雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月8日(火)の1 馬込川の水位がかなり上昇しています

2015年09月08日 14時24分09秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月8日(火)の1 馬込川の水位がかなり上昇しています

 いま午後2時。馬込川を見に行ったら、かなり上昇しています。三浦端のところで、目測あと2mくらいでしょうか。

 この雨はいったん小雨になるようですが、明日の台風の時が危ないかもしれません。


雨宮考察 9月7日(月)の2 7月26日以前は、どうやって生きていた?

2015年09月07日 20時55分59秒 | 雨宮日誌
雨宮考察 9月7日(月)の2 7月26日以前は、どうやって生きていた?
 
 7月26日(日)の第1回ラブ&ピースに、いやいや参加したことが、考えて見れば、ぼくのうつうつを解放してくれて、頭をクリアーにしてくれました。

 急に、頭の容量(パソコンのデータ容量のようなものです)が拡大した感じです。
 
 やはり第1回ラブ&ピースの映像がよかったのでしょうね。

 論理ではなく、感性・感覚・映像が人を解放し、自由にするのです。

 現実、自分の時間は足りないので、やり残すこともありますが、「これは、やり残してる」と認識して、○○にまかせる提案をする、という思考ができてます。

 現実も、自分達も、鮮明に、クリアーに見えているので、すごく人生、おもしろいです。

 がんばりすぎて、空から墜落しないようにしたいと思います。

 地上をゆっくり歩いていくぼくたち夫婦2人の人生ですが、まだ先はあると思います。

 こういう充実した人生を歩んだ相棒である則子さんに最大の感謝を捧げます。

 たぶん、則子さんが結婚してくれなかったら、欠陥人間のぼくの人生は悲惨だったと確信します。

 それは必然の連鎖では無くて、歴史の偶然の連鎖です。

 いつかスタートする雨宮夫妻物語「青い地球とオレンジの花」を参照。



 
 
 

 

 

雨宮日記 9月7日(月)の1 降ったり止んだり・・政治も晴れたりじめじめしたり

2015年09月07日 20時18分16秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月7日(月)の1 降ったり止んだり・・政治も晴れたりじめじめしたり

 今日ニュースを見ていたら、参議院「安保法案」16日採決説が出ていました。

 どうしてもやる気ですね。日本を破壊する第1日です。

   ☆

 今日は雨模様。1時間毎にやることを変えて、1日フルにパソコンの前で作業しました。

 被爆者証言ビデオ第3巻の編集プラン、完成。

 原爆と人間展の感想集打ち込み、3分の2くらい終わりました。

 浜岡原発パンフ、編集、4ページ分やりました。

   ☆

 夜になって、ゴロゴロ、雷がなったので、慌てて、パソコン作業中断、雨がザーと降ってきて、パソコン作業再開。

 

雨宮日記 9月6日(日)の2 第3回ラブ&ピースのビデオ編集作業を始めました

2015年09月06日 23時07分46秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月6日(日)の2 第3回ラブ&ピースのビデオ編集作業を始めました

 昨日の「第3回ラブ&ピース」のビデオ編集作業を京くんと始めました。まず3台のビデオカメラの映像をコピーするところから。第2回の編集までに、映像をぜんぶ見て編集プランを立てます。どこを拾うか。どこを捨てるか。

 撮影した映像の、9割ぐらいは捨てるんですね。捨てたものが、作品では生きるんです。

 そういう格言、ありましたね。

 人生も、ビデオ編集も同じです。

 執着して捨てないと、良い作品には、なりません。

 理想的には数分の作品にしたいのだけど、「私を入れろ」という要求に妥協して、十数分あるいは20分になってしまいます。

雨宮日記 9月6日(日)の1 1日雨でした、市民まつりはどうなったかな?

2015年09月06日 22時50分38秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月6日(日)の1 1日雨でした、市民まつりはどうなったかな?

 最近は、6月ではなく、9月の方が梅雨ですね。秋梅雨です。

 今日は、実行委員会主催の「浜松市民まつり」の日、やれたのかな?準備した物もあるので、やったでしょうね。

 ぼくは昨日の疲れで、午前中は寝ていました。

 

雨宮日記 9月5日(土)の3 夜、へとへとになって家に帰りました

2015年09月05日 21時23分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月5日(土)の3 夜、へとへとになって家に帰りました


