12正経は、手所属のもの肺・大腸・心・小腸・心包・三焦の6種類あり、足所属のものが胃・脾・膀胱・腎・肝・胆の6種類である。では手とか足とかの所属分類の必然性は、どのようにして決まったのだろうか。私はこれまで納得のいく説明を聞いたことがない。以下は私の見解だが、想像を逞しくしているので、話半分の気持ちで、おつき合い願いたい。
NHKブックスで、高橋晄正著「漢方の認識」の中に、上に示した図が載っている。古代中国医師の内臓観を示すもので、ボディーにしっかりと描かれているのは手所属の内臓だけである。足所属はヘリに付着している程度の存在である。手所属の臓腑は、上下に分かれた相似形に分けられ、上半分は陰の臓腑が、下半分は陽の臓腑が配置されている。いかにも中国人の整体観を反映している見事なものである。
上の中心にあるのは心で心包がこれを調節し、下の中心にあるのは小腸で三焦がこれを調節している。つまり心機能は心拍動という点は現代医学と同じだが、小腸機能は腹大動脈の拍動を診ていたと推定できる。
さらに五行論に目を向ければ、心と心包、そして小腸と三焦はどれも「火」に属するので、体温生成に関係していることも知れる。肺と大腸は「金」なので、胸と腹において、金を火であぶっている状況を想像できる。想像を逞しくすれば、金属を火であぶりながら、その精華である金(ゴールド)を精製しているという錬金術の世界を垣間見ることもできよう。
手所属の臓腑が錬金術工場だとしても、工場設備だけあっても役立たない。この工場を順調に稼働させるには、まず原料を運び込まねばならない。原料を工場に納入することが脾胃の作用である。また工場であれば産業廃棄物が出るので、その処理をしなくてはならない。これが腎膀胱の作用である。また工場を稼働させる目的は、当然生産品を生み出すことにあるが、この生産品が、肝胆の作用となるかと思われる。
NHKブックスで、高橋晄正著「漢方の認識」の中に、上に示した図が載っている。古代中国医師の内臓観を示すもので、ボディーにしっかりと描かれているのは手所属の内臓だけである。足所属はヘリに付着している程度の存在である。手所属の臓腑は、上下に分かれた相似形に分けられ、上半分は陰の臓腑が、下半分は陽の臓腑が配置されている。いかにも中国人の整体観を反映している見事なものである。
上の中心にあるのは心で心包がこれを調節し、下の中心にあるのは小腸で三焦がこれを調節している。つまり心機能は心拍動という点は現代医学と同じだが、小腸機能は腹大動脈の拍動を診ていたと推定できる。
さらに五行論に目を向ければ、心と心包、そして小腸と三焦はどれも「火」に属するので、体温生成に関係していることも知れる。肺と大腸は「金」なので、胸と腹において、金を火であぶっている状況を想像できる。想像を逞しくすれば、金属を火であぶりながら、その精華である金(ゴールド)を精製しているという錬金術の世界を垣間見ることもできよう。
手所属の臓腑が錬金術工場だとしても、工場設備だけあっても役立たない。この工場を順調に稼働させるには、まず原料を運び込まねばならない。原料を工場に納入することが脾胃の作用である。また工場であれば産業廃棄物が出るので、その処理をしなくてはならない。これが腎膀胱の作用である。また工場を稼働させる目的は、当然生産品を生み出すことにあるが、この生産品が、肝胆の作用となるかと思われる。