鹿児島の丘の上のホテルに午後8時にチェクインした。羽田空港を先発した三人と会えると思ったがまだ到着していないという。1階の 「滝の茶屋」 で一人で夕食をとることにした。豚骨、枕崎の鰹のたたき、奄美の鶏飯、焼酎は黒小鶴お湯割りである。
テーブルにA4版4ページの2枚のシートが届いた。お食事を待たれる間のミニミニ講座 「西郷さんてどんな人?」 とある。もっと詳しいく知りたい方は西郷研究家で滝の茶屋スタッフの梅田を呼んでくださいとサービス満点だ。
西郷さんの名は隆永だが戸籍制度改正の際、友人が父親の名前と間違えてしまった。西郷さんは 「それでよか」 と隆盛を名乗り続けた。25歳で伊集院スガと1度目の結婚をするが単身赴任が理由で離婚。31歳のとき僧月照と共に錦江湾に入水するも西郷さんだけ蘇生。月照を匿った罪により奄美大島へ島送りとなる。奄美大島で愛加那と2度目の結婚をし男児と女児の二人を授かる。男児の菊次郎は後に京都市長となる。罪人は赦されて帰る際島で結婚した相手を連れて帰ることはできない。3年後に愛加那とは召還に伴い離縁する。さてさてその直後に島津久光の怒りを買い奄美大島より遠い沖永良部島へと再び一年半の遠島になる。私のもっと知りたいはこの頃の久光と西郷さんの確執だ。
39歳のとき坂本竜馬と会い、薩長同盟を締結。この頃岩山イトと3度目の結婚をし3人の男児を授かる。孫の一人に法務大臣となった吉之助がいる。1877年2月西南戦争勃発。9月鹿児島城山の麓の岩崎谷で自刃。享年49。勝海舟は西郷さんの訃報を聞きたいへん悲しみ一首の歌を詠んだ。「ぬれぎぬを干さんともせず子供らのなすがままに果てしきみかな」 このミニミニ講座のコピー4枚を持ち帰る人は多いそうだ。