠州にはやたらと多いです。ちょっと調べてみたら、祭神は、スサノオさんのようです。つまり出雲系なわけですね。



 7月6日(金)捕捉 「津島」は「対馬」じゃないのか気になって調べてみたら、愛知県津島市に中心的な「津島神社」があり、その言い伝えではスサノオさんが朝鮮から日本に来たときに、「荒魂」は出雲に、「和魂」は津島にいったん鎮座してからこの愛知県津島市の津島神社に来たと云う言い伝えです。

 やはり「津島」は「対馬」ですね。

 津島神社は多いとも書いてあります。おもしろいです。弥生時代から古墳時代への遺物で、この津島神社の分布と重なる遺物ってあるでしょうか?
 
 古墳時代に、東海地方の土器が関東に拡散していく、つまり東海地方から関東地方への移住が考えられる状況からすると、この時代に津島神社が関東へ移動してもおかしくないですね。

 津島神社は関東地方にあるのでしょうか?

 調べてみたらスサノオさま信仰、あるいは出雲信仰がかなり分化していて、複雑ですが、どうやらありそうです。調べてから報告します。おもしろくなってきました。


 

本と映像の森 213 糸井重里さん監修・ほぼ日刊糸井新聞編『言いまつがい』新潮文庫

2012年07月04日 05時53分49秒 | 本と映像の森
本と映像の森 213 糸井重里さん監修・ほぼ日刊糸井新聞編『言いまつがい』新潮文庫、新潮社、2005年(平成17年)4月1日~2011年(平成23年)4月20日第24刷、351ページ、定価514円+消費税

 次女から貸していただいた、ご本です。あだや、おろそかにしてはなりません。まったく泣けない本です。かなり笑いたくなるのを必死でがまんする本です。

 電車内・会議中・葬儀中・争議中などに読んではいけません。白い眼で見られます。

 「友達が「まことしなやかに」と言います」

 「T君が「腹を切って話そうぜ」と言いました」(痛いよ)

 「病院の新人看護婦さん「回診が始まります。患者さんはベッドになってお待ち下さい」」

 「小3の息子が「なんでぼくだけケダモノにするんだよう!」と」(たぶん「ノケモノ」です)

 「海のシャチ、山のシャチが…」(山にはシャチはいません)

 「100万ボルトの夜景」
 (感電死しそう!ほんとうは「100万ドル」ですけど、「キミの瞳は100万ボルト」と混線したんでしょうね。)

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 糸井さんの一言「人間と世界、宇宙は無限のまつがいの集積である」

 「人類史は、正しい理性と方向性に基づいた無限の進歩の集積である」と言われるより、納得できますね。

 ほんとうは、どっちなんでしょうか?

 ぼくは「上から目線」の「正義の味方」はきらいなのですが、間違いだらけの人類史を笑い飛ばす、どっちつかずの、適当な人たちと、適当に未来を決めて生きたいなと思います。

 今日は、何時に起きようかな?今日は何をしようかな?
 

原発ニュース 7月初め 福島第1原発の4号機の燃料棒冷却システム故障と建物傾いた

2012年07月04日 05時40分58秒 | 雨宮日誌
原発ニュース 7月初め 福島第1原発の4号機の燃料棒冷却システム故障と建物傾いた

 2つのことが関連アルのかどうかは不明ですが、昨年3月に3号機からの水素で爆発した4号機で、一つは燃料棒プールの冷却システムが故障して、温度が10度くらい上昇したこと。

 もう一つは4月まで、東電は「4号機建屋は傾いていない」と力説していたのに、5月になって傾きを公表、さらに最近、6月に測ったら傾きがさらに大きいところを発見しました。
 
 問題は、この傾きが、以前からの傾きなのか、最近になって急激に傾いたのか、です。東電の公式発表を信じるなら、5月から6月に急に傾いたとなるのですが…どうなのでしょうか。東電が隠していた可能性も否定できないので、なんとも困ります。

 4号機「倒壊」の結果の悲惨さはわかっているので、政府は東電にまかせずに、直ちに直接の微細観測態勢を組むべきではないでしょうか?