 午後7時版ごろ、浜松駅前からタクシーで家へ帰りました。
 
 自宅へ帰って、シャワーを浴びました。

 2階へ行って、1階へ行ったら、次女が「お父さん、台所にゴキブリがいるよお」と嘆願してきました。

 「いるなら、自分でたたけよ」と思いながら、台所でゴキブリをほうきでたたいたら、逃げられました。

 安倍政権も、他人にたよらず、自分で叩こうね。

 安倍政権はゴキブリですか?まあ似たようなものです。

 世の中を汚す害虫です。
 
 

雨宮日記 9月5日(土)の2 「ラブ&ピース ミュージック パレード」撮影で参加

2015年09月05日 20時57分11秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月5日(土)の2 「ラブ&ピース ミュージック パレード」撮影で参加

 午後、裁判所東の東ふれあい公園で第3回「ラブ&ピース ミュージック パレード」撮影で参加しました。

 ボクと京夫妻の3人でカメラマンです。この前と同じコンセプトで、京奥さんが前のメインで三脚で固定、京くんが斜め右から一脚固定で少し自由に動く、ボクは手持ちで、横や後ろからや会場を動き回るのと静止写真も撮影する、ということです。

 ほんとうは、写真専門に撮りまくるカメラマンが、チームの4人目として欲しいんですけどね。しょうがなく、兼任してます。

 ボクとしては前2回より、映像的にはいい画像が撮れたように思います。

 いずれにしろ、3回撮影して、今が何十年に1回の歴史的瞬間であると革新しました。

 そしてその歴史的瞬間に「撮影者集団」として立ちあえらことの幸福を感じました。

 なんとか、ぼくたちが生きているあいだに、こういう時期が来てくれたな。

 こういう感慨を味わっている人は、全国で多いと確信します。

 これで安心して、あとはまかせて天国か地獄に行ける、と。

   ☆

 集会の詳細は、また書きます。

 ① ギター(戦場のクリスマス)と、② よさこいと、③ エイサー、感動的でした。

 内山弁護士の話もジンとしました。

 会場で撮影した感動的映像は、できあがった作品で見てください。

 9月中にできあがると思います。

 メールで注文いただければ、作成・送付実費でお分けします。

 第2回はいま18分まで制作中で20数分に仕上がります。第3回も30分には、ならないと思います。

 1回から3回までを同じDVDに収めて、送付できると思います。

 雨宮智彦あるいはリアル雨宮まで注文してください。

 これが、この時代②生きる自分達の仕事です。

 そういう仕事をさせてもらって、嬉しいですね。

 今日は参加者、主催者発表で400人でした。警察発表はありません。

 多いなと思うのと、少ないなと思うのと、両方ですね。なぜ81万都市で、数千人集会、1万人集会にならないのか?やはり、まだまだ、自覚者不足、もっと増えないとという側面と、自覚者がここまで増えてきた、という側面と、複雑な視点の評価が必要だと思います。

 真実は複雑です。単純明快、単眼の評価では真実に到達できません。


   ☆

 則子さんは、夜勤です。明日の午前9時ごろ帰ってくるので「拡大夜勤」なんですけど、則子さんの労働が、雨宮家を支えています。則子さん、ありがとうございます。則子さんが働かないと雨宮家は餓死します。

 


 

雨宮日記 9月5日(土)の1 メジロの遺体を発見しました

2015年09月05日 20時48分59秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月5日(土)の1 メジロの遺体を発見しました

 第3回「ラブ&ピース ミュージック パレード」に行く途中、地域情報センター前のコンクリ歩道で、何かうぐいす色の葉っぱのような物を発見しました。

 立ち止まってよく見たら、小鳥のメジロの遺体でした。

 手に取ると、まだ暖かいのですが、動きはありませんでした。

 すぐそばの街路樹の根元の土の上に置いてあげました。

 どうして死んだのでしょうか。寿命でしょうか。

 野生動物の死は珍しくはないのですが、野生動物の死骸・遺体は珍しいですね。

 ボクは、まだトンボの遺体を見たことがありません。

雨宮日記 9月4日(金)の4 明日の平和集会の撮影構想を考えています

2015年09月04日 21時03分42秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月4日(金)の4 明日の平和集会の撮影構想を考えています

 ウソです。というより、現実が存在しない前から「撮影プラン」が立つわけありません。それでは、観念が現実を創造するという「観念論」「空想論」になってしまいます。

 もちろん、今日、O弁護士にお願いして「プログラム」は手に入れました。それは、集会がリアルタイムで進行する「時刻時刻」で、次の瞬間の撮影を「想像」「予測」するためで、その瞬間に、撮影者の感性が試されるんですね。

