▽ 重山文庫(京都市・北区・小山中溝町・19番地)
京都市営地下鉄 鞍馬口駅から西へ徒歩5分ほどのところに
重山(ちょうざん)文庫があります。
建物は鴨川西畔にあった木戸孝允の邸宅の一部を移築したもので
この建物自体も価値があるものです。
ここは広辞苑の編さんで有名な
国語学者の新村 出(いずる)博士(1876~1967年)の旧宅で
広辞苑に関する資料が整理・保存されています。
重山文庫の「重山」というのは新村出博士の雅号であり
「出」という字は山が重なっていることからの命名です。
月曜と金曜(祝日に当る場合を除く)のみ一般公開されていて
新村出氏の孫で岩波書店の編集者だった
「広辞苑はなぜ生まれたか 新村出の生きた軌跡」の著者の新村恭さんの案内で
広辞苑の資料について丁寧な説明を受けることができます。
新村出博士は徳川宗家・旧幕臣の関口家(旗本・古くは今川家臣)の生まれで
京都市営地下鉄 鞍馬口駅から西へ徒歩5分ほどのところに
重山(ちょうざん)文庫があります。
建物は鴨川西畔にあった木戸孝允の邸宅の一部を移築したもので
この建物自体も価値があるものです。
ここは広辞苑の編さんで有名な
国語学者の新村 出(いずる)博士(1876~1967年)の旧宅で
広辞苑に関する資料が整理・保存されています。
重山文庫の「重山」というのは新村出博士の雅号であり
「出」という字は山が重なっていることからの命名です。
月曜と金曜(祝日に当る場合を除く)のみ一般公開されていて
新村出氏の孫で岩波書店の編集者だった
「広辞苑はなぜ生まれたか 新村出の生きた軌跡」の著者の新村恭さんの案内で
広辞苑の資料について丁寧な説明を受けることができます。
新村出博士は徳川宗家・旧幕臣の関口家(旗本・古くは今川家臣)の生まれで
父親の関口隆吉(たかよし:勝海舟とも親交があり静岡県令のちに初代静岡県知事)は
博士が12歳のとき不慮の事故で亡くなられたため
徳川慶喜公の側室「信(のぶ)」の養父である新村猛雄の養子となり
新村姓になりました。
西草深町の慶喜公の屋敷の隣附近に住まいがあって
静岡県尋常中学(現:県立静岡高校)を卒業するまで静岡にいたそうです。
辞書としての広辞苑は誰でも知っているでしょうが
初代の編さん者が静岡ゆかりの人だということは
存外知られていないのかもしれません。
徳川慶喜公の側室「信(のぶ)」の養父である新村猛雄の養子となり
新村姓になりました。
西草深町の慶喜公の屋敷の隣附近に住まいがあって
静岡県尋常中学(現:県立静岡高校)を卒業するまで静岡にいたそうです。
辞書としての広辞苑は誰でも知っているでしょうが
初代の編さん者が静岡ゆかりの人だということは
存外知られていないのかもしれません。