でも、きっと、
アノ林の中に......
なにか......
あります.......
......卑弥呼......
......そこか。
間違いは、
無いと思います......
次回「7」へと続きます。
骨寺村には直線がありません。
ソレは古来よりこの地で暮らしてきた人々が、
今も住んでいる人々が、
全てのものを自然の形に調和させて造ろうとしてきたことを
意味しているのだと思います。
田圃(たんぼ)の中を縦横に走る畦道(あぜみち)も、
全てクネクネと曲がり、デコボコとしていて。
しかし用に足りるだけの機能はしっかりと有してもいます。
大地に違和感無く溶け込むその姿は、
全てが田圃とも、全てが道とも見えるくらい。
収穫の秋にでも来たら、この地は一面の黄金色に輝いているのでしょう。
そんなウネル畦道(あぜみち)の先、
村の中心部に......ポツン......と、
何故か?鬱蒼とした林があります。
なんとも言えない不可思議な存在感。
この林の中に「若神子社(わかみこしゃ)」と呼ばれる社があるといいます。
この地へ導いてくれた神様も
「そこに行け」
と、そう言います......
その林に僕らが揃って近づいた、その時でした。
巫女力も強く、
神々の言葉も正確に降ろす事が出来るプリリンねーさんの鼻から、
突然、ドス黒い、ドロドロとした血が
多量に噴き出して来て止まらなくなってしまったのです。
明らかに普通の血ではありません。
そのあまりに突飛な出来事に本人は勿論、
周りにいた皆も最初はしばし唖然とし。
その後、皆、
「ハッ!」
と、我に返った様にねーさんに駆け寄り。
持っていたティッシュやハンカチを彼女の鼻に当て込みました。
そのまましばらく皆で止血の為の手当てをしていたのですが、
ソレでも、
ねーさんの鼻から流れ出る黒い「瘀血(おけつ)」は止まることはなく。
やがて鼻に当てていたティシュやハンカチが吸収出来なくなった血が
ボタボタと彼女の服や大地に滴り落ちました。
滴り落ちたその血はなんだか生き物のようにウネリ、
枯れ草が覆う冬の終わりの大地にネットリと吸われて行きます。
この時ばかりは、
僕の目には村の大地が大きなナマズの様な生き物に感じられ。
幅の広い大きな口を空に向けて開き、
汚れたドス黒い血をゴクゴクと飲み込んでいる様にもミエました。
彼女の顔色はみるみる悪くなっていきます。
足元も少しおぼつかない感じにもなってきて。
やがて、しゃがみこむ様にして、そのままジッ......と、
鼻血が止まるのを待っています。
「......これ、止まるのかな?」
皆がそんな事を思い出した頃に、
その澱み濁った黒い血は止まりました。
興味深いことに、鼻血が止まった瞬間、
蒼白になっていた彼女の顔には血色が戻り。
それはむしろ、
鼻血を出す前より元気になっている様な印象さえ受けます。
この時のことをこの地に導いてくれた神様は、
後にこんなふうに話してくれました——————————
———————鼻血が出たのは忘れられた場所だったからだよ。
若神子神社は、巫が生け贄になっていた場所だからだよ。
ねーさんにつかえていた頭の血が出たので、
もうスッキリしたはずだ。
スミで塗られたことは、
沢山の犠牲になっているホツマツタエの人柱のことだよ。
罪穢れを祓ってくれてありがとう———————————————
いつかの記事でも記していましたが、
「卑弥呼」とは「日の巫女(ひのみこ)」であって、
太陽崇拝文化における最重要人物であり、
巫女職の最高位だったとも考えられます。
そう考えた場合、卑弥呼とは歴代何人もいたであろうとも思われます。
そんな彼女達は、村や地域や国などが大きな厄災に直面した時に、
その出来事に対する「迷信的」な責任も負わされたり、
皆が信じる神々に厄災を跳ね返せるよう力添えをお願いする為の生け贄や、
最終手段的捧げ物としての役割までも背負わされていたかもしれません。
勿論、それは、真の神々が望んでいたことではないでしょう。
むしろ、その逆であり、
そんな行為を止めようと必死だったようです......し......
卑弥呼こそ、そのことを分かっていたハズなのです......
が、無垢で無知であった人々が、
それでも懸命に、良かれという思いでやってしまったことでもあって。
それを止められなかった神々はそのことを何千年も痛ましく、
「申し訳ない......」
という気持ちで過ごして来ていたようでもありました。
生贄や人柱の様な話は、今の僕らからすると、
もしかしたらバカらしい!?話なのかもしれませんが、
こんなことは今でも、
この現代社会でも、
形や様相を変えて存在しているとも思うのです。
それは確かなことだと思います。
......そんな、ねーさんの鼻血が止まった後、
僕等は改めて骨寺村のど真ん中にポツン......と、
不自然に茂る林の中に入っていきました。
林の前に佇んでみると、
ソコにはこんな観光用のプレートが置かれていて......