 撮影すべき瞬間の映像を見落とさず、撮影すべきでない映像を映さず、「瞬間を貫いて」生きて行くのがビデオ撮影者です。

 もちろん、ある程度、過去の経験、痛い失敗経験から、その瞬間、瞬間、撮影者は「そこにいなければならない」位置にいなくてはなりません。

 いるべき瞬間に、いるべき位置に自分がいる。
 
 もしかしたら、それって、撮影者でなくても、みんなが求められていることかもしれません。

 誰に求められる? もちろん、自分が自分に求めるんです。

 ぼくの場合、則子さんも、ときどき要求するので、ちょっときついことがあります。要求するのは当然なんだけど、家族に言われると、いらっとしますね。

  ☆

 今、則子さんと「撮影者」の立場と「平和運動家」の立場は違うという話をしました。平和運動家の立場では瞬間・瞬間、その場をよりよくしていくという立場です。ですから、その場で責任者に言ってもいい。言わないこともありますけど。

 でも「撮影者」は現状に介入せず、客観的に、リアルに現場の映像と音声を切り取り、画像に固定するのが任務です。

 いかに現状に不満でも、その一瞬、一瞬飛び去っていく「現実」「目の前の過去」を改編してはいけません。
 
 ほら、タイムマシンで「過去に戻って」も過去を改変してはいけないという規則がありますね。

 小松左京さんの傑作、過去改変SF「地には平和」がありますね。





雨宮日記 9月4日(金)の3 アル中の恐竜がいました

2015年09月04日 20時52分31秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月4日(金)の3 アル中の恐竜がいました

 中区和合町で「飲んべえの恐竜」「アル中のテラノザウルス」を発見しました。

 特注なのか、人間大です。

 共感して、気にいったので、撮影しておきました。
 
 則子さんなら「ほら、智彦くんのお仲間が増えたね。智彦くんの1億年くらい前のアル中よ」と言うでしょうね。

 恐竜は中生代の針葉樹の時代の生き物なので、果実のある新生代の広葉樹の時代のように、果実が発酵してお酒になることはないと思います。

 なお証明はしていませんが、お酒も平和の文化です。

 すこし研究してみたいと思います。

 

雨宮日記 9月4日(金)の2 夕食はチリメンドンブリ(ぼくだけ)と頂き物のおいしい桃

2015年09月04日 20時31分12秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月4日(金)の2 夕食はチリメンドンブリ(ぼくだけ)と頂き物のおいしい桃

 秋になって、セミはあまり聞かなくなりましたが、四ツ池公園の森でオーシンツクツクが1匹啼いてました。まだウスバキトンボがあちこちで飛んでいて、車を走らせてるとウインドウの前にひょいっと出て来ます。アゲハチョウも家で飛んでました。

 今日のぼくの夕食はチリメンドンブリと桃。何の炊事努力もない、かきこ屋で250円で買ってきた「ちりめん(小魚)」をたっぷり、ごはん少しの上に乗せて、しょうゆを思い切りぶっかけて、ごはんを醤油ご飯にして食べます。

 Sさんがくれた頂き物の桃を、妻の則子さんが切ってくれて食べました。

 「食事のことなんか、長々書くなよ」「夕食の写真なんか平和ボケ」という方、平和でこそ、おいしい食事が食べられるんですよ。戦争時代の食事は食べられればいいという悲惨なものです。

 太平洋戦争中の日本軍兵士の最大の死因は「戦闘死」ではなく「餓死」でした。ガダルカナル島を「餓島」言うくらいです。食糧や燃料、弾薬の補給、つまり「兵站」は日本軍が軽視・無視し、アメリカ軍は重視しました。

 兵站は戦争を成り立たせる重要な要素です。

 明日は浜松での1000人近い規模になるかな?第3回「ラブ&ピース ミュージック」です。午後5時、裁判所東の東ふれあい公園です。ぼくとKくん夫妻は、実行委員会の公式ビデオカメラマンで参加します。

 ぼくとKくん夫妻は、これを撮影し編集し、ビデオ作品を創造して配布することが、この歴史的瞬間の歴史に自覚的に参加する道だと。実行委員会に頼まれたのでは、ありません。編集したいけどいいですか、と実行委員会に自発的に申し出て、実行委員会の許可を得ました。

 ぼくも則子さんも、こういう風に、自主的に36年間、夫婦の時代を生きてきました。

 早く「青い地球とオレンジの花」を書き出したいと思っています。

雨宮日記 9月4日(金) 一転、青空。旬刊「平和新聞」の仕分けと配達でした

2015年09月04日 19時04分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月4日(金) 一転、青空。旬刊「平和新聞」の仕分けと配達でした

