雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 3月17日(日) 第2回総会と父の本の校正、無事終了!

2013年03月18日 04時52分28秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月17日(日) 第2回総会と父の本の校正、無事終了!

 昨夜までで、父の本『落葉松 ー自伝と文芸評論ー』の校正を終えました。出版社にメールで「校正箇所と校正」を送付して、あとは印刷待ちです。校正は80カ所。

 1年くらいかかりました。去年の4月に「本の構想」を父から了承してもらい、マイパソコンのワープロソフト「一太郎」で編集してきました。(「ワード」は使いにくいので、ぼくは大昔は「松」を、途中からずっと「一太郎」を使い続けています)。やれやれです。

 1ヶ月くらいで本が完成する予定です。A5版で、252ページ。近くに住んでいる長女夫妻に表紙を作ってもらいました。絵は長女です。欲しい方は、私か則子さんに言ってください。基本的には贈呈します。

 父の続編も作る予定ですが、自分たち夫婦の自伝を書きたいと準備しています。雨宮智彦著(仮題)『銀河とタンポポ ーふたり一緒に歩いた道ー』です。

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 お昼過ぎ、則子さんと車で家を出ました。東伊場の浜松商工会議所ビルの7Fを間借りしている静岡県の「浜松労政会館」で、「浜岡原発裁判・県西部の会」の第2回総会です。

 そういえば、この「浜松労政会館」が昔、東田町にあったころに、ぼくたちはそこで結婚式をあげました。昔の話です。

 則子さんは「司会」、ぼくは「情勢報告」でした。無事終わったのでホッとしましたが、内容的に充実した総会でした。予定の午後4時を20分ほど過ぎて終了。

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 伊場からの帰り、はまホール(旧市民会館)の付近で、「がんこ祭り」で踊ったんでしょう、そろいの衣装の若者たちと遭遇しました。若いって、いいですねえ。

 途中、家の近くのスーパー「丸滝」に寄って、則子さんは夕食のおかずに、お刺身を買って帰りました。

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 午後11時前、ぼくの携帯電話がないのに気がついて、慌てました。夜中に車で仕事をしているので、連絡手段なしに車がエンストしたり事故ったりすれば、どうしようもありません。

 もしかして、労政会館の駐車場で落としたのかも。困ったな。

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 3月20日(水)早朝、浜岡原発裁判県西部の会第2回定期総会の写真をアップしました。あっぷあっぷしています。

 

 

 


雨宮日記 3月15日(金) やることが重なってしまい、ブログ書けない

2013年03月16日 05時29分59秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月15日(金) やることが重なってしまい、ブログ書けない

 今週は、忙しくなってしまい、「雨宮ブログ」、きちんと書けません。父の本「落葉松」の最終著者校正と、17日(日)の浜岡原発裁判・静岡圏西部の会第2回総会の準備が重なってしまいました。

 今日は、則子さんと、午後、2週間に1回、通っている「浜松市立中央図書館」に車で行きました。松城町の、20年以上前の旧中谷家(当時の「林泉書房」)からすぐそばです。

 ぼくも則子さんも、前に借りた本を返して、新しく本を借りました。ぼくは、さらに、品切れか絶版で書店では買えない2冊の本を、カウンターの司書さん(司書さんかどうかは不明)に調べてもらって、浜松の他の図書館にあることがわかったので、予約を入れました。「2~3日中に入ると思います」との、ことでした。

 図書館から帰る途中、かなり大きい文具店+OAの「佐藤産業」に、ぼくはA4版の写真などが入るシート帳面と、紙ファイルを買いに行きました。

 則子さんは、このお店の「会員」になって、「すごく安くなった」のに、ビックリしていました。「これなら、もっと早く「会員」になっていれば…。

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 夕食後に、日曜日の原発裁判西部の会総会の資料を、2人で印刷しました。


雨宮日記 3月13日(水) 築20年以上経って、あちこちで綻びが…

2013年03月14日 05時57分47秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月13日(水) 築20年以上経って、あちこちで綻びが…

 1980年代の終わり、つまりバブルの頂点で、松城町の廃業書店の自宅を売り払って、十軒町で土地を買って今の自宅を建ててから、20年以上になります。

 則子さんに言わせると、「智彦くんは、2階の4つの部屋のうち、2つを本(則子さんの言う「ごみ」)で占拠していて、さらに私の部屋に寝に来る」。

 つまり、ぼくの「本の部屋」が2つ、次女のIさんの寝室が1つ、則子さんとぼくの寝室が1つ、ということになります。

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 則子さんが、「2階のトイレの水洗が、かなりガタが来ていて、業者に見てもらわないと」「業者に来てもらうには、階段や2階の廊下の本を片付けないと…」と言うので、必死で考えて、「レバーが元の位置に戻らない」というなら、ゴム紐かなんかで、戻る力を強めたら?と提案しました。