地図にあった表記とは違い、
若神子社ではなく「若神子神社(わかみこじんじゃ)」のようです。
鼻血を流した辺りからこの社(やしろ)にかけての一帯では、
この近代的なプレート以外、
とてもじゃありませんが写真など一切撮る気は起こりませんでした。
それは皆も同様に感じていて、自然と言葉も出なくなります。
僕等はプレートを超えてそんな林の中に入り行ってみました。
林の中は低い草木が覆い茂り、
ちょっとした藪(やぶ)の様になっています。
ソコは全くもって歩きにくく、
獣道をかき分けるように歩いていくという感じ。
そしてその感覚から、この場所は、どうも
「村人でも滅多に入らない場所なのだな......」
と言うことが明瞭に分かりました。
それでも僕等は、
そんな鬱蒼とした藪をかき分けながら林の奥へと入っていくと、
ソコには自分の背丈より低いくらいの覆屋(おおいや)がひっそりとありました。
覆屋の中を覗き込んでみると、下には、とても古い、
所々が欠け落ちた幾つかの小さな石の社(やしろ)が並び置かれてありました。
よく見ると、その覆屋の回りにも、
まるで墓碑のような石の社が幾つか並べ置かれています。
そんな石社達を目にした時に僕は若神子神社の地中深くに、重く、暗く、
「地球の裏側まで続いてるのか?」
と思える様な大きな穴がどこまでも続いている......
そんな感覚が沸き起こって来ました。
そして、その感覚が......消えません。
暗い。寒い。痛い。
手を伸ばして、
この目の前の穴を塞いでいる暗い板に土をかき分けて!
外に出たい!
ツメが割れ、指先が切れ、
真っ赤な血に染まり、指がもげ落ちても、
それでも出たい!
ココは嫌だ!
死ぬのは嫌だ!
怖い!
なぜ?
なぜ私だけが?
どうしてこんな目に合うのか?
神など、
神など!
そんなモノいない!
そんなもののために!なぜ!
なぜ私だけが!
ひどい。暗い。死にたくない!
出して!
ここはイヤ!出して!
ここから出して.......
いったい、ここでどれくらいの血が流れたのか。
どれくらい理不尽な思いが積もり、重ねられていたのか。
いったいどれくらいの巫女さん達の命が、
時に「卑弥呼」と呼ばれる最高位の巫女さん達の血までもが、
注がれてきたのか......
僕は喉がつまり。
胸が苦しくなり。
沈鬱な気持ちに苛まれていました。
多くの言葉はかわしませんでしたが、
きっと皆も同じ思いだったと思います。
感覚の鋭いメンバーの中には自然と、
自分でも意図しない涙が溢れ出す人もいました。
僕等は用意してきたお酒を覆屋の中の石社に供え、そして、
神々と約束をしたアマテラスさんから頂いた祝詞(のりと)を
一生懸命唱えさせていただきました。
正直、何が変わったのか?
何が良くなったのか?
良いことなのか?
悪いことだったのか?
…...はわかりません。
ただ、ここに来るまでの長い道のりと幾多の物語を思うに、
きっと、何かの役には立っているかもしれない、と。
僕はそう信じることにしました。
心なしか、祝詞の最中から、
林の上空からまばゆい光の柱が降り下って来ているように思えていました。
その後、時々に届いてくる神々や、
この地にゆかりのある史人の御霊さん達からの言葉はこんな感じでした。
——————◯◯◯◯神だ。(この地へと導いてくれた神様)
田村麻呂には伝えたから「マル」だよ。
——————坂上田村麻呂だ。
骨寺村に行ってくれたのか。
骨寺村とは、以前は言っていなかったが、
あの場所は我が国の真ん中に位置していたのだよ。
八幡平は「ヤマタイ」と読めるだろう。
北上山地から「金」が沢山出ていたからな。
罪穢れは、だから起こってしまったのだよ。
「金」が出たので、狙われたということだな。
ねーさんが鼻血を出した場所は、私が石を置いた場所だよ。
沢山の犠牲になった人がいたから供養したのだよ。
古代から繰り返されたことだよ。
沢山血が流れた所なので、ねーさんが流せばわかると思ったのだよ。
真ん中だっただろう。
私は駒形根のアラハバキの言葉がわかったのだよ。
だから、ねーさんと同じだな。
uzmetとも同じだよ。
宝がなければ平和な土地だったのだよ。
古代のことは、わからないだろうな。
——————妻籠(つまご)のアシュラです。
疑いのない人達が骨寺村に行ったという話は聞きましたよ。
骨寺村は藤原の時代に栄えていました。
のーーーぞーーーみーーーがあったからです。
(中略)
のーーーぞーーーみーーーは、
憑かれているスミで塗られた人達の浄化でしたよ。
骨寺村には、坂上田村麻呂が行っていました。
罪穢れを祓って欲しいと藤原清衡に言ったのです。
藤原清衡も今は神になっているので話してあげてください。
——————藤原清衡です。
私は、いつも夢に出てくる場所を探していました。
民達が苦しんでいる場所でした。
それを、坂上田村麻呂が教えてくれたのです。
藤原三代が、平泉に行ったのはそういうことだったのです。
ありがとう。
骨寺村に行ってくれてありがとう。
......血は、血ででしか濯(すす)げないのか......