 昨夜の大雨がうその様な青空。洗濯物、干せました。

 午前と午後、「平和新聞」の配達をしました。市内を70kmくらい、車で動き回りました。

 合間を縫って、「原爆と人間展」の感想文を活字に打ちました。乾燥は、きわめておもしろいです。疑問・反論の表明の方が、ぼくらには参考になります。浜北を打ったので、後は浜松市役所と新居図書館。

 

 

みなさん、こんばんわ、雨宮放送局、ニュースの時間です、浜松は大雨です

2015年09月03日 21時20分28秒 | 雨宮日誌
みなさん、こんばんわ、雨宮放送局、ニュースの時間です、浜松は大雨です

 「9月3日(木)午後9時22分、ニュースの時間です。浜松市曳馬地方は大雨です。十軒町の雨宮智彦さんは、今晩のビール1本を買いに行くため、大雨の中、行きつけのコンビニに車を走らせて、コンビニの駐車場に車を入れかけて、ハッととっさに停めました。駐車場は1台も入って無くて、しかも店員3人が玄関でこっちを見ている。慌てて、周りを見回すと駐車場は水が流入して「池」になっていました。慌てて、エンジンを掛けたら動いたので、道路へ戻って、雨宮さんは今晩のビールを諦めて、しょんぼり家へ車で帰りました。以上、今日の浜松メイン・ニュースでした。」

 こういうばかばかしい放送やりたいな。念のため、すべて事実です。


  

疑問・考察 日航123便墜落事故30年(1985年8月12日)

2015年09月03日 02時34分21秒 | 人間・生命・宇宙
疑問・考察 日航123便墜落事故30年(1985年8月12日)

 「ピース浜松」で書くとかいたが撤回して、時間ができたら「雨宮ブログ」で書くことにする。

 いまは、基本的な事実・疑問点・推察を列挙するにとどめる。

 1、垂直尾翼のほとんどが破壊された事故の現場は御巣鷹山(墜落現場)ではなく、相模湾上空である
 
 2、乗客の撮影したカメラから窓の外に黒い円形の物体が写っていた。これは後年、発表された。どうしてこういう重要な証拠が事故原因究明に使われなかったのか。後年の技術進歩で「オレンジ色の部分が黒の後ろ」にあるとする著書もある。ただし雨宮はその解明を見ていないので何ともいえない。

 3、「隔壁破壊」仮説ではかならず起きているはずの「急激な減圧」は事実として起きていない。急激な空気の吹き出しや、酸素の不足からの呼吸困難も起きていない。それは生存者の落合さんの証言が証明している。

 4、なぜ、多くの科学者・技術者が一致して批判する「内部隔壁破壊」説がまかり通ったのか。垂直尾翼の破壊は外部からの力で破壊された可能性が何故、追求されなかったのか。

 5,当時、海上自衛隊のミサイル護衛艦「まつゆき」の試運転がおこなわれていた。ミサイルの発射実験と標的機の飛行がなかったかどうか、追求されていない。

 6、火薬の痕跡はないから、ミサイルによる破壊ではありえないという人もいるが、標的機は当然、火薬は積んでいるはずはない。標的機が尾翼に誤射した可能性は、なぜ検討されなかったのか。

 7,ただちに現場の相模湾の海底が捜索されるべきにもかかわらず、後になって、それもおざなりの捜索になったのは何故か。徹底して捜索するべきではないか。

 8、下田の海岸に流れついたオレンジ色の金属が「747の部品ではない」から「無関係」とされたのは何故か。

 9、123便の飛行経路を見ると、あきらかに「横田基地」へ向かっている。それが途中から、北西にそれたのは何故か。機長は「必死の努力で操縦可能だった」とする著書もある。「操縦不能」説は、墜落したことからの結果論ではないのか。少なくとも検討された形跡もない。

 10、「ドーン」という音がしてから、わずか11秒後に、何が起きたか機体後部を調べることもなく、機長が「スコーク77」緊急信号を発信したのはなぜか。コックピットの操縦士達は何が起きたか、知っていたのではないか?

