某ファーストフードチェーンのカウンターで、
店員さんに注文確認を「されて」いる時、
その店員さんは自ら発している言葉の全てを言い終わらない、
その途中で!
突然!
立ち去ってしまって......
忙しいのか?どうなのか......
自分の話しの途中で言葉を続けながらもクルリと踵(きびす)を返し。
そのまま奥の方で何やら忙しそうにドリンクを注いだり、
ポテトをトレーに乗せたりしています。
まぁ、無意識なんでしょうけど。
当然、接客の笑顔など望むべくもなく。
そう言えば......
某牛丼屋さんのチェーンでもこんな事があったな......
あの時は......声まで、
何を言っているのか全くわからない感じだったな。
ボソボソと、とても小さな声で......
そう言えば、
某映画館でポップコーンセットを頼んだ時もこんなことがあったな。
そう言えば......
この国のお店から働く人の心地よい笑顔や言葉、
雰囲気がトテモ減ったような気がするな。
客として問い合わせた電話の先で、
話し終わるやいなや
「プツッ」
と電話を切られることも当たり前のように増えてきたな。
どこかの国みたいになってきたのかな......
いつの日か、
この国でもサービスにはチップが必要になるのかな......
笑顔にはお金が必要になるのかな......
それで、
いいのかな......
どーなんだろ......
今日は朝から、
冷たい雨が降っています。
僕の小さな頃の記憶や印象では、
たとえコンビニ店でもファミレスでも小うるさい店長さんが必ずいて。
相手がアルバイトだろうが社員だろうが同じように接していて。
接客にはビシビシと厳しい指導を行っていたりもしていて。
僕らはいつも安さを求め。
店はあらゆる合理化を進め。
ソコで働く人も、
訪れるお客さんも、
「合理化」に向かっていって。
生産者も製造者もソコに引っ張られていって。
人々の会話や関係もソコに向かっているのだろうか。
合理化は外資系企業の得意分野でもあり。
気がつくと合理化とは即ち経費、経営、経済、
社会の合理化のこととも解され、輸入されていたりなんかして。
合理って....
理=コトワリが整合されることだったよな......
経費や経営、ましてや経済や社会の話じゃないよな。
哲学じゃね?むしろ。
優しさじゃね?むしろ。
資本主義と民主主義ってーーーーー全く別のことだよな。
一般においては、
どこかで一緒になってしまっている様なことは無いのだろうか?
もしそうだったらーーーー危険じゃね?
僕らが求めているのは「豊かさ」ではなかったのだろうか?
「豊かさ」と「安さ」も違うはずで。
資本主義の先に民主主義があるハズでもなく。
ましてや自由や豊かさがあるとは思えなく......
自由と豊かさを生む根源たる「種=タネ」とはなんだろうか?
それが自己目標であり、
生活目標であり、
社会目標であり、
政治目標であり、
国家目標であり、「◯×△▽主義」なんじゃね?
今までにそんな言葉が無ければまた産めばいいじゃん。
「豊幸自由創造党=ほうこうじゆうそうぞうとう」
「自由豊受党=じゆうとようけとう」とかでもいいやんか。
ダサいかな...(´・_・`)
2000年代に入ってからは大企業の社長さんや大物政治家さんたちが
メディアの前でお詫びを繰り返す様なことも
トテモ多く見かけるようになって。
「焼肉酒屋えびす」の社長さんとか、
朝日新聞さんとか、
一部政治家さん達とか.......そんなことの究極的象徴が
一連の「東京電力」問題に見えていたりもして。
そんな人達は常に、
人前ではよく練られた正しい言葉と論旨でもって、
理に沿って物事を語るのだけれど、同時に、
その背中は何かが欠けている印象までも語ってくれていて。
身近にもそんな人がチラホラといたりもして。
心身の奥に何かが欠けている気がするのです。
重みが感じられないのです。
理はあるのかもしれません。
しかし、心身の芯にあるべき温もりが感じられないのです。
体の芯から伝わってくるものが希薄なのです。
温度が感じられないのです。
成功とは大きな会社で出世すること。
大きな事業や会社を創出すること。
大きな財を成すこと。
高級な家と別荘と車と服とバッグと宝石とグルメと異性と
旅行三昧が成功の証で価値のあること。
そんな価値観の人も世界中で沢山いて。
それは自分も含め、
戦後の世界情勢や時代が生んだ価値観なのだろうか......
