—————————次回、
車で移動する最中に思い出していた、
この時の水無神社での出来事をもう少し記しておこうかと思います。
続きます。(^^)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/ff/be6d8c78731670c101087b4f549ee8de.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/a1/6a452b5329959c8f24c9cf93b8929fd8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/76/e22caa93a9662a77bb4ba6b7562bd570.jpg)
この場所に立った瞬間、僕は
「祝詞(のりと)か......」
と思い。
誰もいなかったので、
「チバカの桂(千心力の桂)」の前にある
小さな社(やしろ)にお酒を捧げ、
その前で懸命に祝詞を捧げました。
すると、あくまで私的な感覚ではありますが、
辺りが異様にキラキラと眩しいほどに光り出し、
その光に自分が包まれるような感覚に陥りました。
そして、その時、目前に美しい、
わずかにミドリがかった大きな青い石があることに気づいたのです。
僕は手を合わせたまま、
その石をよくよく見ようと心眼を凝らすように頑張っていたのですが、
あまりに強く光るその石は、その輝きで輪郭がよくわからず。
ただ、なんとなく、少し長細いクラスターのように見えました。
少し緑がかった感じもあったので、最初は
「エメラルド?」
かと思ったのですが、
その青の強さと硬質さゆえに
「サファイア......かな......」
と理解をしました。
しかし、それがどんな意味のある石なのか?
どうして見えているのか?
本当にサファイアなのか?
などは全くわからず。
とにかくその場に満ちる異様なチカラと、
小社の後ろの山の奥方から感じられる大きな神様の雰囲気に
ひたすら圧倒されていました。
そんな祝詞を終えて、
合掌を解いた後に撮ってみた写真はこんな感じで。
とても古いスマホ写真で恐縮至極ですが......
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ce/3e750ccf871545a040c2a4fcd54ed116.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/ff/e846841dbbf35096ed2b810b38496d74.jpg)
この場にしばらくボーーーっと佇んでいた僕は、
フト、我に返るような感覚で居直り。
「いかん、いかん、、、」
などと呟きつつ、
心にはこの神社の御神体山である位山(くらいやま)に登ろう......
奥宮に行こう......
という気持ちがフツフツと湧き出て来るのでした。
「そっか。
山にも行かないとなのか......」
僕は神社を出て車に乗り込み、一路、
位山(くらいやま)の山頂を目指すことにしました。
この山に自生するイチイ(一位)の木は、
少なくとも平安の昔から令和の今に至るまで、
皇家が使う笏(しゃく)の材料として選ばれ続けて来ています。
以前「即位の礼」という記事でも記していた
令和天皇の即位に関する一連の儀で使われていたものにしても
水無神社(みなしじんじゃ)が制作し、上納したもの。
三種の神器の一つである
「天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)」に関しても、
第二次世界大戦中には戦火を逃れさせるため、
名古屋の熱田神宮からこの水無神社に隠し移されていました。
それは昭和天皇自らの決断であり、
この神社や山が古代から天皇家と特別な関係を持っている
ということがよく分かる逸話でもあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/ee/bc1ed3b5fe1a338e58c4b0159dd82eff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/be/602e621537af3f2afc21d09e9da240f9.jpg)
水無神社に向かう道すがらに思い出していた昔話は、
もう少しだけ続きます。
☆シリーズ過去記事はコチラ☆
「飛騨高山徒然」
「飛騨高山徒然 2」
車で移動する最中に思い出していた、
この時の水無神社での出来事をもう少し記しておこうかと思います。
続きます。(^^)
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この場所に立った瞬間、僕は
「祝詞(のりと)か......」
と思い。
誰もいなかったので、
「チバカの桂(千心力の桂)」の前にある
小さな社(やしろ)にお酒を捧げ、
その前で懸命に祝詞を捧げました。
すると、あくまで私的な感覚ではありますが、
辺りが異様にキラキラと眩しいほどに光り出し、
その光に自分が包まれるような感覚に陥りました。
そして、その時、目前に美しい、
わずかにミドリがかった大きな青い石があることに気づいたのです。
僕は手を合わせたまま、
その石をよくよく見ようと心眼を凝らすように頑張っていたのですが、
あまりに強く光るその石は、その輝きで輪郭がよくわからず。
ただ、なんとなく、少し長細いクラスターのように見えました。
少し緑がかった感じもあったので、最初は
「エメラルド?」
かと思ったのですが、
その青の強さと硬質さゆえに
「サファイア......かな......」
と理解をしました。
しかし、それがどんな意味のある石なのか?
どうして見えているのか?
本当にサファイアなのか?
などは全くわからず。
とにかくその場に満ちる異様なチカラと、
小社の後ろの山の奥方から感じられる大きな神様の雰囲気に
ひたすら圧倒されていました。
そんな祝詞を終えて、
合掌を解いた後に撮ってみた写真はこんな感じで。
とても古いスマホ写真で恐縮至極ですが......
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ce/3e750ccf871545a040c2a4fcd54ed116.jpg)
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この場にしばらくボーーーっと佇んでいた僕は、
フト、我に返るような感覚で居直り。
「いかん、いかん、、、」
などと呟きつつ、
心にはこの神社の御神体山である位山(くらいやま)に登ろう......
奥宮に行こう......
という気持ちがフツフツと湧き出て来るのでした。
「そっか。
山にも行かないとなのか......」
僕は神社を出て車に乗り込み、一路、
位山(くらいやま)の山頂を目指すことにしました。
この山に自生するイチイ(一位)の木は、
少なくとも平安の昔から令和の今に至るまで、
皇家が使う笏(しゃく)の材料として選ばれ続けて来ています。
以前「即位の礼」という記事でも記していた
令和天皇の即位に関する一連の儀で使われていたものにしても
水無神社(みなしじんじゃ)が制作し、上納したもの。
三種の神器の一つである
「天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)」に関しても、
第二次世界大戦中には戦火を逃れさせるため、
名古屋の熱田神宮からこの水無神社に隠し移されていました。
それは昭和天皇自らの決断であり、
この神社や山が古代から天皇家と特別な関係を持っている
ということがよく分かる逸話でもあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/ee/bc1ed3b5fe1a338e58c4b0159dd82eff.jpg)
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水無神社に向かう道すがらに思い出していた昔話は、
もう少しだけ続きます。
☆シリーズ過去記事はコチラ☆
「飛騨高山徒然」
「飛騨高山徒然 2」
まだこの小さな社の下にまだ男根の石碑が
あった時ですね。
今はなくなっています。
なぜだろう、どこへ行ったのだろうと
寂しく思っています。
飛騨は古代からいろいろ隠されている気がして
なりません。
飛騨エリアは列島で最も古い地層の一つですし、
伝承も色々ありますよね。確かに。
以前、ご相談しました家屋敷の稲荷様に久しぶりに行きまして、掃除してプチ宴会してきました。
酒、稲荷お供えした途端に近さな2ミリ位の蟻の大群が押し寄せてきてビックリ🫢100匹位いたかと。
酒の中や稲荷寿司はアリで真っ黒でした。神様や眷属の方方が待ちにまっていたのかと🙇🏼♂️。
と、メガネの中がキラキラ七色に輝き、場が暖かくなりました。
あ、きた。キラキラと身体が幸せになれる瞬間、
撮影したら見事に虹色の光と土に映る神様模様の写真が撮影されました。
これは、歓迎されたと解釈しています。
本当にありがとうございました。