 で、実際に実現しました。写真のとおりです。ジブンで直してみるって大事ですね。

 


雨宮日記 3月12日(火) 馬込川の堤防をふたりで歩きました

2013年03月14日 05時44分19秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月12日(火) 馬込川の堤防をふたりで歩きました

 暖かい日だったので、午後、起きてから、則子さんに「散歩しよう」と誘って、ふたりで家を出ました。

 トトロのテーマで「歩こう!歩こう!私は元気!歩くの大好き!」というリズムで歩きました。

 春、というより早春ですね。ピンクのオドリコソウや、黄色の菜の花や、黄色いタンポポ…咲き始めています。

 則子さんが「ほら!テントウムシ!」とめざとく見付けました。「ナナホシテントウムシ」でした。

 「ちょっと、待って!止まって!テントウムシくん!撮影するから」と言っても、止まってくれませんでした。

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 「静岡県 11.2km」と刻まれた石の標柱を見付けました。たぶん、海岸から「11.2km」という意味でしょうか。どういう単位(200m?)で設置されているのでしょうか?

  どこまでも2人で歩こうね春の堤防

 


本と映像の森 246 三上延さん著『ビブリア古書堂の事件手帖 4』

2013年03月12日 05時23分08秒 | 本と映像の森

本と映像の森 246 三上延さん著『ビブリア古書堂の事件手帖 4』<メデイアワークス文庫>、アスキー・メデイアワークス、2013年2月22日初版発行、文庫版、326ページ、定価本体570円

 テレビドラマの「ビブリア古書堂の事件手帖」が、いよいよ「最終章」に入りました。たぶん、来週と再来週の2回で完結でしょうか。その内容が、この文庫版では「4」です。

 この本を読んで始めて分かったのは、テレビドラマでは「栞子の弟」ですが、原作では「栞子の妹」です。テレビドラマでは「弟」の存在感は薄いですが、原作小説の「妹」は、もっと存在感があって、ごうらくんと栞子さんの「関係」を論評したりしています。

 この「4」は、父の江戸川乱歩コレクションを持っている女性からの依頼と、初めて実際に出てくる「栞子の母」が出てきて、すごく面白いです。

 内容を書くと、テレビドラマの「ねたばれ」になってしまうので、今は書きません。

 この小説の内容を、どうテレビドラマで映像にするのか?ドキドキします。

 月曜日、午後9時から。テレビは、たぶん、あと2回で完結です。小説は、もう1冊くらい続くのかな?

 なお初歩的な話ですが、「江戸川乱歩」=「エドガー・アラン・ポー」です。

 萩尾元都さんの吸血鬼の傑作マンガ「ポーの一族」の主人公たちは、「エドガー」と「アラン」です。


雨宮日記 3月11日(月) あれから2年の月日が経って…

2013年03月12日 05時00分28秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月11日(月) あれから2年の月日が経って…

 昨日の3月10日(日)と今日11日(月)は、『中日新聞』『静岡新聞』『赤旗』などで充実した特集をしています。

 『中日新聞』は「フクシマ原発事故」の特集がいいし、『静岡新聞』は「静岡県内の津波予測地図」(どでかいもので、数ページにわたるもの)がいいです。

 いろんな記事や数値は、来週の「浜岡原発永久停止裁判・静岡圏西部の会」第2回総会議案の「情勢」参考資料に折り込みたいと思います。いま、必死に執筆中。

 びっくりしたのは、安倍首相は「東北に春が来ない限り日本に本当の春はやって来ない」と明言・名言・迷言したことです。よく言うよ!

 あれだけ放射能をばらまいて「春が来る」んですか?!