もちろん、その逆に、
合理的な言葉も論旨も持ち合わせてはいないけど、
心身から溢れ出る温度や重みを感じとれる人もいます。
しかし、どちらにしても、
その一方だけを有しているのだとしたら、
「半分だけ」ということになるのかもしれません。
成功の理想としては、両方がバランスよくあることでしょうか。
どうなのでしょう。
ファーストフードのお店の外は、
冷たい雨が降っています。
この時に少し記しましたが、最近、
オフィスが東京のど真ん中にある高いタワービルの高層階に移転しまして。
毎日、毎晩、世界でも稀なる大きな都市を
広く大きく見渡せる環境で働いているのですが、
心に少しの違和感もあるのです。
それはよく見える都市の「在り様」に対しての違和感だったりして。
見渡す限りのタワー、ビル、ビル、ビル......
コンクリートにガラスにグレーな街、街、街.....
グレーのフチは砂漠のようにその際限が見えず、
何かの割り当てを押し付けられたかのように、
ひしめくように低い所に詰め込まれた小さな屋根、屋根、屋根......
木は何処だ?
小川は何処だ?
土は......何処だ?
都市がこんな姿となっている元は......
きっと俺の中にもあるものなんだろうな......
などと眺めながら思ったりもするのです。
グレーで広大な街の広がりは、
多くの人々と自分自身のエゴや欲望の広がりを
そのまま写した姿にも感じられたりして。
キラキラと励まされるようなことも沢山あるけれど、
ドス黒く、ちょっと落ち込んでしまうこともあるのです。
地下鉄の駅から直結のビルも、
風雨の影響など受けず、便利でトテモ良いけれど。
時々、
鳥カゴに飼われている鳥のような気持ちになる時もあるのです。
「ココではね、餌は安心してもらえるんだよ、、、」
ウットオシィ.....と思いながらも、
雨の日に踏みしめる屋外の水たまりや、
空の下の空気というものが、
とても大切な何かを宿していたのでは......という気もするのです。
駅からオフィスに入るまでの外を歩く時間というのが、
とても大切なものだったのではないかという気もするのです。
都市はその国の人を映す鏡なのか?
それとも、
鳥籠なのか?
もっと、
もっと理に適った都市の形があるはずだ。
この国なら、
もっともっとすごい都市が創れるハズなんだ。
創れるはずなんだ!
敷地あたり最大床面積を取れるビルや建物が「合理」では無いはずだ。
樹木や河川、生態系と見事に調和された大きな都市の形だってあるはずだ。
豊かさと利便性を兼ね備える都市や居住空間の在り様も、
人の生きようもあるはずだ。
それが合理だ。
違うのか!?
「ポテトお待たせしました~(・Д・)」
「ハッ!?!Σ(・□・;)
はいィぃぃぃぃぃっぃぃぃぃぃぃっ!!ヽ( ̄д ̄;)」
まぁね、
時々ね、
そんな感じなのです。
外は、
冷たい雨なのでございます。。
現在まで存続している王室の中で「世界最古」である天皇家。
そして、故にこの地上世界で最古から続く国でもある日本国。
この国の神話において、
その皇祖神で太陽神ともされる天照大御神(アマテラスオホミカミ)が
天界から地上界に下る孫の瓊々杵尊(ニニギノミコト)に持たせたものの中で、
アマテラス「自らが語り、手渡したモノ」というのは、
たった一つ、「鏡」だけになります。
その意味を最近また改めて、深く思うのです。
店員さんに注文確認を「されて」いる時、
その店員さんは自ら発している言葉の全てを言い終わらない、
その途中で!
