▽ 「安倍郡大里村役場跡」 と刻まれているが肉眼でも見づらい。(駿河区・馬渕一丁目・3番街区先)
1889年(M22年)の市町村制度発足に伴い
それ以前の多くの村(藩制度に基づく村)が
整理、統合されて市町村制度における村が発足しました。
現静岡駅から見て南西方面の村々も統合されて
「有渡郡 大里村(うどぐん おおざとむら)」が発足しました。
(1896年、有渡郡は、全域が安倍郡へ編入され「安倍郡 大里村」に)
大里村となった旧体制時代からの村は次の17か村です。
弥勒町(みろくちょう=いわば村相当の町)
1889年(M22年)の市町村制度発足に伴い
それ以前の多くの村(藩制度に基づく村)が
整理、統合されて市町村制度における村が発足しました。
現静岡駅から見て南西方面の村々も統合されて
「有渡郡 大里村(うどぐん おおざとむら)」が発足しました。
(1896年、有渡郡は、全域が安倍郡へ編入され「安倍郡 大里村」に)
大里村となった旧体制時代からの村は次の17か村です。
弥勒町(みろくちょう=いわば村相当の町)
川辺村(現在の川辺町一、二丁目・吉野町・桜木町・清閑町・新川一丁目など)
稲川村
中田村
安倍川村(現在の南安倍町・駒形通六丁目の一部、清閑町の一部など)
中原村
石田村
高松村
西島村
西脇村
下島村
中島村
見瀬村
中村
馬淵村
中野新田(新田には村が付かない)
南安東村の一部(おおむね南安東村西側の現静岡駅周辺地域、東側は豊田村となった)
市町村制度の村たる「大里村」発足に伴い、それまでの藩制度の村は「大字(おおあざ)」となり
「大里村 ◯◯ ××番地」のように、住所(所在地)の村の下位区分を表す単位として使われるようになりました。
(県外では「大字◯◯」のように「大字」を付けて使われるところも多かったようですが
県内では、「大字」の更に下位区分の「小字(こあざ)」は登記以外の住所・所在地を表す際には使われなかったためか「大字」の表記は省略するのが一般的だったようです。)
大里村は、1929年(S4年)3月1日に静岡市に合併
(南安東のうち、現 泉町などの静岡駅周辺地区は、それ以前の1915年11月に静岡市に編入)して
40年の歴史の幕を閉じ、「大里」の名称は消滅してしまいました。
( 大里村内の大字は、「大里村中原」を「静岡市中原」のようにそのまま静岡市の町名として採用され、
近年の住居表示制度の施行で変更された地域以外は今でもほぼ当時の範囲のまま使われています。)
「大里」の名称は、現在、小・中学校の校名として残っているものの
公式なものとしてはなくなってしまっていますので
この碑は、数少ない「大里」の名を偲ぶものとなっています。
また、旧静岡市内には他の旧村役場の位置を示すものは見当たらないので
そういう意味でもめずらしい碑なのかもしれません。
▽ 大里村以前は、馬淵村の事務取扱所(村役場という概念はなかった)でもあったため、馬淵村についての掲示もある。
▽ あざれあ(静岡県男女共同参画センター)からJR線を越えて徒歩数分の馬渕緑地内にある。(
南安東村の一部(おおむね南安東村西側の現静岡駅周辺地域、東側は豊田村となった)
市町村制度の村たる「大里村」発足に伴い、それまでの藩制度の村は「大字(おおあざ)」となり
「大里村 ◯◯ ××番地」のように、住所(所在地)の村の下位区分を表す単位として使われるようになりました。
(県外では「大字◯◯」のように「大字」を付けて使われるところも多かったようですが
県内では、「大字」の更に下位区分の「小字(こあざ)」は登記以外の住所・所在地を表す際には使われなかったためか「大字」の表記は省略するのが一般的だったようです。)
大里村は、1929年(S4年)3月1日に静岡市に合併
(南安東のうち、現 泉町などの静岡駅周辺地区は、それ以前の1915年11月に静岡市に編入)して
40年の歴史の幕を閉じ、「大里」の名称は消滅してしまいました。
( 大里村内の大字は、「大里村中原」を「静岡市中原」のようにそのまま静岡市の町名として採用され、
近年の住居表示制度の施行で変更された地域以外は今でもほぼ当時の範囲のまま使われています。)
「大里」の名称は、現在、小・中学校の校名として残っているものの
公式なものとしてはなくなってしまっていますので
この碑は、数少ない「大里」の名を偲ぶものとなっています。
また、旧静岡市内には他の旧村役場の位置を示すものは見当たらないので
そういう意味でもめずらしい碑なのかもしれません。
▽ 大里村以前は、馬淵村の事務取扱所(村役場という概念はなかった)でもあったため、馬淵村についての掲示もある。
▽ あざれあ(静岡県男女共同参画センター)からJR線を越えて徒歩数分の馬渕緑地内にある。(