 この問題は注視して、何か動きがあれば報告します。

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 あきれるのは、冷却システムが停止したのは、通常のシステムと非常用のバックアップが同じ電源で使うようになっていて、その電源も停止したため、という発表です。

 バカではないか。なんのバックアップにもなっていません。

 

雨宮日記 7月2日(月) すごくキレイな黄金に輝く朝焼け

2012年07月03日 05時57分40秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月2日(月) すごくキレイな黄金に輝く朝焼け
 
 早朝の東の空で、下にたぶん金星、すぐ上にたぶん木星が輝いていてキレイでした。これは写真、撮れません。

 天気が不安定なので、雲や朝焼けの具合ですごく黄金の朝焼けになりました。これは写真に撮れました。一瞬で変化していくので、映像に固定できてうれしいです。え?そうかな?それだと、ファウスト博士のセリフになりますね。

 「止まれ!お前は美しい!」

 悪魔のメフィストがよろこんで、魂を取り押さえにくる場面です。

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 夜、草むらで、たぶん、キリギリス?がギーーギーーーと啼いています。夏ですね。

 

遠州の遺跡・寺社・地名 84 元魚町・松尾神社内の「伏見稲荷」

2012年07月03日 05時48分24秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社・地名 84 元魚町・松尾神社内の「伏見稲荷」

 松尾神社内で東から西へ、松尾神社(南向き)、天満宮(南向き)、伏見稲荷(鳥居の入り口は南向きで、途中で直角に曲がっていて、お稲荷さんへは東向き。お稲荷さんが見ている方向が太陽の出る東向きとはお稲荷さんにしては珍しいです)と並んでいます。

 それにしても「お稲荷さん」は繁殖力(ごめんなさい)が凄い。たくさんの神社の境内に「お稲荷さん」が小さくくっついています。これからは数えてみますね。

 お稲荷さん自体が、インドから渡来した神さま、という説もあり、一筋縄ではいかないようです。

 

遠州の遺跡・寺社・地名 83 元魚町「松尾神社」内の「天満宮」

2012年07月02日 06時18分23秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社・地名 83 元魚町「松尾神社」内の「天満宮」

 2012年6月30日(土)に松尾神社をお参りしたら、その中に「天満宮」がありました。つまり「天神」さまです。
  
 これは『浜松市神社名鑑』にも掲載されていません。現場を訪問して、初めてわかるのですね。

 天満宮は南向きです。

 ご本家は、ご存じ北九州の「太宰府天満宮」でしょうけど、菅原道真さん以前の「天神」信仰も基底にあるように思います。

 浜松では、独立の「天満宮」が入野町と三和町と、浜北にもあります。その3カ所かな。

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 天満宮と松尾神社の関係は、次回に書きます。こう、ご期待!(そんなだいそれた考えではないですが)。

雨宮日記 7月1日(日) 7月の始まりは、大飯原発再稼働や福島4号機冷却系故障

2012年07月02日 05時53分20秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月1日(日) 7月の始まりは、大飯原発再稼働や福島4号機冷却系故障

 7月は和語で「文月(ふみづき)」、今日から1年の後半の始まりです。

 大飯原発の再稼働は、警報続きのようです。小事故の上に中事故、中事故の上に大事故があります。

 昨日は福島第一原発の4号機の核燃料プールの冷却水循環システムが故障して、故障が直るまでに温度が10度上昇しました。長女から「浜松は放射能、増えてない?」とメールがありましたので、測定して「異常なしです」と返信しました。

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 家庭内上映ですが、1952年の映画「原爆の子」を則子さんと鑑賞しました。1時間36分。いい映画でした。被曝から7年目という設定で、広島市内で被爆時に幼稚園の先生をしていた若い女性を主人公に広島を訪問する映画です。

 1952年といく時点で物語は進行するので、「原爆の日」だけを描いた話よりは、すこし楽に見れます。主人公は父母を失い、叔父さんのいる瀬戸内海の島で幼稚園の先生をしているという設定で、夏休みに主人公の親友をたよって広島に行き、当時の生徒などを訪ねます。

 たんにつらいだけの映画ではなくて、絶望も希望も、両面をきちんと描いています。1952年という時点で、こういう映画を撮影できた新藤かねとさんって、どういう人だったんでしょうか。

 1952年という年は、サンフランシスコ条約が発効して、それまでの米軍の報道管制が解けて、「原爆報道禁止」が解除された年です。その年に封切りということは、もっと前から準備していないとできませんよね?

 新藤監督さんは、いったいいつから準備を始めたのでしょうか?もしかしたら、1945年から?
 
 新藤さんは今年、2012年の5月末に亡くなりました。他の映画も観たくなりました。

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 6月半ばから、浜岡原発住民投票の署名を集めています。則子さんと二人で、中区の受任者になりました。もう少し集めます。