前回の入院は病人としては”初”入院体験であった。当時は子供の教育期でもあり私自身も張り切っていた。自分の子もいつかそうさせたいと願っていた私は、YWCAで「留学生の日本での母親」役や、娘の学校の「交換留学生の受け入れ」をやっており、当時も3ケ月間ホームスティを受け入れていた。
ある日その留学生が、遠い道のりを息子に案内され、自転車を漕ぎ「花束」持参でやってきた。差し出されたソレは白い菊を主にしたなんと「仏前用の花束」だったのだ。もちろん有難うと喜んで頂いた。若い2人のこと。花屋の前で悩みながら値段の割に安くてきれいと求めたのだろう。
娘の高校は豪州、米国の2国と交換留学制度を敷いていた。退院を許されて命拾いした思いの私は、自宅に彼らは勿論のこと、同校の外国人教師や知人など大勢招き祝った。留学するにはこの年しかない3年になって娘はヤット豪州行を決意した。娘の滞在中、私と大学生になっていた息子は彼の地を訪ね、「初の2人旅」や「真夏のX’マス}など得がたい体験の機会も得たけれど、今もまた彼女は別の遠い地に居る。ソレもコレも私自身がやりたかった事だけど・・やっぱり チト 遠すぎる・・・。(緑道沿いの合歓の花)