月に住まう美しき女神様はこんなことを話していました。
「——————遠き世より、星々が何故離れず、
またぶつかり合わぬかを考えた時に、
目の開くことあるということあり——————————」
僕は、しばし思いを巡らせます。
世界中から流れ来るテレビのニュースを見ながら、
「星」を「人」と置き換えて、
思いを巡らせます。
戦争、テロ、報復、テロ、報復、テロ......
宗教、宗派、教義......
正義と狂気。
大義と主義と犠牲。
富、貧困、分配、独占、略奪、復讐。
事実と真実。
科学と宗教。
信仰と教育......
宗教とはなんだろうか。
何故あるのだろう。
......人が弱いから......なのか。
では、本当の宗教とは、どんなものなのか?
そんなものあるのか?無いのか?
必要なのか?
いつまで必要なのか?
どこまで必要なのか?
どこまで有益なのか?
どこからが狂気なのだ?
どこで凶器と成るのか?
白い髪に白い眉毛、長い顎髭を蓄えたお爺さんのような神様は、
細長い目でこんなことを話すのです。
「——————本当の宗教とは、利のあることでなく、
強く生きるということを教えてあげることじゃろうて——————」
そして、こう続けます。
「——————燃ゆるも、消えるも。
超ゆるも、引くも。
天も、地も。
同じ己にある—————————」
我々はキリストを超えることができるのか?
我々はブッダやアラーを超えることができるのか?
それとも、
超えてはいけないものなのか?
それが宗教というものなのか?
我々は進化しているのか?
進化出来るのか?
二千年前に生きた偉人達を超える人間は、その後、生まれたのか?
ガンジーはどうだ?
空海は?
マザーテレサはどうなのだ?
ニュートンは?アインシュタインは?ニールスボーアは?マンデラは?
あの大統領は?あの首相は?王様は?天皇は?
あの武将は?
あの先生達は?あの教授達は?
いや、そんな人達は、
いつの時代も市井の中に無名で存在しているのかもしれない。
地の塩として生きているのかもしれない。
隣のあの人は?
おじいちゃんは?父は?母は?
自分は?
どうなのだ?
もしも、
もしもそんな人はいない、としたならば、
それは、人類の怠慢ではないのか?
時々、木漏れ日のような言葉を......届けてくれる人がいます。
「——————世が大きく動く時、
それを神々様にすがらず、見据える心が世の長となる方の役目。
湾岸戦争など、一国の、双方の、二国の大統領が真剣に神に祈る姿を見た時、
この言葉の意味を知る——————」
強く生きなければ。
強くならなければ。
沢山の事件を思い。
沢山の歴史を思い。
沢山の宗教を思い。
沢山の科学を思い。
沢山の叡智を思い。
沢山の文明を思い。
沢山の人々を思い。
身近で、愛する人々のことを想い。
自分の歩みをかえりみて。
世界で起こる、この頃の情勢を感じ、見て。
1月17日という日付をこの国で目にすると、
そんな日には、特に。
「とにかく強くならなければ」
と。
そんなことを思うのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/ef/2c9d8acf9136c1034573390baffd4930.jpg)
昨年、1月18日に記した記事の末尾を下に。
また一度、心に揺り起こしておきたく。
美しき海のような心を、なんとか、創り持っていきたく。
======================================
—————阪神淡路大震災以来、
1月17日にはその時噛み締めた色々な思いをちゃんと思い起こそうと努力してみます。
あの時を目前にし、
あの時を一緒に過ごした途轍も無く辛い思いをした人達。
今もそんな思いをし続けている、
なかなか癒えない傷を負った多くの人達のことを思ってみます。
電気やガスが街に戻るまで、
僕のワンルームで窮屈な思いをさせながら数ヶ月一緒に暮らした
3人の人達のことを思ってみます。
ほんと、ダメな僕は、毎日の生活にまみれる中でそんな思いも
ついつい薄れてしまっていたりする様な気もして。。
改めて、
命に感謝して、大切に、強く生きねば。。と。
当たり前の日々に、感謝をしなければ。。と。
1月17日にはそんなことを思い直したりします。
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「——————遠き世より、星々が何故離れず、
またぶつかり合わぬかを考えた時に、
目の開くことあるということあり——————————」
僕は、しばし思いを巡らせます。
世界中から流れ来るテレビのニュースを見ながら、
「星」を「人」と置き換えて、
思いを巡らせます。
戦争、テロ、報復、テロ、報復、テロ......
