雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

邪馬台国徒然 6

2018-03-22 00:06:07 | 不思議
骨寺村近くの温泉ホテルで過ごした夜は、
そんな不安と期待が入り混じる混沌としたものでした。
お話は「6」へと続きます......




前回記事でも載せましたが、
この写真は骨寺村の中央から栗駒山を撮影したもの。
宮城県、秋田県、岩手県の三県にまたがる大きな山です。
標高は1,626m。
幾つかの峰々が幅広に連なる山容と、
広くてなだらかな裾野斜面は、
僕にはどこか長野県の八ヶ岳を連想させ、
凛とした「山の気」は爽やかにキラキラと山肌を流れ下り、
途中所々溜まり、蓄えられもして、
またサラサラと平地へと動き出して行きます。
この山が常に蓄えているエネルギーや水の量は
相当豊富であろうことは一目瞭然。

霊峰、栗駒山......と言った感じでしょうか。

骨寺村は、辿り着いてみると、
そんな大きくて豊かな恵みをもたらす山との距離感が
これ以上ないくらい抜群の場所でした。

山の力がものの見事に入り込んで来ます。

加えて村の四方は全て小高い山々が連なって取り囲んでいて、
周囲からは程良く隔離もされています。
ソレらの山々はヨーロッパの街における城壁の様でもあり、
天然の要塞と言ってもいい様な地形。
高さも程よいので自然のエネルギーも程よく溜めて、また、
吐き出すこともできます。
そして、そんなふうに囲われ、
守られてもいる平地は極めてなだらかな傾斜も合わせ持っていて。
北と南の端には、
囲む山々に沿って東から西へと流れる2本の清廉な谷川まで流れています。
そんな地形は、
稲作用の水田を作っても全ての水田に均質な水を均等に容易く流せるという、
これ以上ないくらいの理想的な農業環境を造り上げてもいます。

こんな地ではちょっと穴を掘れば豊かな湧き水もあちこちから出てくるであろうし。
村を囲む川も谷川なので、
川面は皆の住む地面よりかなり下に深く彫り込まれてもいて。
氾濫の心配などもほとんどありません。
この地の暮らしやすさは農耕や狩猟を中心とした古代の生活様式であれば尚のこと、
群を抜いて優れていたであろう事は容易に想像できます。
そんな理想的な地形の様子は以下の公式ホームページの写真や、
現地の案内ボードの写真などからも良く分るのではないかと思います。





しかも、この村の川を東へと少し下っていけば北上川に合流し。
その北上川を対岸へと渡れば、
目前には早池峰山(はやちねさん)を中心とするたおやかな北上山地もあるわけで。
そこには砂鉄や金がゴマンと産出されていた砂鉄川や沢山の金山迄もがあるのです。
北上川を登れば平泉、花巻、盛岡、八幡平へと。
下れば太平洋を望む石巻港へと容易に出ることも出来ます。

風水的な言葉を使った表現をすれば、
栗駒山は骨寺村の「祖山(そざん)」ともなっていて。
そこから流れ出す大地の力......龍脈、地脈......は、
骨寺村一帯へと綺麗に流れ込んで来ています。
村の所々にはそんな力が吹き出すスポット......龍穴......的な場所もいくつかあり、
北風を防ぐ「玄武(げんぶ)」となる北の山もしっかりと高く在ります。
南側は広く開けていて陽気がたまりやすく、
その先には谷川迄も流れているので、
溜まった陽気を逃さない天然の堤防も併せ持っている様な状態。
故に朱雀(すざく)も自在に飛び回れてしまう......とでも言いましょうか。
そして、村内を東から西へと流れる川には、
その流れに沿った道も走っていて。
ソレは正に白虎(びゃっこ)が闊歩する道であり、
青龍(せいりゅう)がウネル水場でもあって。
さすがは奥州藤原氏の荘園にもなった地。
こんな完璧で作物収穫力も高い、
綺麗で奇跡的な場所などそうそうは無いであろうと。

しょーじき、戦さなどもしやすい地形でもあるだろうし。
隠れやすい地形でもあるだろうし。
もし周囲から隔絶されて干される様なことがあったとしても、
何の問題もなく暮らすことも出来るであろう、
そんな全てが揃っている理想的な地。
もしココが岩手県一帯を広く治めていた古代王国の首都だったというのであれば、
まさに山々に囲まれた大国......邪馬台国。
当時の理想郷の一つ......でもあったのでしょうか......
ココまで導いてくれた◯◯◯◯神様に使える眷属の神様は僕らにこう言うのです......



「小太郎(龍神さん)は、金華山黄金神社にいるだろう。
◯◯◯◯神は、駒ヶ岳の上にいるよ。
骨寺村荘園は、元々は邪馬台国と言ったよ。
北上山地には、沢山の金が出たからな。
(邪馬台国は)九州とか近畿とか言っているが、
それはもっと後の時代だよ。
縄文の頃は、三鷹が中心だったから。
もっと暖かかったしな。青森までは栄えていたよ」



海からも程よく離れ。
険しい山からも程よく離れ。
水も作物も鉄も金も様々な鉱物資源も全てが揃う地。



......卑弥呼さん、



どこに?



いるのさ......



アマテラスさんの祝詞、



ちゃんと持ってきたんだ......





そんな村を見渡せて、先に「龍穴」と記した場所の一つが
こちらの駒形根神社(こまがたねじんじゃ)。
「まずココに行くが良い......」
と神様に言われていた場所でもあります。
「本当の名前は栗駒神社だ、、」
とも言ってましたが......村の東の端、小高い丘の上にあります。
その名前の通りお馬さんも祀られています。(^^)
やはり......の黒馬さん。



鐘撞堂も味があります。
ご挨拶も兼ねて皆で一回づつ、村に響く様に撞かせてもらいました。



しかし、どうもココは、卑弥呼さんという感じではありません。
政治会合などの中心地だったのか?
知恵のある神様の香りがします......孔雀王......だと、
此方の神様はそう言っていました。
そしてEriさんは、
その孔雀王さんがとても喜んでくれた「粟(あわ)の穂」なるものを
ワザワザ用意して持ってきてくれていました。



Eriさんが送ってくれた写真ですが、
今やなかなか見れないようなもの。
Eriさんすげー。完璧。
ファインプレイ。神様大喜び!で。



裏山は未だ未だ沢山のモノモノを抱えてもいる様で......
なのでこちらの石碑はスルーは出来ません。ええ。



こんな感じで、
この地の龍穴でありパワースポットとも言えそうな駒形根神社と、
ソコを守る神々の皆さんに挨拶をさせて頂いたのですが、
ココまで、とにかくこの村では人に会いません。
見渡す限り僕ら以外に人の姿は無く。
少々不思議な動きをしていても訝しがる様な人もいなく。
そこで僕等はもう一つ、広々と広がる田園のど真ん中にポツン......と、
違和感のある姿を見せている小さな林へと向かうことにしました。
骨寺村の地図には「若神子社(わかみこしゃ)」と、そう書いてあります。



メンバー全員、直感で、
「今回の一番の目的地はココに違いない」
と、最初からそう感じていた社(やしろ)。
しかしその社は何故か?
一点集中的に鬱蒼と生い茂った林の中にあるようで、
高い木々に遮られて遠目ではよく見えません。



でも、きっと、



アノ林の中に......



なにか......



あります......



......卑弥呼......



......そこか。



間違いは、



無いと思います......



次回「7」へと続きます。



☆シリーズ記事☆
邪馬台国徒然
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