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 お昼過ぎ起きて、外に出たらマイカー(アルト)のガラス窓に黄砂がかかっていました。東からの放射能も、西からの大気汚染PM2.5も、つらいですね。

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 夕方、Hさんとぼくら(ぼくと則子さん)で打ち合わせをする予定で、午後6時半、喫茶店シーンへ行ったら、Hさんから「ごめん、今日は急用で行けない」と電話があったので、ちょうどいいや、と、急遽、則子さんとのデートに切り替えました。

 シーンの「カレー」+「フランクフルト」トッピング+コスタリカ(コーヒー)を注文して食べていたら、則子さんが来ました。

 則子さんは紅茶(種類不明)を注文、ここの紅茶は量が多いので、則子さんが「智彦くんも飲んで」というので、無理矢理、コーヒーカップに注いで飲みました。邪道ですね。

 カウンター席で、女性がマスターと「彗星、見に行ったよ」と話をしていたので、つい「彗星、見えました?」と乱入してしまいました。「見えなかった」そうです。

 「パンスターズ彗星」、見たいですねえ。

 いま、ネットで見たら、最大でも2等級で、あんがい明るくなりません。

 やはり、年末の「アイソン彗星」待ちにしましょうか。

 


遠州古代史ニュース 浜松市東区「松東遺跡」発掘の「銅印」写真

2013年03月11日 05時37分48秒 | 遠州古代史

遠州古代史ニュース 浜松市東区「松東遺跡」発掘の「銅印」写真

 浜松市博物館の常設展示室に新たに展示された銅印「吉人」の写真です。

 浜松市博物館の常設展示室は撮影自由なので、撮影して、掲載しました。「掲載自由」なのか、定かではないのですが。

 「銅印」ですが、やはり、福岡県で江戸時代に出土した金印と、卑弥呼の金印が連想されます。

 「銀印」は、あるんでしょうか?

 一つの国家を代表する「王」が「金印」なら、位取りで、日本の「国家」の一つ下の単位である「国」は銀印になって、その一つ下の「郡」は「銅印」になるという論理が成り立ちますね。

 つまり、「郡衙」の主人公は「銅印」でなければ、ならないのです。証明終わり。

 でも、本当かな?推理の道筋に破綻はないでしょうか?


雨宮日記 3月9日(土)夜 『資本論 第2部』学習会、本文に入る

2013年03月11日 05時22分52秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月9日(土)夜 『資本論 第2部』学習会、本文に入る

 1月から月1回のペースで始まった『資本論 第2部』学習会も3回目、いよいよ本文に入りました。

 第2部は「第1部 生産過程」を踏まえて、「資本の流通過程」です。

 「貨幣資本」は「貨幣+資本」で、貨幣と資本の両方の特徴を併せ持つ。つまり、「二重性」ですね。貨幣の機能を持ちながら資本であるというのは、資本が「貨幣→商品→生産→商品→貨幣」という「運動過程」にあるから、というのがマルクスさんの説明です。

 「商品資本」は「商品+資本」で、同様です。

 この解説には、ウーンとうなりました。すごい。

 『資本論 第1部』にも、「二重性」は出てきます。

 「弁証法」というと、すぐに「矛盾」とか「対立物」とかを連想する短絡がありますが、その前に「二重性」(矛盾も、対立もしません)をきちんと置いておかないと、上滑りするように思います。

 「思います」と書いたのは、証明抜きで、感覚で書いたからです。

 あれ?「二重性」は、弁証法論理学ではなくて、形式論理学か?

 詳しくは別のコーナーでやりたいのですが、時間があるかな。

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本と映像の森 245 浜松文芸館『浜松市民文芸 58』2013年

2013年03月09日 23時31分45秒 | 本と映像の森

本と映像の森 245 浜松文芸館『浜松市民文芸 58』2013年

 「博物館」や「科学館」のある自治体は全国に多いと思いますが、「文芸館」「文学館」のある自治体はどれくらいあるでしょうか。

 浜松市中区鹿谷にある「浜松文芸館」も、老朽化による「地震」に耐えられない理由で取り壊されそうになりましたが、市民の反対の声で、残されることになりました。

 妻・則子さんは、この文芸館の企画した「自由律俳句」の講座に参加して、いまは自由律俳句と絵手紙にはまっています。

 昨年秋に、則子さんは、この「市民文芸」に、自由律俳句を5句、応募しました。

 今日、『浜松市民文芸 58』を読んだら、自由律俳句部門は、「市民文芸賞」が1句づつ3人、「入選」が、4句は1人、3句は11人、2句が28人、23人でした。

 則子さんは、なんと初投稿で3句も掲載されました。

 則子さんの作品を、則子さんには無許可ですが、「相方」の権限で、ここに紹介します。

 

   線路傍にことし限りか彼岸花   

   みかんの葉陰にそっとあお虫かくれんぼ  

   天高くハミングして娘の帰宅 

 


雨宮日記 3月9日(土) 父・節三さんの『浜松市民文芸』表彰式

2013年03月09日 23時11分13秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月9日(土) 父・節三さんの『浜松市民文芸』表彰式