7人はソレゾレに様々な思いを抱えながら若神子神社を後にしました。
僕らはこの日も朝早くから動き回っていたので、
「この辺で休憩も兼ねてお茶でもしようか!」
と、「骨寺村荘園交流館」というところに寄ることにしました。
そこには骨寺村の名前の由来となる2つの伝承が記されている資料もあって。
見てみると、なんとなく、
どちらの説にも大本には共通する何かがあるように僕には感じられました。
そんな共通するモノこそが、
この村の深奥に秘されているものなのではないのか?
......と、そう思えました。
お話は「8」へと続きます。
☆シリーズ記事☆
「邪馬台国徒然」
「2」
「3」
「4」
「5」
「6」
アノ林の中に......
なにか......
あります.......
......卑弥呼......
......そこか。
間違いは、
無いと思います......
次回「7」へと続きます。
骨寺村には直線がありません。
ソレは古来よりこの地で暮らしてきた人々が、
今も住んでいる人々が、
全てのものを自然の形に調和させて造ろうとしてきたことを
意味しているのだと思います。
田圃(たんぼ)の中を縦横に走る畦道(あぜみち)も、
全てクネクネと曲がり、デコボコとしていて。
しかし用に足りるだけの機能はしっかりと有してもいます。
大地に違和感無く溶け込むその姿は、
全てが田圃とも、全てが道とも見えるくらい。
収穫の秋にでも来たら、この地は一面の黄金色に輝いているのでしょう。
そんなウネル畦道(あぜみち)の先、
村の中心部に......ポツン......と、
何故か?鬱蒼とした林があります。
なんとも言えない不可思議な存在感。
この林の中に「若神子社(わかみこしゃ)」と呼ばれる社があるといいます。
この地へ導いてくれた神様も
「そこに行け」
と、そう言います......
その林に僕らが揃って近づいた、その時でした。
巫女力も強く、
神々の言葉も正確に降ろす事が出来るプリリンねーさんの鼻から、
突然、ドス黒い、ドロドロとした血が
多量に噴き出して来て止まらなくなってしまったのです。
明らかに普通の血ではありません。
そのあまりに突飛な出来事に本人は勿論、
周りにいた皆も最初はしばし唖然とし。
その後、皆、
「ハッ!」
と、我に返った様にねーさんに駆け寄り。
持っていたティッシュやハンカチを彼女の鼻に当て込みました。
そのまましばらく皆で止血の為の手当てをしていたのですが、
ソレでも、
ねーさんの鼻から流れ出る黒い「瘀血(おけつ)」は止まることはなく。
やがて鼻に当てていたティシュやハンカチが吸収出来なくなった血が
ボタボタと彼女の服や大地に滴り落ちました。
滴り落ちたその血はなんだか生き物のようにウネリ、
枯れ草が覆う冬の終わりの大地にネットリと吸われて行きます。
この時ばかりは、
僕の目には村の大地が大きなナマズの様な生き物に感じられ。
幅の広い大きな口を空に向けて開き、
汚れたドス黒い血をゴクゴクと飲み込んでいる様にもミエました。
彼女の顔色はみるみる悪くなっていきます。
足元も少しおぼつかない感じにもなってきて。
やがて、しゃがみこむ様にして、そのままジッ......と、
鼻血が止まるのを待っています。
「......これ、止まるのかな?」
皆がそんな事を思い出した頃に、
その澱み濁った黒い血は止まりました。
興味深いことに、鼻血が止まった瞬間、
蒼白になっていた彼女の顔には血色が戻り。
それはむしろ、
鼻血を出す前より元気になっている様な印象さえ受けます。
この時のことをこの地に導いてくれた神様は、
後にこんなふうに話してくれました——————————
———————鼻血が出たのは忘れられた場所だったからだよ。
若神子神社は、巫が生け贄になっていた場所だからだよ。
ねーさんにつかえていた頭の血が出たので、
もうスッキリしたはずだ。
スミで塗られたことは、
沢山の犠牲になっているホツマツタエの人柱のことだよ。
罪穢れを祓ってくれてありがとう———————————————
いつかの記事でも記していましたが、
「卑弥呼」とは「日の巫女(ひのみこ)」であって、
太陽崇拝文化における最重要人物であり、
巫女職の最高位だったとも考えられます。
そう考えた場合、卑弥呼とは歴代何人もいたであろうとも思われます。
そんな彼女達は、村や地域や国などが大きな厄災に直面した時に、
その出来事に対する「迷信的」な責任も負わされたり、
皆が信じる神々に厄災を跳ね返せるよう力添えをお願いする為の生け贄や、
最終手段的捧げ物としての役割までも背負わされていたかもしれません。
勿論、それは、真の神々が望んでいたことではないでしょう。
むしろ、その逆であり、
そんな行為を止めようと必死だったようです......し......