宗教、宗派、教義......
正義と狂気。
大義と主義と犠牲。
富、貧困、分配、独占、略奪、復讐。
事実と真実。
科学と宗教。
信仰と教育......
宗教とはなんだろうか。
何故あるのだろう。
......人が弱いから......なのか。
では、本当の宗教とは、どんなものなのか?
そんなものあるのか?無いのか?
必要なのか?
いつまで必要なのか?
どこまで必要なのか?
どこまで有益なのか?
どこからが狂気なのだ?
どこで凶器と成るのか?
白い髪に白い眉毛、長い顎髭を蓄えたお爺さんのような神様は、
細長い目でこんなことを話すのです。
「——————本当の宗教とは、利のあることでなく、
強く生きるということを教えてあげることじゃろうて——————」
そして、こう続けます。
「——————燃ゆるも、消えるも。
超ゆるも、引くも。
天も、地も。
同じ己にある—————————」
我々はキリストを超えることができるのか?
我々はブッダやアラーを超えることができるのか?
それとも、
超えてはいけないものなのか?
それが宗教というものなのか?
我々は進化しているのか?
進化出来るのか?
二千年前に生きた偉人達を超える人間は、その後、生まれたのか?
ガンジーはどうだ?
空海は?
マザーテレサはどうなのだ?
ニュートンは?アインシュタインは?ニールスボーアは?マンデラは?
あの大統領は?あの首相は?王様は?天皇は?
あの武将は?
あの先生達は?あの教授達は?
いや、そんな人達は、
いつの時代も市井の中に無名で存在しているのかもしれない。
地の塩として生きているのかもしれない。
隣のあの人は?
おじいちゃんは?父は?母は?
自分は?
どうなのだ?
もしも、
もしもそんな人はいない、としたならば、
それは、人類の怠慢ではないのか?
時々、木漏れ日のような言葉を......届けてくれる人がいます。
「——————世が大きく動く時、
それを神々様にすがらず、見据える心が世の長となる方の役目。
湾岸戦争など、一国の、双方の、二国の大統領が真剣に神に祈る姿を見た時、
この言葉の意味を知る——————」
強く生きなければ。
強くならなければ。
沢山の事件を思い。
沢山の歴史を思い。
沢山の宗教を思い。
沢山の科学を思い。
沢山の叡智を思い。
沢山の文明を思い。
沢山の人々を思い。
身近で、愛する人々のことを想い。
自分の歩みをかえりみて。
世界で起こる、この頃の情勢を感じ、見て。
1月17日という日付をこの国で目にすると、
そんな日には、特に。
「とにかく強くならなければ」
と。
そんなことを思うのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/ef/2c9d8acf9136c1034573390baffd4930.jpg)
昨年、1月18日に記した記事の末尾を下に。
また一度、心に揺り起こしておきたく。
美しき海のような心を、なんとか、創り持っていきたく。
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—————阪神淡路大震災以来、
1月17日にはその時噛み締めた色々な思いをちゃんと思い起こそうと努力してみます。
あの時を目前にし、
あの時を一緒に過ごした途轍も無く辛い思いをした人達。
今もそんな思いをし続けている、
なかなか癒えない傷を負った多くの人達のことを思ってみます。
電気やガスが街に戻るまで、
僕のワンルームで窮屈な思いをさせながら数ヶ月一緒に暮らした
3人の人達のことを思ってみます。
ほんと、ダメな僕は、毎日の生活にまみれる中でそんな思いも
ついつい薄れてしまっていたりする様な気もして。。
改めて、
命に感謝して、大切に、強く生きねば。。と。
当たり前の日々に、感謝をしなければ。。と。
1月17日にはそんなことを思い直したりします。
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