▽呉服町通りの静岡駅から最も遠いこの地点が本来の呉服町通りの入口。
(静岡駅側は言わば裏口で、駅を中心に発展した新興都市とは違う。)
◆こここで言う呉服町一丁目は、現在の呉服町一丁目ではなく「旧 呉服町一丁目」です。
〈位置はこちらを御覧ください。)
現在“呉服町”を冠する町は「呉服町一丁目」と「呉服町二丁目」の2カ町ですが、
駿府96カ町においては、「呉服町一丁目」~「呉服町六丁目」の“6カ町”でした。
(何度も書きますが、駿府における「丁目」は、町名の下位区分ではなく、町名の一部と解すべきです。)
丁目の付け方は駿府の町名の原則どおり、城から見て右手(つまり静岡駅から遠い方から)から
一丁目、二丁目・・・六丁目と、1丁(約109m)ごとに付けられていました。
したがって「旧 呉服町一丁目」は、呉服町通り沿いのうち、本通(ほんとおり)との交差地点から
上石町(かみごくちょう)通りとの交差地点までの1丁(約109m)の町(いわゆる両側町)でした。
1940年の静岡大火後の街路の拡幅・新設による町名変更で、
呉服町一丁目~呉服町三丁目の3カ町を 新「呉服町一丁目」、
呉服町四丁目~呉服町六丁目の3カ町を 新「呉服町二丁目」に再編されて、
呉服町を冠する町は現在の“2カ町”となり、
「丁目=1丁」という長さの関係は崩されてしまい、「○丁目」は単なる記号化してしまいました。
(1丁ごとの街区になっている中心市街地では、江戸期の原則どおりの町名が残されていれば、
現在各地で実施されている「新住居表示制度」よりよほど分かりやすかったのではと思われます。
単に行政効率優先で再編されてしまったのは、非常に残念なことです。)
呉服町と言うと商店街というイメージでしょうが、この「旧一丁目」にはほとんど商店はありません。
(したがって、「呉服町名店街」という商店街組織は、旧呉服町一丁目~五丁目の商店で組織されていますが
実質的には旧呉服町二丁目~五丁目の商店の加盟となっている。
なお、旧六丁目は「呉六名店街」という別の商店街組織となっている。)
「旧一丁目」で一番目立つのは、
何といっても静岡銀行本店(登録有形文化財指定)でその存在感を誇示しています。
この静岡銀行本店がある本通り(ほんとおり)との交差点は、
静岡空襲(1945(S20)年6月20日未明)の際の攻撃目標とされたということです。
なんでも、1940(S15)年の静岡大火の際の延焼の仕方の情報を米国は持っていて、
この地点を攻撃目標にすれば、最も効率よく当時の静岡市の市街地のすべてを焼き尽くすことができるという判断されたからだそうです。
なお、この交差点にあったかつての市内電車の停留所名は「呉服町」でした。
▽1931年建築の登録有形文化財に指定の静岡銀行本店
▽本通り側から見る:呉服町通りを挟んで静銀の向こう側に屹立するのは「呉服町スクエアビル」
◆旧呉服町一丁目を現在の町名で言うと・・・呉服町一丁目1、2、10番地(町名変更は1945年)
◆アクセント
「呉服町」の伝統的地元アクセントは、「低高高低低」です。(「チョウ」が東京の有楽町と同じシラフ))
呉服町は、静岡市の代表的繁華街ということもあり、放送などで取り上げられることも多いのですが、
最近は地元放送局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
ゴフクチョウを「低高高高高」と「チョウ」を大福帳のようなアクセントで読むことが多いようです。
そのせいか、最近は若い世代を中心に「低高高高高」というアクセントで話す「大福帳病」が蔓延(?)しており、
伝統的地名アクセントの破壊が進行しているようです。
◆方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。
◆その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。
⇒ 呉服町二丁目へ
(静岡駅側は言わば裏口で、駅を中心に発展した新興都市とは違う。)
◆こここで言う呉服町一丁目は、現在の呉服町一丁目ではなく「旧 呉服町一丁目」です。
〈位置はこちらを御覧ください。)
現在“呉服町”を冠する町は「呉服町一丁目」と「呉服町二丁目」の2カ町ですが、
駿府96カ町においては、「呉服町一丁目」~「呉服町六丁目」の“6カ町”でした。
(何度も書きますが、駿府における「丁目」は、町名の下位区分ではなく、町名の一部と解すべきです。)
丁目の付け方は駿府の町名の原則どおり、城から見て右手(つまり静岡駅から遠い方から)から
一丁目、二丁目・・・六丁目と、1丁(約109m)ごとに付けられていました。
したがって「旧 呉服町一丁目」は、呉服町通り沿いのうち、本通(ほんとおり)との交差地点から
上石町(かみごくちょう)通りとの交差地点までの1丁(約109m)の町(いわゆる両側町)でした。
1940年の静岡大火後の街路の拡幅・新設による町名変更で、
呉服町一丁目~呉服町三丁目の3カ町を 新「呉服町一丁目」、
呉服町四丁目~呉服町六丁目の3カ町を 新「呉服町二丁目」に再編されて、
呉服町を冠する町は現在の“2カ町”となり、
「丁目=1丁」という長さの関係は崩されてしまい、「○丁目」は単なる記号化してしまいました。
(1丁ごとの街区になっている中心市街地では、江戸期の原則どおりの町名が残されていれば、
現在各地で実施されている「新住居表示制度」よりよほど分かりやすかったのではと思われます。
単に行政効率優先で再編されてしまったのは、非常に残念なことです。)
呉服町と言うと商店街というイメージでしょうが、この「旧一丁目」にはほとんど商店はありません。
(したがって、「呉服町名店街」という商店街組織は、旧呉服町一丁目~五丁目の商店で組織されていますが
実質的には旧呉服町二丁目~五丁目の商店の加盟となっている。
なお、旧六丁目は「呉六名店街」という別の商店街組織となっている。)
「旧一丁目」で一番目立つのは、
何といっても静岡銀行本店(登録有形文化財指定)でその存在感を誇示しています。
この静岡銀行本店がある本通り(ほんとおり)との交差点は、
静岡空襲(1945(S20)年6月20日未明)の際の攻撃目標とされたということです。
なんでも、1940(S15)年の静岡大火の際の延焼の仕方の情報を米国は持っていて、
この地点を攻撃目標にすれば、最も効率よく当時の静岡市の市街地のすべてを焼き尽くすことができるという判断されたからだそうです。
なお、この交差点にあったかつての市内電車の停留所名は「呉服町」でした。
▽1931年建築の登録有形文化財に指定の静岡銀行本店
▽本通り側から見る:呉服町通りを挟んで静銀の向こう側に屹立するのは「呉服町スクエアビル」
◆旧呉服町一丁目を現在の町名で言うと・・・呉服町一丁目1、2、10番地(町名変更は1945年)
◆アクセント
「呉服町」の伝統的地元アクセントは、「低高高低低」です。(「チョウ」が東京の有楽町と同じシラフ))
呉服町は、静岡市の代表的繁華街ということもあり、放送などで取り上げられることも多いのですが、
最近は地元放送局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
ゴフクチョウを「低高高高高」と「チョウ」を大福帳のようなアクセントで読むことが多いようです。
そのせいか、最近は若い世代を中心に「低高高高高」というアクセントで話す「大福帳病」が蔓延(?)しており、
伝統的地名アクセントの破壊が進行しているようです。
◆方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。
◆その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。
⇒ 呉服町二丁目へ