卑弥呼こそ、そのことを分かっていたハズなのです......
が、無垢で無知であった人々が、
それでも懸命に、良かれという思いでやってしまったことでもあって。
それを止められなかった神々はそのことを何千年も痛ましく、
「申し訳ない......」
という気持ちで過ごして来ていたようでもありました。
生贄や人柱の様な話は、今の僕らからすると、
もしかしたらバカらしい!?話なのかもしれませんが、
こんなことは今でも、
この現代社会でも、
形や様相を変えて存在しているとも思うのです。
それは確かなことだと思います。
......そんな、ねーさんの鼻血が止まった後、
僕等は改めて骨寺村のど真ん中にポツン......と、
不自然に茂る林の中に入っていきました。
林の前に佇んでみると、
ソコにはこんな観光用のプレートが置かれていて......
地図にあった表記とは違い、
若神子社ではなく「若神子神社(わかみこじんじゃ)」のようです。
鼻血を流した辺りからこの社(やしろ)にかけての一帯では、
この近代的なプレート以外、
とてもじゃありませんが写真など一切撮る気は起こりませんでした。
それは皆も同様に感じていて、自然と言葉も出なくなります。
僕等はプレートを超えてそんな林の中に入り行ってみました。
林の中は低い草木が覆い茂り、
ちょっとした藪(やぶ)の様になっています。
ソコは全くもって歩きにくく、
獣道をかき分けるように歩いていくという感じ。
そしてその感覚から、この場所は、どうも
「村人でも滅多に入らない場所なのだな......」
と言うことが明瞭に分かりました。
それでも僕等は、
そんな鬱蒼とした藪をかき分けながら林の奥へと入っていくと、
ソコには自分の背丈より低いくらいの覆屋(おおいや)がひっそりとありました。
覆屋の中を覗き込んでみると、下には、とても古い、
所々が欠け落ちた幾つかの小さな石の社(やしろ)が並び置かれてありました。
よく見ると、その覆屋の回りにも、
まるで墓碑のような石の社が幾つか並べ置かれています。
そんな石社達を目にした時に僕は若神子神社の地中深くに、重く、暗く、
「地球の裏側まで続いてるのか?」
と思える様な大きな穴がどこまでも続いている......
そんな感覚が沸き起こって来ました。
そして、その感覚が......消えません。
暗い。寒い。痛い。
手を伸ばして、
この目の前の穴を塞いでいる暗い板に土をかき分けて!
外に出たい!
ツメが割れ、指先が切れ、
真っ赤な血に染まり、指がもげ落ちても、
それでも出たい!
ココは嫌だ!
死ぬのは嫌だ!
怖い!
なぜ?
なぜ私だけが?
どうしてこんな目に合うのか?
神など、
神など!
そんなモノいない!
そんなもののために!なぜ!
なぜ私だけが!
ひどい。暗い。死にたくない!
出して!
ここはイヤ!出して!
ここから出して.......
いったい、ここでどれくらいの血が流れたのか。
どれくらい理不尽な思いが積もり、重ねられていたのか。
いったいどれくらいの巫女さん達の命が、
時に「卑弥呼」と呼ばれる最高位の巫女さん達の血までもが、
注がれてきたのか......
