玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

宗教は楕円形

2006年04月04日 | 捨て猫の独り言

 隣の席の方丈さんは正法眼蔵は難解ですと言う。その翌日に私がいただいたのが、道元に師事しのちに永平2世の懐奘(えじょう)による 「正法眼蔵随聞記」 (ちくま学芸文庫)である。これをテキストに寺では勉強会を開くことがあるという。原文と口語訳がある。さっそく私は口語訳を読んでみた。

 道元は2つのことを説いている。 「さがし求めないでも、命をささえるだけのものは天然自然にそなわっている。ほかの事に心をとめないでひたすら道(仏法)を学ぶべきである」 「人の見ていない場合も、人の見ている時と同様にかくすべきところをかくし、恥ずべきところを恥じなければならない」

 驚きの断言(常識を絶した論理)がある。 「文章を作ったり、詩歌を詠んだりなどは結局役に立たない。これらを捨てるべき道理は言うまでもない」どうやらその理由は、多くのことを同時にして心やそのはたらきを静かにしないのはいけない。ひたすら座禅するのがいいということらしい。この本の最後に増谷文雄氏のつぎのような解説が付いている。 「宗教は楕円形に似ている。楕円形はその中に2つの中心をもっているが、宗教にも2つの中心がある。仏教の術語でいえば法(仏法)と機(人間)とがそれである。法然・親鸞は人間の側の吟味から出発する。道元はまず本当の仏教とはどのようなものであろうかとまっしぐらに考える」

 「無常は迅速である。気を許してはならない」 いかにもまっしぐらの道元さんらしい言葉だと思う。

コメント (2)
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