 11、迷走している日航機に、なぜ航空自衛隊は戦闘機を緊急発進させ、事態を観測し、可能なら日航機を誘導しなかったのか?領空に接近する外国軍機には、すべてスクランブルをかけている。即座に発進可能な戦闘機はなければならない。国民の命を守るための軍隊ではないのか。自衛隊の発表では、墜落してから百里基地の戦闘機を発進させている。

 12、墜落後、翌朝まで墜落現場が特定できず、長野県側への謝った憶測がとくに自衛隊や警察から発表され続けたのはなぜか。タカン(位置計測装置)の発表された円形に並んだデータの円の中心に墜落現場があるのは何故か。川上村の墜落を遠くに見た住民が最初に「墜落は群馬県:と電話したのは無視され、誰の電話かわからない「長野県○○村に墜落した」という虚報がテレビで流され続けたのは何故か。

 13,10年後、米軍人の証言で、墜落から2時間後の午後9時5分、米陸軍の座間基地のへりが乗員2名を地上に降ろす寸前だったが、「自衛隊が向かっているので、ただちに厚木に帰還せよ」との命令で、帰ったと。

 14,落合由実さんは「夜間、ヘリの音が聞こえて、手を振った」と証言している。地上に降りる準備をしていた米軍ヘリの可能性は高い。翌朝ではなく、2時間後に到着できていれば、生存者は4人ではなく、もっと増えていた可能性は高い。

 15、深夜に墜落現場や、「ニゼ」墜落現場で、ヘリの飛行や、謎の曳光弾と車の動きなどが目撃されている。深夜から墜落現場に誰かが入っていた可能性もある。

 17,川上慶子さんは「夜、懐中電灯が見えた」と証言していると書いた著書もある。直接まだ見ていません。
 
 18,自衛隊が習志野空挺団が朝8時50分に到着しているが、自衛隊は生存者発見に、一切関係していない。事故の場合、生存者救出・負傷者救護が最大の第1目的であろう。最初の生存者発見は、2時間後の落合さん発見で、長野県警と上野村消防団員による。つまり、自衛隊の指揮官は隊員に「生存者救出・負傷者救護命令」を出していないのだと推定できる。だから、現場で一人ひとりに生存を家訓することもしなかった。「大丈夫ですか」「生きていますか」と呼びかけることもしなかった。それは何故でしょうか。

 19,4人以外の生存者の情報が途中、流されるが、その後、いっさい消えてしまったのは何故でしょうか。「誤報でした」との報道さえない。

 20,夏の朝で、かなり早くから明るくなるのに、なぜ「8時50分」なのか、1分1秒を争うべき時です。午前5時頃に到達しても、おかしくはない。この時刻を命令したのは誰なのか?

 21,北斜面で4人は生き残りました。一方、南斜面から北西斜面は、黒く炭化した遺体が、検視した医師も「二度焼きしたような」「骨の奥まで炭化していた」と表現しています。いったい、ジェット旅客機のガソリンが燃えるだけで、そうなるんでしょうか。ガソリン燃料は、両翼の中に入っています.座席のある胴体にはありません、激突で細かな破片となった機体で、なぜ乗客の遺体がスゲの沢以外では炭化していたのでしょうか。

 21、『天空の星たちへ』を書いた青山道子さんは、ジェット機のガソリン燃料のケロシンは、灯油よりも燃焼性が良いので、炭素のススの発生が少ない、つまり黒くならない、と書いています。深夜の暗闇では、スゲの沢に落下した部品や遺体は発見しにくかったのではないでしょうか。もし発見されていたら‥‥憶測はつつしみましょう。推理は確実な証拠にもとづいてすべきです。なお『自衛隊装備年鑑』によれば陸上自衛隊は「火炎放射器」を保有しています。あ、言っちゃった。

 以下は次回に。

 22、中曽根首相の行動の謎「日航機事故、知らない」
 23,日航幹部の遺族への「北朝鮮のミサイルで撃墜された」暴言の謎
 24,地元の住民の証言「飛行機に流れ星が2つ流れた」「空中で赤い炎・黒煙が出た」
 25,なぜ墜落地点より前にエンジンが落ちているのか
 26,NHKニュースで「命令に反した自衛隊員を射殺」という報道はほんとうか
 27.自衛隊員の「首つり自殺」写真は本物か?

 これを書いて、長年の積み重ねを晴らしたい。もっと詳しい、正確な論文は、時間のあるときに書きます。なんの罪もなく、焼かれた犠牲者です。

 8・12と9・11とシリーズになります。

 8・12の犠牲者と9・11の犠牲者の恨みを晴らしたいと永年、思っていました。

 いや、違う。恨みを無くして、平等の世界を創るんですね。

雨宮日記 9月2日(水)の3 212人の方が見に来てくれました

2015年09月03日 00時03分53秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月2日(水)の3 212人の方が見に来てくれました

 昨日9月1日、212IP、903PVでした。つまり212人の方が見にきてくださり、903回見て頂いたこになります。

 226万11650ブログ中、4026位です。

 今後もご愛読ください。

 もっとも仕事で閲覧に来る職業の人もいるでしゅうけど。