駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

七間町・七ぶらシネマ通りの終えん (小劇場やプラネタリウムのことなど)

2011年09月28日 09時28分00秒 | 街かどのラプソディー
▽ 静活文化会館屋上にある「小劇場」


 ▽ 閉館にあたり1976年のポスターが掲示されていました。
 


ピカデリー1、ピカデリー2が入っている
静活文化会館のビルができたのは1957年12月だということです。

そのビルの屋上にある小劇場と
東映が撤退した跡にあるピカデリーゼロは
一足早く25日に閉館しました。

この小劇場、当初はニュース喫茶といって
ニュース映画を専門に上映し
喫茶も提供する形式をとっていたようです。

当時はTVが普及する以前のことですから
映像でニュースを見るには
映画館で見るしかなかったので
 かなり需要があったのでしょう。

 
(1970年ごろまで
  どこの映画館でも週刊ニュースが上映されていた。)

 

▽ プラネタリウム跡

 ▽ 隣のミラノ座の屋上との通路



このビルに文化会館という名称が付けられたのは
映画以外にレジャーの複合ビルにしようという思いが
あったのだと思われます。

かつては1階にアイスケケート場
屋上にはプラネタリウムがありました。

渋谷にあった東急文化会館のプラネタリウムができたのが
1957年4月ということですが
当時、プラネタリウムに対する羨望が
静岡のような地方都市にもあったのでしょう。

このプラネタリウムは
1960年ごろに2年ほど営業されただけで
短命に終わってしまったようです。

規模が小さかたことと当時の静岡市の人口規模などから
民営でプラネタリウムを採算ベースに
載せるのは困難だったのかも知れません。

このプラネタリウムのドームは使命を終えてからも
撤去されることもなく
半世紀もその姿をとどめていました。


また、この屋上には隣のミラノ座のビルとの
間に渡り廊下が設置されています。

火災時等の入場者の避難用に設けられたと思われるかもしれませんが
なんと、これはミラノ座のビル屋上に
かつてはバッティングセンターがあって
その通路に使われたのだということです。

この屋上の風景を見るだけで
 半世紀の歴史の重みが伝わってきます。

 
 


▽ プラネタリウム跡見学者に配られた昔の優待券

夏休み毎日天文教室の右側には
「トキ 7月20日-8月31日」
「トコロ 静岡プラネタリウム 静岡大映屋上」と書かれている。

<参考>静活株式会社HP

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2 コメント

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Unknown (ぱす)
2011-10-01 23:02:41
TV普及前といえば、長谷通にも「白鳥座」という映画館があり、昭和40年代には、今でいうコンビニ(当時はスーパーマーケット)に代わりましたね。アイススケート場は、話だけは聞きましたが、行かずじまいでした(子供だったので)。昭和30~40年代は、七間町はモボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)が集い、単身赴任の日銀エリートも一息つける東京の六本木的スポットだったのだと思います。ニュートウキョウという洋食屋があったり…
東名もなかった頃の想い出ですね。
返信する
白鳥座 (あおい君)
2011-10-02 14:35:00
白鳥座、知ってますよ。
たしか、白鳥座→第二東映→東映白鳥座というように名称が変わったと思います。
白鳥座にかぎらず、昔は七間町以外にもロマンス座(三番町)、城東劇場(東鷹匠町)などいわゆる二番館といわれるような映画館があちこちにありましたね。
ニュートウキョウというのは、もしかしたらキッチン東京のことでしょうか?
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