交通の要衝の世冨慶(よふけ)で高速バスを降りる。そこのスーパーで日数分の食材をまとめて購入し、日に3便しかない午後5時のバスで瀬嵩(せだけ)に向かう。宿主は下半身麻痺の車椅子生活者だ。かつて2か月ものインド単独旅行をした際には、車椅子を改良してトイレ問題を解決したと話していた。障害をものともしないプラス思考の持ち主だ。
宿の経営は64歳の彼が一人で行い、看護士としての仕事を持ちながら別居する奥様は必要に応じて宿に帰る。私はこれで3度目の宿泊だが、初めて奥様にお会いした。最初の夜の宿泊客は私だけで、これも初めてのことだった。この日の夕食は久米島の泡盛に、島豆腐とちらし寿司弁当で済ませた。
私の旅は今回は5泊6日で、ゲート前の座り込みには4日間参加した。最近は8時に集会が始まり、工事車両出入りに合わせて、およそ9時と12時と15時に機動隊の実力行使が行われる。以前には早朝6時に集合する時期もあった。第一日目は大浦湾沿いを75分歩いて集会に参加して座り込む。そして午前中2回のごぼう抜きを受ける。
この日の午後に北海道から来ているという、79歳の気さくな男性と知り合った。座り込みのためゲート前近くにあるワンルームマンション(全78室)に住んで6カ月になるという。何のためにか、彼は自分の部屋まで私を案内してくれた。そして不動産屋との契約書まで見せて説明する。正月は家族と過ごすために戻るが、まず1年、できれば2年は辺野古で頑張りたいという。ゲート前で別れて一人で歩いて宿に向かう途中に、後ろから来た軽トラックの見知らぬ方に呼び止められて乗せてもらった。その方は北海道の彼から声がかかり私を拾ってくれたのだった。