玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*百済と倭国は兄弟

2020年03月12日 | 沖縄のこと

 黄河流域の殷を滅ぼした周の始祖の長男が太白で、長江の南に呉を建国して呉太白となります。「呉太白は周王朝の一族である」これが上間氏が辿り着いた結論でした。倭人とは海を移動するいろいろな部族の総称ですが、呉太白に協力する倭人たちはタカラガイを求めてそれぞれの拠点をつくりながら沿岸を移動します。紀元前472年に滅ぼされた呉王夫差は太白から数えて25代目の王です。

 中国では同じ血族のものは同じ姓を名乗ります。呉太白と呉王夫差の姓はともに姫(き)です。姫氏に協力した姜姓の女性たちはウコンを使って神を降ろすことができる巫女であり、伊尹氏はタカラ貝の流通ルートを作り上げた海神族です。消そうと思っても消すことができないのが地名だとして、水先案内人の伊尹(いいん)の一族の名前の伊のついた地名を上間氏は追跡します。

 西表島の伊田の浜が最初の上陸地点、石垣島の伊春間、伊支馬、宮古島の伊良部、沖縄本島の西側に伊敷、伊祖、伊佐、伊武部、伊差川、伊豆味、伊野波、伊江島、伊是名、伊平屋、徳之島に伊仙町、奄美大島に伊須湾、喜界島に伊砂、種子島に伊関、薩摩半島に伊集院、伊佐、佐賀の伊万里、出雲の伊名佐、若狭湾の伊根、黒潮に乗って伊勢湾、伊勢神宮、伊良湖崎。

 後半のテーマは「古事記」や「日本書紀」が何を隠し、なにを封印したかです。「実は聖徳太子と蘇我入鹿は同一人物でその子が天武」「持統帝は天智天皇の娘などではなく、百済系の天智天皇の花嫁であったが天智亡きあと天武の皇后になり、天武亡きあと天武を裏切る」というのが上間氏の大胆な仮説です。裏切りとは「691年の持統帝の詔」のことです。これを南の海から日本列島に辿り着いた倭人たちの歴史が消えた事件と上間氏は考えています。(続く)

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