ギャラリー主催者・鈴木さんの、啓蟄のパンフレットの一節を紹介します。「継続してきた展示が2004年の8月に突然体調を崩して歩けなくなり6か月間お休みしました。一時は止める覚悟でした。しかし周りからの励ましもあり、寝ている蒲団の中で考えました。これからは昆虫の観察を充実させて、生きものと植物の共生に重点をおいた展示にしようと考えて再開しました。それから3年目になりますがまだまだ満足していません」地域に根ざして生きるとは、鈴木さんのような生き方のことでしょう。(キタテハとコゲラ)
最近の世相に心が乱れて、政治とは何かを考える際に参考にしたい発言をいろいろ捜してみました。「政治というのは、声が高いわりには非力で、人間を本当に幸福にしたことなどなかったのではないか(藤沢周平)」「朝、テレビをつけてニュースを見るが、公人らのいいかげんな発言が嫌で、消したりすることが珍しくなくなった。仕事柄、聞いていた方がいいのではと思う一方で、無理して聞くこともあるまい、とふさぎかかった心を外に連れ出すべく散歩に出るなどしている(近藤勝重)」
「人間はよほど自分を律していなければ善良ではいられない。良識や思慮深さという重しがとれ、人は品が悪くなり、言いたい放題になり、他人に平気で迷惑をかけるようになる。トランプさんやドゥテルテさんなど10年前なら決して表に出てこられない人が出てきたのは重しがとれたからです。大衆がもういいやと重しを取り去った(高村薫)」「政治を行う地位の高い人は人格者であって当然であり、そうあらねばならないという考え方が東アジアおよび江戸時代の日本の一般的な考えだった(田中優子)」
「人間関係を、上下、遠近、親疎を第一にしてとらえ、仲良しクラブの一人として生活することを大事にする日本社会をそのままにして、いわゆる民主主義が根付くだろうか。そんなことも問題になると思います(大野晋)」「そもそも民主政体というもの自体を私は信用していない。全員が平等に自分たちの代表を選び、全員で国政を運営するなんてことが可能であるとは思われない。我々はそれほど賢いものか。その証拠に、見よ、選ばれるのは芸能人であり、スポーツ選手であり、あるいはその他<知性あふれる>政治家たちである。民主制というのはそこに参加する全員が、同じくらい賢いのでなければ必ず堕落するというのは、ギリシャの時代にすでに出ている結論である。やっぱり自分が賢くなる方が先なのである(池田晶子)」