僕は喉がつまり。
胸が苦しくなり。
沈鬱な気持ちに苛まれていました。
多くの言葉はかわしませんでしたが、
きっと皆も同じ思いだったと思います。
感覚の鋭いメンバーの中には自然と、
自分でも意図しない涙が溢れ出す人もいました。
僕等は用意してきたお酒を覆屋の中の石社に供え、そして、
神々と約束をしたアマテラスさんから頂いた祝詞(のりと)を
一生懸命唱えさせていただきました。
正直、何が変わったのか?
何が良くなったのか?
良いことなのか?
悪いことだったのか?
…...はわかりません。
ただ、ここに来るまでの長い道のりと幾多の物語を思うに、
きっと、何かの役には立っているかもしれない、と。
僕はそう信じることにしました。
心なしか、祝詞の最中から、
林の上空からまばゆい光の柱が降り下って来ているように思えていました。
その後、時々に届いてくる神々や、
この地にゆかりのある史人の御霊さん達からの言葉はこんな感じでした。
——————◯◯◯◯神だ。(この地へと導いてくれた神様)
田村麻呂には伝えたから「マル」だよ。
——————坂上田村麻呂だ。
骨寺村に行ってくれたのか。
骨寺村とは、以前は言っていなかったが、
あの場所は我が国の真ん中に位置していたのだよ。
八幡平は「ヤマタイ」と読めるだろう。
北上山地から「金」が沢山出ていたからな。
罪穢れは、だから起こってしまったのだよ。
「金」が出たので、狙われたということだな。
ねーさんが鼻血を出した場所は、私が石を置いた場所だよ。
沢山の犠牲になった人がいたから供養したのだよ。
古代から繰り返されたことだよ。
沢山血が流れた所なので、ねーさんが流せばわかると思ったのだよ。
真ん中だっただろう。
私は駒形根のアラハバキの言葉がわかったのだよ。
だから、ねーさんと同じだな。
uzmetとも同じだよ。
宝がなければ平和な土地だったのだよ。
古代のことは、わからないだろうな。
——————妻籠(つまご)のアシュラです。
疑いのない人達が骨寺村に行ったという話は聞きましたよ。
骨寺村は藤原の時代に栄えていました。
のーーーぞーーーみーーーがあったからです。
(中略)
のーーーぞーーーみーーーは、
憑かれているスミで塗られた人達の浄化でしたよ。
骨寺村には、坂上田村麻呂が行っていました。
罪穢れを祓って欲しいと藤原清衡に言ったのです。
藤原清衡も今は神になっているので話してあげてください。
——————藤原清衡です。
私は、いつも夢に出てくる場所を探していました。
民達が苦しんでいる場所でした。
それを、坂上田村麻呂が教えてくれたのです。
藤原三代が、平泉に行ったのはそういうことだったのです。
ありがとう。
骨寺村に行ってくれてありがとう。
......血は、血ででしか濯(すす)げないのか......
7人はソレゾレに様々な思いを抱えながら若神子神社を後にしました。
僕らはこの日も朝早くから動き回っていたので、
「この辺で休憩も兼ねてお茶でもしようか!」
と、「骨寺村荘園交流館」というところに寄ることにしました。
そこには骨寺村の名前の由来となる2つの伝承が記されている資料もあって。
見てみると、なんとなく、
どちらの説にも大本には共通する何かがあるように僕には感じられました。
そんな共通するモノこそが、
この村の深奥に秘されているものなのではないのか?
......と、そう思えました。
お話は「8」へと続きます。
☆シリーズ記事☆
「邪馬台国徒然」
「2」
「3」
「4」
「5」
「6」
あなたはいつも具合が悪くなり、その度ごとに強くなっている気がします。
筑波山の近くで、初めて坂上田村麻呂が話してきた時に、「狙いは私だった」と、言っていたと思います。
大和朝廷にとっては、田村麻呂こそが邪魔だったのかもしれませんね。
阿弖流為(アテルイ)達のことを、結果的に裏切ってしまったことの無念が、ずっと伝わっているのだと思います。
この連載が完結しました頃に、また彼の地へ訪れたいと思っています(^ ^)
私は「プリリンねーさん」のブログの読者で一通り読ませてもらった者で、こちらもよく伺います。
私は岩手出身で最近「坂上田村麻呂」に興味を持っています。それで私も「壷の碑」はどこにあったのだろう?という疑問を持ち、青森は「中央」とは言えないし、多賀も特に田村麻呂の感覚で陸奥の中央ということはないだろうなと思いました。
それで「ねーさん」のブログを読んだ印象で「骨寺村」ではないかなと思ったのですが、だからと言ってそうだと言える材料もなく、もう一度「ねーさん」の記事と周辺を見直していてこちらに辿りつきました。
とてもスッキリしました!
ありがとうございます!!!