 最近は、毎年の恒例行事になりましたが、毎年3月におこなわれる『浜松市民文芸 58』に節三さんが、今年も「評論の部」で「市民文芸賞」でした。則子さんが、父についていっしょに出席。

 今年は、去年に続けて、文学者・長塚節(たかし)を扱った評論「鍼(はり)のごとく 後編」でした。節三さんの得意な「年譜」(4p)もついています。

 選者の中西美沙子さんの「選評」は「筆者は前年度の評論部門で賞を受けた方と思われますが、丁寧に長塚節を読み解き、平易に表現しておられるところに好感を持ちました。時代の趨勢とは恐ろしいもので、「短歌」を理解することや、歌の力というものが劣化しているのを痛感します…彼の揺れる心情と筆者の長塚に対する思いが重なり、心惹かれました…これからも日本の詩歌に触れる文章を書かれることを願っております。」と。

 中西さまへ、父は「来年は…」「その次は…」という執筆計画があるようです。元気なら、まだまだ「書かれる」と思います。

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 一緒についていった則子さんの話では、評論部門でもう一人の「市民文芸賞」、虎徹さん「映画における「鈍い意味」の考察」の虎徹さんは、若い方で、大学院生だそうです。節三さんが会場で最高齢の「90才」というので、虎徹さんや一緒に来た写真家などの若いみなさんが、みんな父に握手しにきたそうです。「ぼくら90才までは…ちょっと無理かな」と言いながら。

 虎徹さんが記念写真を撮ってくれて、送ってくれるそうなので、待っています。虎徹さん、よろしく。

 

 


雨宮日記 3月8日(金) 暖かくてわが家の桜が咲き出しました

2013年03月09日 22時52分11秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月8日(金) 暖かくてわが家の桜が咲き出しました

 今日は21度まで達して、平均温度比で9度くらい高温です。わが家の鉢植えの桜(サクランボのサクラです)がいっせいに白い花を咲かせました。

 銅印「吉人」を見に行った浜松市博物館では、別室で「おひなさま」展をやっていました。「ひな」というのは、古代では人間の代理として川に流してけがれを落とすためだったようで、そこに展示されていた「土人形」もおひなさまの一種ということでした。

 博物館の入り口に「サクラが咲いています」と書いてあったので、聞いたら、「左の展望広場の河津サクラが咲いています}ということでした。銅印展示とおひなさま展を見てから、外に出て、河津サクラを見に行きました。 

 河津サクラは、ふつうのサクラと違って、白い花と緑の葉が同時に出るのが特徴です。とてもいい感じでした。則子さんは、落ちていた花びらを拾って、自分の胸に「アクセサリー、いいでしょ?」とつけていました。

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 雲はなくて、いい天気のはずですが、大気はかすんでいます。中国からの黄砂かPM2でしょうか。遠くのアクトタワーがかすんでいました。

 コンビニへ寄ったら、「PM2」対策のマスクを、もう販売していました。90数%は除去できると書いてありました。さすが、めざといですね。買いませんでしたが。

 東日本からは放射能、中国からは西日本へ汚染大気…。もう「風の谷のナウシカ」の世界だなと感じます。汚染の中で…どう生きるか…。

 則子さんの花粉症も続いています。「花粉症」「アレルギー」という症状も、人体に汚染が進んでいることからくる現代病です。則子さんは、生まれた時から花粉症ではありません。大人になったある時点で、発症したんです。たぶん、人体に汚染物質が蓄積していって、ある時点で発症するんだと思います。

 そういうメカニズムは、放射線による障害・症状と共通していますね。

 則子さんは、花粉症がひどくなった3月に入ってから今年初めてお医者さんに行って、朝夕の2回飲むクスリを処方してもらいました。さっきは「夕方飲むの忘れていたから、ひどくなった」と言ってました。ぼくは花粉症はありません。次女は以前、少し出てましたが、最近はどうなのか。

 

 

 


遠州古代史ニュース 浜松市東区「松東遺跡」で銅印「吉人」発掘

2013年03月09日 05時16分40秒 | 雨宮日誌

遠州古代史ニュース 浜松市東区「松東遺跡」で銅印「吉人」出土

 浜松市教育委員会は、3月5日、東区天龍川町の松東遺跡から、奈良時代(8世紀~9世紀前半)の「吉人(よしひと?)」と刻まれた「銅印」が発掘されたと発表しました。

 銅印は、青銅製、印面は正方形で一辺が27mm(2.7cm)、高さは29mm(2.9cm)、重量は30gです。

 浜松市は、昨年2012年6月から今年2013年3月22日までの予定で、松東遺跡の約2100平方mを発掘しています。出土地点の周囲には、建物の柱穴や鍛冶の痕跡が発見されています。