突然!
立ち去ってしまって......
忙しいのか?どうなのか......
自分の話しの途中で言葉を続けながらもクルリと踵(きびす)を返し。
そのまま奥の方で何やら忙しそうにドリンクを注いだり、
ポテトをトレーに乗せたりしています。
まぁ、無意識なんでしょうけど。
当然、接客の笑顔など望むべくもなく。
そう言えば......
某牛丼屋さんのチェーンでもこんな事があったな......
あの時は......声まで、
何を言っているのか全くわからない感じだったな。
ボソボソと、とても小さな声で......
そう言えば、
某映画館でポップコーンセットを頼んだ時もこんなことがあったな。
そう言えば......
この国のお店から働く人の心地よい笑顔や言葉、
雰囲気がトテモ減ったような気がするな。
客として問い合わせた電話の先で、
話し終わるやいなや
「プツッ」
と電話を切られることも当たり前のように増えてきたな。
どこかの国みたいになってきたのかな......
いつの日か、
この国でもサービスにはチップが必要になるのかな......
笑顔にはお金が必要になるのかな......
それで、
いいのかな......
どーなんだろ......
今日は朝から、
冷たい雨が降っています。
僕の小さな頃の記憶や印象では、
たとえコンビニ店でもファミレスでも小うるさい店長さんが必ずいて。
相手がアルバイトだろうが社員だろうが同じように接していて。
接客にはビシビシと厳しい指導を行っていたりもしていて。
僕らはいつも安さを求め。
店はあらゆる合理化を進め。
ソコで働く人も、
訪れるお客さんも、
「合理化」に向かっていって。
生産者も製造者もソコに引っ張られていって。
人々の会話や関係もソコに向かっているのだろうか。
合理化は外資系企業の得意分野でもあり。
気がつくと合理化とは即ち経費、経営、経済、
社会の合理化のこととも解され、輸入されていたりなんかして。
合理って....
理=コトワリが整合されることだったよな......
経費や経営、ましてや経済や社会の話じゃないよな。
哲学じゃね?むしろ。
優しさじゃね?むしろ。
資本主義と民主主義ってーーーーー全く別のことだよな。
一般においては、
どこかで一緒になってしまっている様なことは無いのだろうか?
もしそうだったらーーーー危険じゃね?
僕らが求めているのは「豊かさ」ではなかったのだろうか?
「豊かさ」と「安さ」も違うはずで。
資本主義の先に民主主義があるハズでもなく。
ましてや自由や豊かさがあるとは思えなく......
自由と豊かさを生む根源たる「種=タネ」とはなんだろうか?
それが自己目標であり、
生活目標であり、
社会目標であり、
政治目標であり、
国家目標であり、「◯×△▽主義」なんじゃね?
今までにそんな言葉が無ければまた産めばいいじゃん。
「豊幸自由創造党=ほうこうじゆうそうぞうとう」
「自由豊受党=じゆうとようけとう」とかでもいいやんか。
ダサいかな...(´・_・`)
2000年代に入ってからは大企業の社長さんや大物政治家さんたちが
メディアの前でお詫びを繰り返す様なことも
トテモ多く見かけるようになって。
「焼肉酒屋えびす」の社長さんとか、
朝日新聞さんとか、
一部政治家さん達とか.......そんなことの究極的象徴が
一連の「東京電力」問題に見えていたりもして。
そんな人達は常に、
人前ではよく練られた正しい言葉と論旨でもって、
理に沿って物事を語るのだけれど、同時に、
その背中は何かが欠けている印象までも語ってくれていて。
身近にもそんな人がチラホラといたりもして。
心身の奥に何かが欠けている気がするのです。
重みが感じられないのです。
理はあるのかもしれません。
しかし、心身の芯にあるべき温もりが感じられないのです。
体の芯から伝わってくるものが希薄なのです。
温度が感じられないのです。
成功とは大きな会社で出世すること。
大きな事業や会社を創出すること。
大きな財を成すこと。
高級な家と別荘と車と服とバッグと宝石とグルメと異性と
旅行三昧が成功の証で価値のあること。
そんな価値観の人も世界中で沢山いて。
それは自分も含め、
戦後の世界情勢や時代が生んだ価値観なのだろうか......