 「鍛冶の痕跡」があるということは、この銅印は、この場所で作られたという推定が成り立ちますね。

 新聞報道によれば、「銅印」の発掘は、静岡県内ではこれまでに4例あるそうですが、浜松市内では初めてです。

 松東遺跡は、JR天竜川駅のすぐ北にある遺跡ですが、この付近の「和田遺跡群」の一部で、新聞報道では、松東遺跡は、当時の「長上郡」の責任者である「郡司(ぐんじ)」の「私宅」ではないかと書いてあります。

 長上郡の役所である「長上郡衙(ながかみぐんが)」は、松東遺跡から西に700mの大蒲町から和田町の一帯にあったと推定されています。

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 3月6日、磐田の「明ヶ島古墳」の「土製品」を見に行く予定をやめて、浜松市博物館の常設展示で「吉人」銅印が展示されるというので則子さんと見に行きました。

 「これが銅印かあ」。実際に自分の目で見れて感激でした。

 もちろん、あの「金印」とはレベルも時代も違いますが。「印」という観点では、同じですよね。

 


雨宮日記 3月7日(木) 春を探しに行きました

2013年03月08日 05時33分07秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月7日(木) 春を探しに行きました

 暖かくなったので、久しぶりに、家から馬込川の土手を散歩しました。

 早春の花が、咲き出していました。

 写真は、オオイヌノフグリ、明治以後に渡来した外来種です。青い「瑠璃色」がすてきですね。ぼくは「コルリ草」と勝手に命名しました。だって、「フグリ」は、雄の「金玉」「玉袋」です。この花ではなくて実がそう見えるというのですから、花には関係ありません。

 この「日本種名」は、誰がどこで決めるのでしょうか。「改名」はできないんでしょうか?


遠州古代史ニュース 磐田市明ヶ島古墳群の土製品が重要文化財に

2013年03月04日 05時17分38秒 | 古代史ニュース

遠州古代史ニュース 磐田市明ヶ島古墳群の土製品が重要文化財に

 文化庁文化財審議会は2月27日、磐田市明ヶ島原(みょうがじまばら)の明ヶ島古墳群(5世紀前半)から出土した土製品を国の重要文化財に指定するよう国に答申しました。

 報道によれば、明ヶ島古墳群から出土したのは、土製品1064点と破片約3千点です。土製品は、動物や、乳房や男性器で性別がわかる人間、よろい、琴、刀などをかたどった30種類があり、磐田市教育委員会は、「祭祀に使われた」と推測しています。

 土製品は、明ヶ島5号墳の下から見つかりました。磐田原台地の東側、太田川平野を見下ろす眺望のよい場所に造られた明ヶ島5号墳は、南北18.5m、東西13.8m、高さ2.4mの方墳で、5世紀中頃(約1,550年前)明ヶ島古墳群の中心として造られました

 この土製品は、区画整理にともない、平成6年から平成13年までおこなわれた発掘で出土したものです。

 平成17年2月25日に静岡県の有形文化財に指定されていますが、今回、国の指定になりました。

 出土品約100点の展示が、磐田市埋蔵文化センターで3月2日(土)から8日(金)まで公開されています。入場無料。

 実際に見に行ったら、また、ここでレポートします。

 


雨宮日記 3月3日(日) 「耳の日」と父の90才誕生日でした

2013年03月04日 05時04分10秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月3日(日) 「耳の日」と父の90才誕生日でした

 父の節三(せつぞう)さんの90才の誕生日でした。名古屋に住む兄(長男)夫婦から花のプレゼントがありました。

 ぼくが午前中寝ているうちに、ぼくの長女夫婦(父からは孫夫婦)がお祝いに来たようです。

 同居している次女(父の孫)は、父にお茶碗をプレゼントしました。

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 午後1時過ぎ、則子さんと家を出て遠鉄電車で浜北駅へ。なゆた浜北大会議室での、原発問題の講演会を聞きに(見に)行きました。全日本民医連の長瀬事務局長が、画像も使って、福島県の実情や原発問題のわかりやすい図表で、感動でした。

 これを自分で学習して、もういちど再構成して、自分のものにしたいと思います。

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 こちらは「春一番」が吹いたのに、北海道では「かって経験したことのない猛吹雪」で凍死者が8人も。ニュース解説では「春一番」が吹いて暖かくなったことで、その落差で「猛吹雪」になったと書いてありました。なるほど、という感じです。