もちろん、その逆に、
合理的な言葉も論旨も持ち合わせてはいないけど、
心身から溢れ出る温度や重みを感じとれる人もいます。
しかし、どちらにしても、
その一方だけを有しているのだとしたら、
「半分だけ」ということになるのかもしれません。
成功の理想としては、両方がバランスよくあることでしょうか。
どうなのでしょう。
ファーストフードのお店の外は、
冷たい雨が降っています。
この時に少し記しましたが、最近、
オフィスが東京のど真ん中にある高いタワービルの高層階に移転しまして。
毎日、毎晩、世界でも稀なる大きな都市を
広く大きく見渡せる環境で働いているのですが、
心に少しの違和感もあるのです。
それはよく見える都市の「在り様」に対しての違和感だったりして。
見渡す限りのタワー、ビル、ビル、ビル......
コンクリートにガラスにグレーな街、街、街.....
グレーのフチは砂漠のようにその際限が見えず、
何かの割り当てを押し付けられたかのように、
ひしめくように低い所に詰め込まれた小さな屋根、屋根、屋根......
木は何処だ?
小川は何処だ?
土は......何処だ?
都市がこんな姿となっている元は......
きっと俺の中にもあるものなんだろうな......
などと眺めながら思ったりもするのです。
グレーで広大な街の広がりは、
多くの人々と自分自身のエゴや欲望の広がりを
そのまま写した姿にも感じられたりして。
キラキラと励まされるようなことも沢山あるけれど、
ドス黒く、ちょっと落ち込んでしまうこともあるのです。
地下鉄の駅から直結のビルも、
風雨の影響など受けず、便利でトテモ良いけれど。
時々、
鳥カゴに飼われている鳥のような気持ちになる時もあるのです。
「ココではね、餌は安心してもらえるんだよ、、、」
ウットオシィ.....と思いながらも、
雨の日に踏みしめる屋外の水たまりや、
空の下の空気というものが、
とても大切な何かを宿していたのでは......という気もするのです。
駅からオフィスに入るまでの外を歩く時間というのが、
とても大切なものだったのではないかという気もするのです。
都市はその国の人を映す鏡なのか?
それとも、
鳥籠なのか?
もっと、
もっと理に適った都市の形があるはずだ。
この国なら、
もっともっとすごい都市が創れるハズなんだ。
創れるはずなんだ!
敷地あたり最大床面積を取れるビルや建物が「合理」では無いはずだ。
樹木や河川、生態系と見事に調和された大きな都市の形だってあるはずだ。
豊かさと利便性を兼ね備える都市や居住空間の在り様も、
人の生きようもあるはずだ。
それが合理だ。
違うのか!?
「ポテトお待たせしました~(・Д・)」
「ハッ!?!Σ(・□・;)
はいィぃぃぃぃぃっぃぃぃぃぃぃっ!!ヽ( ̄д ̄;)」
まぁね、
時々ね、
そんな感じなのです。
外は、
冷たい雨なのでございます。。
現在まで存続している王室の中で「世界最古」である天皇家。
そして、故にこの地上世界で最古から続く国でもある日本国。
この国の神話において、
その皇祖神で太陽神ともされる天照大御神(アマテラスオホミカミ)が
天界から地上界に下る孫の瓊々杵尊(ニニギノミコト)に持たせたものの中で、
アマテラス「自らが語り、手渡したモノ」というのは、
たった一つ、「鏡」だけになります。
その意味を最近また改めて、深く思うのです。